第十八話 異国の拳法少女・シェンファ ⑥
ジョルジュの説法に耳を澄ませていた人間たちは一斉に振り向く。
大聖堂内に駆け込んできた修道士はこの世の終わりを迎えたように高らかに叫んだ。
「教会と聖堂が……ローレザンヌ中の教会と聖堂が何者かに放火されました!」
最初、修道士の言葉を誰もが理解できなかった。
シェンファとケイリンも立ちの悪い悪戯だろうと思ったものの、修道士が開け放った主入り口の扉から濃厚な黒煙が侵入してきたことで修道士の言葉が嘘ではないことを悟った。
修道士の報告は真実だった。
ローレザンヌ中の教会と聖堂が放火されたということは、ここ〝サン・ソルボンス大聖堂〟も放火されたことを意味していたのだ。
混乱の発端は一人の女性が発した甲高い悲鳴だった。
大聖堂が火の手に包まれた。
この異常な現実は大聖堂内にいた人間たちの神経を逆撫でしたことだろう。
ほぼ密閉されていた空間に火を放たれるなど、過去に盛んだった忌まわしい魔女狩りを彷彿させたからだ。
だからこそ、説法を聞きに集まった人間たちは我先にと逃げ始めた。
一人の修道士が開けた主入り口に向かって怒涛の如く集中する。
「シェンファ、私たちも早く逃げよう。ここにいては蒸し焼きになってしまう」
ようやく事態を理解したケイリンも大聖堂から非難するようシェンファに促した。
呆然と佇むシェンファの肩を摑んで激しく揺する。
それでもシェンファの耳にはケイリンの声は届いていなかった。
混乱と喧騒に支配されていた大聖堂の中で、シェンファだけが冷静に現場の状況を把握していた。
出入り口に向かう人間たちとは別に、主祭壇にいたジョルジュに向かっていく不審な人間たちがいたのだ。
頭部から足首までを漆黒の外套で覆い隠し、全身から陽炎のような殺気を迸らせていた複数の人間たちがである。
(奴らが暗殺者!)
そう認識した瞬間、シェンファはケイリンの腕をはね退けて動いていた。
あえて形容するならば疾風だろうか。
一陣の風と化したシェンファは逃げ惑う人間たちの間をすり抜け、暗殺者と認識した黒外套たちへと向かっていく。
先手必勝!
シェンファは一人の黒外套へと間合いを詰めると、左足のバネを駆使して天高く跳躍。
全体重を乗せた右の足刀蹴りを黒外套の
それだけではない。
仲間が予期せぬ相手から反撃を受けたことで、他の黒外套たちは両足を止めて予期せぬ相手――シェンファを見つめた。
そんな一瞬でも無防備になった暗殺者たちをシェンファが見逃すはずはなかった。
「
現にシェンファは瞬殺した黒外套からもう一人の黒外套に向かって移動すると、独特の気合を発して突きを放つ。
シェンファの突きを腹部に食らった黒外套は、不可視の糸で引っ張られたように身体をくの字に曲げて後方へと吹き飛んだ。
気と体重を合致させたシェンファの打撃は大げさに言うのならば小型の大砲に匹敵する。
筋肉や骨はもちろんのこと、まともに食らえば内臓器官も無事には済まない。
「き、貴様!」
二人の黒外套を倒したとき、最後の一人となった黒外套が猛進してきた。
黒外套はシェンファの制空圏内に無断侵入したと同時に、素人とは思えぬほどの突きを繰り出してきた。
実に滑らかな動きだった。
何の躊躇もなく相手を殺せる熟練者の動きである。
だが、シェンファはまったく臆することなく黒外套の突きを捌いた。
顔面に向かってきた突きを右足の内廻し蹴りで弾き飛ばし、その回転力を利用した左足での後ろ廻し蹴りで黒外套の顎を打ち抜いたのだ。
顎を絶妙な角度で蹴られた黒外套は、脳を左右に揺さぶられて脳震盪を起こした。
目玉が引っくり返り、弛緩した身体は垂直に床へと崩れ落ちる。
三人の黒外套たちを倒して退けたシェンファ。
そんなシェンファに周囲の人間たちは別の意味で奇異な視線を向けた。
それは決してシェンファが異国の衣服をまとっていたからではない。
ましてやフランベル皇国内では見られない黒髪黒瞳だったからでもなかった。
「ふうー、よく分からないけど危なかったわね」
深呼吸をして気息を整えたシェンファは、今ほど昏倒させた黒外套たちを
黒外套たちは十中八九、司教のジョルジュ・ロゼを狙っていた。
本来ならば無視するに限る事柄だ。
そもそも異国人であるシェンファにはクレスト教の司教がどうなろうと関係ない。
だが現場に居合わせてしまった以上は無視できなかった。
異国の暗殺者と対峙してみたいという武術家の悪癖が出てしまったからかもしれない。
ともかく、シェンファが司教を狙った暗殺者たちを倒したことは事実である。
ただ、このときのシェンファは気づいていなかった。
「まさか……異国の小娘に計画を邪魔されるとはな」
突如、シェンファの背中に一本の長剣が突き刺さった。
微塵も
顔面を蒼白に染めたシェンファは長剣が刺さった心臓の箇所を擦った。
擦った手に血は付着していない。
長剣が身体を串刺しにしたというのは、強烈な殺気を受けたシェンファの脳内が作り出した心象に過ぎなかった。
額から浮き出た汗で前髪が濡れる中、シェンファは身体ごと振り返って低い声を発した主を凝視する。
しかし、シェンファが相手を凝視できた時間は一瞬だけだった。
「去ね。異国の小娘よ」
そんな伝法口調な言葉が聞こえたとき、気配を経って近づいてきた巨漢の突きがシェンファの下腹部に深々と突き刺さった。
まるで脳内で心象化させた光景が現実に起こったかのように。
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