然すれば 徒花

オノダ 竜太朗

序章〜1865年 元治2年 2月23日

第1話 粛清

 井上源三郎いのうえげんざぶろうはただ黙っていた。

 誰も望んでいない結末。それを目の前にして言葉が出なかった。


 泣いているのは藤堂平助とうどうへいすけ。藤堂は井上と1番歳が離れている。よわい36になる井上からしてみれば、20歳の藤堂なんて子供ガキだ。元服の頃を過ぎれば立派な大人なのだが、中性的な風貌が彼を幼く見せる。言動、表情にもまだ幼さが残る。

 だが、自分は八番隊組長だという自負があり、ガキ扱いされることを最も嫌う。その剣士が、今はただ子供みたいに泣くしかできないのだ。


 その同じ歳の斎藤一さいとうはじめ。こちらはガキのくせに誰よりも冷静で、感情の起伏を見せない。時に冷徹さを感じさせるほど、彼の表情から正体が見えない。その斉藤が、咥えた煙草の煙の先を目で追い、目の前の現実から目を背けている。そして縁側を降り立ち、その場から離れた。


「なんでだよ」


 声を潜めて呟いたのは永倉新八ながくらしんぱち。それを聞いて、そばにいた原田左之助はらださのすけが永倉の脇腹を小突く。顔をしかめた永倉に、原田が目配せをし、首を小さく横に振る。


 視線の先には近藤勇こんどういさみの姿があった。近藤は前川邸の縁側で胡座あぐらをかいていた。苦虫にがむしでも噛み潰したしかつらをして唸っている。はかまの膝の辺りを千切れるかの如く捻り、苦渋に耐えている。ぐぐぐっ、と地響きのような音が聞こえる。膝を掴んで、俯いた近藤から漏れた声だ。

 しかし永倉、原田が気にしたのは近藤ではなく、その隣に立っている男だ。腕を組んで、床柱とこばしらもたれているのは土方歳三ひじかたとしぞう

 土方は、睨む永倉を尻目に、八畳間の中央の男を見つめている。


 細身の体に、肌は青白く、伸びた髪を後ろで束ねている。その男の名は、山南敬介やまなみけいすけ。山南は、裏返した畳の上に着座させられている。短冊と筆、すずり、そしてさやのない脇差が彼の目の前に置かれている。裸の脇差は、根本が紙で包まれている。


「さんなんさん」


 山南をと親しみを込めて呼ぶのは、山南の後ろに佇んでいる沖田総司おきたそうじ



 局を脱するを許さず



 山南は隊の規律に背き、切腹を申しつけられたのだ。

 彼らが屯所にしていた前川邸のこの八畳間で、山南の最期を見届けるために集っていた。想いはそれぞれにある。沖田を介錯に指名したのは山南の方だ。彼を慕っていた沖田にその役目はむごい、と井上は思ったが、『その役目は、私しかいないでしょ』と涼しい顔でこたえた。

 微笑みすら浮かべていた。この若者も、斎藤とは別の意味で何を考えているのか読めない。

 立会人の島田魁しまだかいが、沖田に白布に包んだ介錯刀かいしゃくとうおごそかに差し出す。沖田はそれを無表情で受け取る。島田は手に残った白布を眺め、深い溜息を吐いた。

 背後の衝立の前に、沖田が刀を手に話しかける。


「唄は詠まなくて、いいんですか?」


 青白い顔の男は笑ったのか、ふぅっ、と一息ついて脇差を見つめながらこたえた。


「君に捕まってから一晩考えてみたが......、なにも思いつかなかったよ」


「そうですか」


 沖田は刃先を下に向けたまま、つかを握り直した。


明里あけさとさんには、よろしいんですか?」


 明里とは京都の遊郭島原の元天神、山南が馴染みにしている遊女であった。山南はこの明里と静かに暮らすために、隊を脱したのだ。

 どんどんどんっ、戸を叩く音と『山南はん!』と彼を呼ぶ声が聞こえた。八木家の為三郎が、明里を連れてきた。


「明里には見せないでくれ」


「もう少し時間を作りましょうか?」


 山南は静かに首を振る。


「先刻、充分に話した」


 永倉が明里を探し出し、別室で時間を設けていた。


「いいじゃないですか、どれくらい話したって」


 少し迷った顔をしたが、彼は脇差の紙で包まれた方を手にした。沖田に甘えていると、覚悟がブレてしまう。


「さあ、沖田くん。お願いします」


 山南は背筋を伸ばし、刃先を腹に当てた。


「君の腕なら、苦しむ時間が少なくてすむよ」


「私もそう思います」


 沖田が剣を構える。

 ちらりと横目で、土方と目が合う。土方は舌打ちし、山南が、ふっと自嘲じちょうするように笑う。


「この、鬼が!」


 たまらず口にして拳を握った永倉を、原田が押さえつけた。土方は気にも留めない。


 隊服のダンダラ羽織、浅葱色は死に向かう色。九人のそれぞれの背中には『誠』の文字。


 なにが誠だ。


 俺たちは、いつ、どこで道を間違えたのか。

 この広間は仲間の死を眺めるための場所ではない。八畳間で馬鹿な話や、酒に酔って重なるように雑魚寝した夜、阿呆みたいに馬鹿笑いしていた記憶しかない。懐かしさで視界が霞む。

