第一章 恋の始まり
一話 お兄さん
俺は昔からお兄ちゃんだった。二つ下の弟が一人と、六つ違いの妹の二人の兄弟がいる。そのためか両親からお兄ちゃんを頑張ると褒められていた。
最初はそれが本当に嬉しかったし、仕事があるから兄弟のお世話は俺が任されていた。でもいつからだろう……。
お兄ちゃんをするのが辛くなったのは……。期待されることが怖くなったのは……。弟も妹も可愛くて、大好きな存在であることは間違いない。
それでも時々、嫌になってしまうこともある。そんな時は、両親がいる時に一人で街をぶらぶらしていた。
幼稚園の時はうちの近所の公園で、一人で遊んだり適当に友達と遊んだりしていた。小学校に上がってからは、それすらも行きたくなくなってしまった。
そんなある日。俺は大通りの店の前で、何もかもが漠然と嫌になってしまった。そして自分でもよくないと分かりつつも、道端でしゃがみ込んでしまった。
「はあ……」
「なあ、坊主。どうした? 腹減ってんのか?」
「えっ?」
それで話しかけられて、いつもなんとなくケーキをご馳走になるようになった。それが名前も知らないお兄さんとの出会いだった。
黒髪で眼鏡をかけたカッコいい高校生ぐらいのお兄さん。小学生の俺には、とてもその笑顔が眩しすぎて直視できなかった。
「美味か?」
「うん……美味しい」
「そうか、美味か! どんどん食べろ」
俺は静かに、頷いてお兄さんの優しい微笑みを見つめる。俺を見つめるその表情が、あまりにも綺麗で会うのが楽しくなってしまった。
それからというもの、俺は不定期でケーキ屋に行くようになった。苺がたっぷり乗った甘いショートケーキやモンブランなどを食べさせてもらっていた。
それが約一年間もの間、ケーキを食べに行くという口実で悩みを聞いてもらった。店名は子供だったから分からなかった。
今思えば、大したことないことでもお兄さんはいつも真剣に聞いてくれていた。それだけじゃなくて、聞いてくれて俺の頭を撫でてくれた。
「泣きたい時は泣いていいからな」
「う、うわあああん」
いつもお兄ちゃんは偉いなと言われていた。しかし、本当は甘えたいしわがままだって言いたい。
だけどいつも両親は早く仕事に行って、遅く帰ってくる。俺たちのために、頑張ってくれている両親にわがままなんて言えなかった。
そんな溜め込んだものが、名前も知らないお兄さんにぶつけるように腕の中で泣きじゃくってしまった。
今思えば知らない人によく甘えることができたなと思う。むしろ、知らない人だから言えたのかもしれない。
しかし二年生になって、いつもの通りにお店に行ったらいなくなってしまっていた。別に、ケーキが食べたかったわけじゃない。
ただ単に甘えたかっただけで、両親に言えないことを聞いて欲しかった。ただそれだけで良かったのに、お兄さんに何かあったのかな?
