第1話③
ある日の昼休み、僕は校舎の裏の、倉庫の近くにある、寂れたベンチに寝転がり、ゲームをしていた。
この日の限定イベントに熱をあげて、あと少しでクリアできそうなところで横から誰かの声がした。驚いた僕は指が滑り、スマホを落とし、ミッションは失敗に終わった。
舌打ちをしながら、落ちたスマホを手に取った。
声は、植木の向こうから聞こえていた。それは甲高い女の声と低い男だか女だかわからないような声で、古い演劇か何かの、セリフを読んでいるような調子だった。
「ああ、リティシア! どこにいるの? 私の元に姿を現して! 私の運命の人、アムスールよ!」
その聞くに堪えない演技をしているのが誰なのか、ミッションが失敗に終わった腹いせに、僕はスマホを持って植木の隙間から、そいつの顔を見てやろうと思った。
でも茂みから向こうを覗いた瞬間、がっかりした。どんな間抜けな奴がそこにいるのかと思いきや、そこにいたのは見覚えのある顔、それも、よりにもよって有島だったのだ。
有島は汗だくになった額をハンカチで拭って、ずり落ちそうになっていた赤い眼鏡を指で直し、今まさにスマホを口元に持ってきて、声を録音していた。
「アムスール! アムスール!」有島はその言葉を発する度に首を傾げた。どうやら、発音に不満があるらしい。だが、問題はもっと別の所にあるような気がしてならなかった。
僕は音を立てないようにその場から去った。ようやくちょうどいい距離まで来られた、と安心した時、後ろから「アムスール!」という声が聞こえた。
また別の日。
僕が駅の近くのカードショップで話題のカードが収録されたパックを偶然見つけ、五パックほど買った時のことだ。
僕はそれらをひとまとめにして握りしめ、改札に向かって早足で歩きながら、その金で何を買おうかと夢に浸っていた。広場に出た時だった。その夢を打ち破るかのように、どこかから聞き覚えのある声が、――またあの声が聞こえてきたのだ。
「どうか私たちの声を聞いてください! このような無秩序な開発が、人権を無視した行いであることは明らかです。私たちに協力してください!」
僕は立ち止まって声の方を見た。そこには有島がいた。今度は、ピンクと黄色の蛍光色のパーカーに身を包み、拡声器も持たずに声を張り上げていた。広場の時計の下で軍手をはめて、首からぶら下げた募金箱を持っている。
有島の後ろには、有島と同じ格好をした中年の女性が二人、薄気味悪い笑みを浮かべて立っていた。
その内の一人は「AI開発に秩序を!」と大きな迫力のある字体で書かれた青いのぼり旗を持っていた。有島は彼女たちの前で、普段では聞いたこともないくらいに、はきはきと演説を続けていた。
でも他の多くの街頭演説などと同じように、いや、それ以上に、彼女たちの叫びに耳を傾ける人はいなかった。通勤帰りや学校帰りの人達が行き交う駅前で、有島の演説を立ち止まって聞こうとする人は一人もいなかった。
それどころか意地汚い笑みを浮かべて、許可なく有島の姿をスマホのカメラに収めている奴もいた。僕は有島がまたその平べったい鼻からずり落ちた赤い眼鏡を直しているのを見て、暗澹たる気持ちに襲われ、そこを去った。
有島は悪い大人に利用されているようにしか見えなかった。僕は帰りの電車の中、めまいが止まらなかった。何も目に入らずに帰って開けたパックは、すべて外れだった。
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