巣 - ネスト -

うっさこ

便利屋細川 山城弥生

「雨樋、やっぱり駄目かぁ。」


「ヤマナさーん!あまどいねー!これ取り替えなきゃ駄目ですー!」

 よく通る声が、敷地に響く。


「弥生さん、取替お願いできるかい?」

 奥から出てきた年配の婦人が、ガラスのコップを乗せた盆を両手に、その返事をする。


たえさん。この間の補修も駄目ですね。他の所からもひび割れできちゃってるし、全部取り替えになっちゃいますね。」


「いいよ。弥生さんに任せる。いつになるかい?」

 縁側に座り、婦人の脇に盆が置かれる。コップに浮かんだ氷が、カランと良い音を立てる。


「資材発注して、何日かに分けて作業ですね。今夜にも事務所を通しておきますから、来週になるかな。」

 脚立から降りてきた弥生は、妙子たえこ婦人の側に腰掛ける。


「弥生さんの予定に合わせるからね。いつも無理を聞いてもらってるから。麦茶、どうぞ上がって。」

 弥生は差し出されたコップを受け取ると、小気味よく喉の音を立ててそれを一気に飲み干した。


「そんな事無いですよ。山名さんはこちらの都合も聞いてくださりますし。ご馳走様です。」


「洋間の暖炉も、お陰様で任せっきりだし、和室側もこうやって見てくださっているし、主人も喜んでいるのよ。」

 空になったコップを受け取ると、妙子夫人はそれを盆に乗せて微笑む。


「正重おじいちゃん、お具合いかがですか?」

「いいのよ、ちょっと腰を痛めて外来にかかっただけだから。」

 弥生は、いつも婦人に同伴している邸の主人を気遣う。仲睦まじく笑い合っている二人の様子を思い浮かべていた。


「今日はこれで引き上げて、資材が整ったらご予定打診しますね。妙さんの”パカパカ”で宜しいですか?」

 パカパカとはコンパクト式携帯電話の事である。山名夫妻はそう呼んでいるので、弥生もそれに合わせた形だ。


「そうね。外に出ている事もあるから。固定電話、そんなに使わなくなってしまったわね。たまに鳴っても、営業のお電話ばかりで。」


「じゃあ、”パカパカ”にメッセージで送らせて貰いますね。」

 弥生は手近にまとめた工具箱とカバンを手に立ち上がる。


「社長さんに宜しくお伝え下さいね。弥生さんも帰り道気をつけて。」


「それじゃあ、失礼しますね!山城弥生が対応いたしました!」


!-- --!


「山城、もどりましたー!」

 事務所へ帰参した弥生は、キーボックスに車の鍵を戻す。


「山名様、雨樋全交換ですね。資材発注、見積もり出しますので、稟議りんぎお願いします。」

 経理担当の福子ふくこは後手を振って、耳に入れたことを承知する。それを確認して、弥生は自分の席につく。


「弥生ちゃーん!戻ったならちょっといいかなー!」

 奥から社長の細川昭男あきおの声が響く。


「報告書を書いてからじゃ駄目ですかー?」

「とにかく来てよー!」

 間髪の入らない返事に、弥生はため息を漏らす。

 カバンからペン入れとメモを取り出し、給湯室へ駆け込むと、ジャーっと流した湯に手をくぐらせて軽く洗う。

 土汚れで黒ずんだ手から水滴をタオルで拭う。


「はいはい、なんでしょう社長。」

 昭男は応接場でテーブルの上に書類を広げている。


「人手不足のことなんだがね、何とかなりそうだよ。明日から体験入社ってやつだ。」


「物好きも居たものですね。ウチみたいな小さい会社に。」


「そういう風に言われると、私と弥生ちゃんにも刺さるんじゃあないかい?小さい会社で申し訳ないと思ってるんだがね。物好きで入ったのは、弥生ちゃんもだろうに。」

 弥生はそう言われ、目を閉じて入社してからの4年を思い返す。

「そうだったでしょうか。」


「で、その物好きの体験君を、物好きの弥生ちゃんに任せようと思うんだがね。一つ頼むよ。」


 その言葉を聞いて弥生は苦虫を噛み潰したような顔で舌を出す。


「そういう顔をするんじゃないよ。借りにも社長だよ、私は。」

「実際の経営は福子さんに丸投げじゃないですか。」


「私はコネ担当だよ。コネ作りがウチみたいな零細企業の生命線じゃあないか。」

 そういって、昭男は広げた書類から二枚を取り上げ、弥生へ向けてひらひらと振る。


「で、そのコネで新人をもぎ取ってきたっていうんですか。」

 書類を受け取り、その一枚目に目を通す。


「まぁ、そういうこったね。ちゃんとね、会社に貢献しとるんだよ。」


「ともかく、弥生ちゃんには明日来る体験君を乗せて、ひと仕事してきてもらいたいんだ。そっちの方も、コネで取ってきた。」

そっち、と言われて弥生は二枚目の紙に目を通す。


「じゃ、頼んだからね。今度、晩飯奢る《おごる》からさ。」


「それは結構です。はぁ、わかりましたよ。人手が欲しいのはウチの塩漬け課題ですからね。」


 弥生は資料を受け取ると、応接場に背を向ける。


「浄衣真宗、縁高寺、ねぇ。」

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