ねこねこパンチラッシュ隆盛記

梅星 如雨露

にゃ


 世界的大流行パンデミックに侵された日本は超高齢化社会の只中に在りその被害は大幅に人口を削減する甚大なものとなった。これは後に続く超超高齢化社会を招く未曽有の大厄災の端を切った事実として日本国民全体に絶望的なショックを与えた。

 人口の減少は社会を回す働き手の不足から、物価の超インフレ、世帯当たりの所得の激減、グローバル経済の完全封鎖、育児介護手の不足に発展、これにより経済成長を完全にストップした日本は国家緊急事態宣言を発令。しかし、無能にも自己の保身のみに回る国会の議員たちにこの国難を乗り越える力はなく、様々な超法規的改革と嘯いた施策は不発、不発、不発! 画空事のように不発を連続するだけに国民は憤怒した。その情動すらもやがては虚無へと変り、もはや国民の心からは喜怒哀楽を失わせ生きる気力をも奪った。

 国家を維持することすら困難な状況は自殺者を増やし、取り残された小児らは浮浪児として路傍に項垂れ、職のない若い世代は無駄に町を徘徊し、夜な夜な違法な薬物(違法といわれながらしかし、国家を維持する司法はその機能をほとんど失っていた)に溺れる。介護ケアを受けられない多くの老人たちが孤独の内にその命を落としていった。そうするうちに過疎化した農村部は次々と地図上からその存在を抹消され、ごく小規模と化した旧都心部――東京、大阪、京都辺り、本州の主要都市とされていたもの――のみが細々と終末に向かって緩慢な死に倦んでいくこととなった。

 絶望の中に見た日本の姿は白濁した眼球の反射の中に在り、反転転覆していく社会をただ諦念と享受する逆説的な覚悟こそが唯一の美徳とされ倫理も道徳もそこには存在しなかった。皮肉にも蒼然と繁茂する自然の草花の土の香りが、人の消えた町の中でひそひそとそぞろ歩きその消滅に何も疑問を呈さない野生動物たちは昼と夜に関わらずその生息域を拡大していった。

 そんな情勢の中、ロボット工学の権威小鳥遊英司(たかなし えいじ)准教授らのチームは生産性の向上を担う高度なAI学習を経た工業用ロボットの開発研究に全身全霊で挑んでいた。しかし、AIの判断は限りなく合理的なものであり如何様にしたところで不気味の谷を越えるものとはならなかった。小鳥遊准教授のなかに燻っていたAIが人を管理するディストピアなる恐怖が最後の一線を越える覚悟を奪っていたのである。

 研究が結実しない事には人類の明日はない。だからといって、無理に発展させた無感情のロボットを実用化するには人を理解する心が欠如していた。そこに現れたのが猫だった。

 パンデミックと時を同じくして猫が人語を理解するようになった。そんな馬鹿な⁉ と嗤うか? それはほんの些細な気付きから始まったのだろう。緩やかな変化はウィルスと同程度の規模で波及し、猫が人の言葉をほぼ確実に理解していることが解った頃には、誰もがそれを疑うことはなかった。

 ここにロボット三原則を敷衍したにゃボット三原則が存在する。

第一条、ロボットは人間に危害を加えてはならない。また、人間に危害が加わるのを看過してはならない。もとより、猫に人間を襲うような考えはなく、危害をみすみす見過ごすような薄情な生き物ではない。

第二条、第一条に抵触しない範囲で、人間の命令に従わなくてはならない。もとより、人間に猫を支配する権利はなく、また、猫にとっても人間を支配するメリットがない。そもそも、お互い寄り添って生きていかなくてはならない生き物としての本能がお互いにとってウィンウィンなのである。

第三条、第一、二条に抵触しない範囲で猫は自分を守らなくてはならない。もとより、猫の身体能力をもってすればほとんどの脅威から自衛は可能。猫は全力で自身を守るし、人間もまたそれを助けるだろう。

 小鳥遊准教授の作り出した最初期の人型有猫ロボット、通称『にゃボット』は二頭身程度のロボットだった。そこから徐々に三頭身、四頭身とロボット開発の技術は向上し、現在では七頭身八頭身の有猫ロボットが町中を闊歩している光景が当たり前になった。それは生活の中で肉体的に人と猫とを区別する必要がなくなった証しだった。

 この『にゃー猫ロジカル』な政策は人類を再び立ち上がらせることには成功した。

 猫ののんびりとした気性は緩慢な経済を可能とし、地上は程よく豊かな緑を取り戻し、深大な青い海が広がり水生生物のユートピアを発生し、人間の支配から着実に地球は猫の惑星へと世代を変えようとしていた。

 人間は絶滅する危機を乗り越えたが、有史以来の人口爆発は二度と起こることはないだろう。かと言って、猫は人間を支配しようとは考えない。

 壊滅状態からの社会は緩慢な再生を果たした。世界は人に寄り添う猫の図を反転して猫に寄り添う人という図式に書き換わったに過ぎない。これも一つの環境に適応した淘汰であると捉えるならば人間はそれを受け入れざるを得なかった。

 とはいえ、結果を明るみにしてみると人類は絶滅の危機に瀕しているとはいえあまり絶望感とか悲嘆に沈むことはなかった。

 あにはからんや、猫社会はほんの少しだけ世界を優しくしたのだから。

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