 井上は自分に問う。自分は何のために新選組であり続けているのだろう。幕府を守るため、尊皇攘夷のため、それともただ刀を振るいたかっただけなのか。

 ただ試衛館しえいかんに集った若者たちと一緒にいたかっただけなのだ。

 過去に戻ることなんかできるわけがない。それなら、いっそこんな現実、消えてなくなってしまえばいい。井上は思った。

 しんしんと降る雪。如月の空は白く、冷たい。

 縁側の外は真っ白い。庭中に敷き積もる雪。

 この八畳間の重い空気とは裏腹に、外から反射した光が差し込む。井上の濡れた目に光が反射し、視界がかすむ。若者たちの姿が歪む。山南と沖田の二人の影も、ぼやけて一つの塊に見えてきた。そして、なぜか手足の指先が痺れてきた。


「君は私の分も、長く生きてくださいね」


「なにを言ってるんですか。私も、そう長くないですよ」


 沖田は労咳を患っている。治す手立てもない。沖田は既に覚悟を決めていた。そして山南の首を落とす覚悟も決めた。沖田は刀を構えた。


「それでは先に行って待って...ま...まっ.......ぐ、ぐぐぐぐぐっ」


 山南は喋っている途中で悶え始めた。腹に当てた脇差を落とし、上半身を前に投げ出しうめいた。


「なにやってんだ、さんなん。この後において命乞いか」


 土方が睨むと、てめえっ、と永倉が土方の胸倉を掴んだ。


「鬼の副長だかなんだか知らねえが、あんた、本当に鬼になっちまったのか、か、か、か...かれかれかれ、れろれろれろれろれろ!」


 永倉が舌を出して痙攣し始めた。彼を止めようと間に入った原田も、槍のようにピンッと真っ直ぐに体を硬直させ、床に転がった。島田の口からはゴボゴボと泡が吹き上がり、顔を真っ赤にしている。島田の腹が破裂しそうなほど風船のように膨らんでいた。

 ガタガタガタッと縁側の板が鳴る。近藤が胡座をかいた姿勢で硬直している。痙攣しているせいで、紙相撲のように板の上で、胡座をかいたまま右往左往していた。藤堂も白目を剥いて、涎を垂らして蹲っていた。


「何事か!」


 そういう土方も首に筋を浮かべ、歯軋りをしていた。目は血走り、額や腕、手の甲の血管が浮き出る。


「だ、だれか、毒でも盛ったのか......!」


 井上は思った。天罰でも食らったのか。それとも消えてなくなればいいという井上の願いが通じたのか。


 突如とつじょ外から白いモノが雪崩れ込んできた。

 雪ではない。熱いのだ。

 強烈な光が八畳間に充満した。

 倒れた永倉と原田の顔面には水泡が浮き上がり、膨れては弾ける。畳の上でもがき、唸り声を上げている。

 暑い。部屋に充満する空気が尋常ではなく、暑い。八畳間の空気が沸騰しているようだ。


 なにやら様子がおかしいと覗きにきた為三郎が、襖を開けると、どっと熱風を浴びる。


「なんじゃ、これはぁ」


 為三郎は腑抜けた声を上げると、彼らの姿を見て腰を抜かした。


「あ、あんたたち......」


「なんだ?ど、うぐっ、どうなってる」


 井上は絞るように声を出した。吐く息が煙のように水蒸気となって、漏れる。


「井上はん、て、手ぇ見てみぃ」


 視界のはっきりしない目を広げ、自らの腕を見た。なんだこれは。肘から先が見えない。視線を動かすと足首もないのだ。


 ドサッと畳の上に、なにかを放る音。先程まで、山南の後ろで構えていた沖田がいない。山南の姿もない。そこにあるのは、沖田の構えていた刀だけだ。

 眉間に穴が開くほどの激痛と、体の痺れを感じ、程なく井上の姿も消えた。


「はてぇ。みんな、どこ行っちまったんだ?」


 八畳間に残されたのは、為三郎ただ一人であった。






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