それだけのことで、俺の心の中には上手く言葉に言い表せないような虚無感だけが残ってしまった。
「なんで……何かしてしまったのかな」
最初は名前も知らないし、ただ話を聞いて欲しかっただけだった。でもいつの間にか、一緒にいると心地よくなってきていた。
自分が思っていたよりも、楽しくて唯一無二の存在だったことに気がついてしまった。自分でも分かっていた。
どこでどうしているかも分からない人に、ここまで心乱れされている。それが良くないことだってことも……。
それからは何も考えずに、過ごしていた。でも相変わらず、俺の日常に変化はなかった。何故か俺の心は、少しずつ傷が増えていく。
変わったことと言えば、毎年のようにあの店に行くようになったことだ。基本的に、不定期だったが行けば会えると漠然と思っていた。
しかし来る日も来る日も、雨の日も雪の日も行ってみた。それでも一向に会えずに、早いもので中学生になった。
その時に、出会ったのが田口俊幸だった。男の俺でもカッコいいと思えたし、女子から人気があるのも理解ができた。
しかし、当の本人は恋愛なんてどうでもいいと思っているようだった。それどころか、誰に何か聞かれても無視か上の空だった。
俺はなんだかほっとけないような気がして、勇気を持って声をかけてみることにした。
「なあ、俺は新田空雅。遊ばないか」
「ああ、構わない」
俺たちが仲良くなるのに、あまり時間はかからなかった。それから、俊幸以外にも悪友ができた。
「俺は星野遼馬。まあ、適当によろしく」
そう言って気だるそうにしていて、肩まで髪を伸ばしている。そして、目つきが悪いが視力が悪いだけらしい。
基本誰に声をかけられても、仏頂面をしている。しかし、次に紹介する幼なじみの朝陽にだけは笑顔を見せて大笑いしている。
「俺は、斎藤朝陽! よろしくな! 遼馬とは、幼なじみだ!」
次に楽しそうに元気に挨拶してくるのは、八重歯が特徴の可愛い感じのやつ。女子からは、子犬と呼ばれているぐらいだ。
子犬と呼ばれてはいるが、俺や遼馬よりもタッパがある。それがとてつもなく、腹が立って仕方ない。
俺と俊幸は、完全にこの二人に影響されて色々と良くない方向へと進んでいく。まあとは言っても、兄弟の世話や家事をするためにそこまでグレることはできなかったが。
四人でよく喧嘩をしたりしたが、残念なことに俊幸には喧嘩の才能がなかったみたいだ。そんな才能、ない方がいいのかもしれないが。
何度も喧嘩をしたりしては、両親が学校に呼ばれたりもした。少しは両親から怒られると思っていたが、思っていたこととは全くの別のリアクションを取られた。
「少しぐらいは、ハメ外すのもいいじゃないか」
「そうねっ、空雅はいいお兄ちゃんだもの」
少しぐらいは怒って欲しかったから……。ただそれだけだったのに、両親に信頼されているのは素直に嬉しかった。
だけど……それでも頭の片隅にある、あのお兄さんの笑顔を思い出す。すると、急に胸が熱くなってきて大丈夫だと思えてくるから不思議だ。
それでもやっぱ、直ぐに限界が来てしまう。中学一年のとある寒い日のこと。息を吐けば白く濁ってしまい、凍えるような空気が流れていた。
俺は壁に寄りかかって、雪が振っている空を見つめていた。そんな時に、俊幸は隣で手に息をかけて暖めている俺に独り言のように呟いた。
「空雅はさ、人生楽しいか」
「はあ? なんだよ、急に」
「――――俺は、今すぐ消えて無くなってしまいたい」
何故そんなことを急に言ってきたのか、俺には分からなかった。でもこれだけは言える……。
俺も気持ちは分かる。悲しくて苦しくて、もがいても……もがいても……水面に顔を出すことができないそんな感覚。
こんな時、あのお兄さんなら何て言うのかな? 俺には答えが分からないし、答えがないと思うから。
俺は近くにあった自販機で、缶コーヒーを買って何も言わずに渡した。何故か、俊幸に憎まれ口を叩かれてしまった。
「俺、苦いの飲めないんだよな」
「折角、買ってやったのに!」
「頼んでねーよ!」
「おまっ!」
俺は本気で怒ったわけじゃないけど、それもこいつは分かっている。なんだか、少し心の距離が近くなったような気がした。
それからというのも、俊幸は相変わらず女子にはそっけない。勉強も頑張って、俺と同じぐらいの成績だったのにいつの間にか上位になっていた。
しかもあの腹立つぐらい、美形な容姿も相まってか人気が高まっていた。しかし俊幸は頑なに、彼女を作ることはなかった。
正直、興味もないしどうでもいいと思っていた。早いもので三年の春のこと、進路のことで先生に俊幸が呼び出されていた。
そのため遼馬と朝陽と三人で昼休みに、廊下で話していた時のこと。眠そうに欠伸をしている遼馬に聞かれた。
「そういえば、二人ってどこの高校に行くんだ」
「俺は、決めてないよ」
「俺もー。俊幸や遼馬と違って、バカだから選べないし」
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