第35話 後ろ……めたい

 ヤスオは心配のあまり間に入ろうと出た。

 だが結末は「大丈夫ですか?」と気遣われる立場へ身を落ち着けた。


「念のため医務室へいきます? 頭、打ったみたいですし」


 菜々ななが冷えたタオルを持ってきてくれる。とても心配そうだ。


「いえ、そこまでは。うまい具合にたんこぶもデキてますし」


 自分の席へ座るヤスオは額にタオルを当てていた。


「本当にすみません。安田さんを巻き込んでしまって」


 頭を下げるような片桐かたぎりの声も耳に届く。

 なんだかヤスオのほうが申し訳なくなってしまう。


「いえいえ、謝らないでください。自分は何もしていないですよ」


 実際に、何もしていないだけではない。恥ずかしいくらいなのだ。


 いつになく片桐が熱くなっていた。

 どうやら仕事の遅延に対し新人へどう改善していくか、持ちかけただけのはずだった。なぜか相手は私生活に踏み込んできたらしい。どこで聞きつけたか。この頃ずっと入り浸りになるほどガールズバーの店員なんかに熱を上げている。そんな人に言われたくない、とする反駁をされたそうである。


 プロジェクトリーダーの実績を重ねてきた片桐だ。それくらいで感情が刺激されたりしない。ただし仕事上の問題を人間性にすり替えてやり過ごそうとする姿勢に限界は感じたそうだ。

 業務に支障を与えているとする点の指摘を求めたら、言葉に窮していた。これからどうしたら上手くやっていけるか持ちかけたら、以下の内容を返してきたらしい。


 水商売なんかやっている女なんて、淫乱だ。きっと身体も売っているに違いない。


 ずいぶん幼稚な言い廻しだ、だからこそ効いたのかもしれない。


 また片桐はタオルをたんこぶに載せたヤスオへ謝罪をする。


「でも安田さんが派手にやってくれなかったから、自分はあいつの襟元をつかんだくらいはしていました。ありがとうございました」


 感謝はされれば、とても嬉しい。

 けれどもやっぱりヤスオの羞恥は晴れない。


 片桐が手を出しかけている。理由はどうあれ暴力沙汰はまずい。リーダーであれば、なおのことだ。

 何かが出来るとは思わない。けれども自分の行動が何かしらになることだってある。ゲームで、今のチームを通じて学んだ。これまでの自分とは違うんだ! 勇ましく討って出たつもりだ。


 普段やり慣れていないことは、なかなか上手くいくものではない。


 気負いすぎて、まず足先を引っ掛けた。何もないところで、勝手に躓いた。ああ〜、となんか情けなく叫んだ気はする。前にあった椅子へおでこをしたたかに打ち付ける。吹き飛ばされた椅子は隣りのデスクへ勢いよくぶつかっていく。


 なんだ? その場にいた者の注目を集めずにはいられない派手なパフォーマンスであった。


 あはは……とばつが悪い笑みのヤスオと、不穏な空気を漂わせていた片桐の目が合う。

 ならば救出が優先となり、後からやってきた菜々と共に席まで運んでくれる。

 現在こうして話しをしているとなった次第である。


「本当に大丈夫ですか、ちょっと見せてください」


 心配する菜々の申し出に、ヤスオはタオルを取った。

 ぐっと近づいてくれば熱心に額のたんこぶを眺めている。椅子に座った体勢のヤスオだから、相手の胸が寄ってくる。未亜が羨ましいとした言葉が甦れば、隠れ巨乳を意識してしまう。間近で確認すれば、なんだか顔が火照ってくる。


 たんこぶ出来てますね、と横の片桐がする指摘に、菜々もうなずく。


「一度、見てもらったほうがいいんじゃないですか。なんだか熱があるような顔色をしてますし」


 まさか菜々の巨乳に反応したせいと悟られてはならない。


「だだだだ大丈夫です。たんこぶが出来たほうが大事ないと言いますし」


 普通なら怪しまれる慌て方だが、普段がそういうヤツだったおかげで逃れられたヤスオだ。少しでも気持ち悪いとなったら病院へ行くんですよ、と言う菜々が湿布を貼ってくれる。またも胸が近くに寄ってきたが、今回は硬直してしまったおかげで余計な口を開かずに済んだ。


 本当にすみませんでした、と片桐がまたもや謝ってくる。よほど思うことがあるらしい。気にしないでください、と返したヤスオに対し言う。


「もうこんなことはないように、と思っているんですが……また同じような場面になれば平静でいられる自信がないんですよ。なんていうか、そのぉ……彼女には真剣なんです」


 胸のうちを、まさしく吐露された。

 以前のヤスオだったら別段何もなかった。現在は、気持ちが揺さぶられる。

 もし何もなければ、応援したい。

 けれども相手が未亜の可能性があれば、単純にはいかない。職場の人間関係を考慮すれば、とする部分もある。


 もやもや、今まで経験したことがない感情に振り回されている。

 なぜか後ろめたい気分を抱けば、ヤスオは残業も厭わず仕事に精を出した。


 おかげで人生初の出来事を経験することと相成った。

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