第四話 路地裏接戦

__ザッカルング共和国ミノ県エイルマ市ルルッカス一番街路地裏__555年8月25日



 アカツキは背後にイヴォンをかばい、「後ろに」とわたしの腕を引いた。それを拒んだのは、ドレスの下で靴を脱いだのが敵に見つかってしまうからだ。


 男たちは馬車一台分くらいの距離をあけて立ち止まると、帽子の鍔を持ち上げてニヤニヤと笑い合う。銃はこちらに向けられたままだった。


「赤毛の女、おまえイモゥトゥだろう。リスル座の踊り子のダーシャ、エイツ男爵家の元使用人ユーフェミア・アッシュフィールド、そして新月の黒豹倶楽部の親玉」


 ここで誤魔化したとしても、力づくで捕まえようとするのは目に見えている。


「わたしじゃ七千万クランはもらえないわよ」


「そんなことは百も承知だ。だがあんたを捕まえれば報酬は出る。おれらは雇われてイモゥトゥの回収をしてるからな」


「雇い主はタルコット侯爵? ラァラ神殿? それともルーカス・サザラン?」


 最後に挙げた名前に、男二人は「サザラン?」と首をひねった。ルーカスのことを知らないだけでなく、サザラン伯爵家はこの件に関与していないのかもしれない。


 思わぬ反応があったのはわたしの背後からだ。イヴォンが「サザラン」とつぶやいたかと思うと、「ウゥッ」とえずくような声をあげて地面に膝をつく。アカツキは彼女の名を口にしかけ、咄嗟に「イ……ザベル」と呼び替えた。


「大丈夫か、イザベル」


「平気よ、兄様」


 咄嗟に「兄様」と口にするくらいなら、イヴォンの体調不良は敵を油断させるための演技かもしれない。実際、男たちは目の前の少女が七千万クランのイモゥトゥだとは微塵も考えていないようだ。


「なあ、ダーシャさん。あんたが大人しくついて来るなら後ろの二人は見逃してもいい。アカツキ・ケイを殺したら厄介なことになるし、死体の処理も面倒だからな。

 ケイ公爵令息殿、あんたはその子を連れて大人しくヘサン伯爵のところに戻るんだ」


 男は銃を構えたままジリジリと近づいてきた。


 三人で駆け出せば男はわたしを撃って足止めするだろう。それでアカツキとイヴォンが逃げる隙を作れるならまだしも、アカツキが負傷したわたしを置いていくはずがない。


「ケイ卿、イザベルを連れて歌劇場に行ってください。へサン伯爵様も心配しているはずです」


「あなたも一緒に戻らなければ心配の種はなくなりません」


 男たちは薄ら笑いを浮かべてわたしとアカツキのやりとりを聞いていた。アカツキを説得するのが無理なら、どうにかしてここを突破するしかなさそうだ。


「わたしを捕まえても、明日にはタルコット侯爵が警察に捕まることになるわよ。あなたたちは相当目立っていたし、タルコット侯爵とマントの男が一緒に行動していたのは知られてる」


「マントの男が何人いるか知ってるか? マントも帽子も捨てて流行りのツートーンベストを着れば誰が誰かなんてわからない」


「でも、目撃者がいれば関係ないわ。ほら、通りから何人もこちらを見てる」


「何っ!」


 男たちが背後を振り返った瞬間、わたしは拳銃目がけて走った。男はすぐこちらの動きに気づいたが、彼らが距離を詰めていたおかげで標的は目の前。


「クソッ、騙したな! この女」


 わたしは咄嗟に身をかがめ、頭上で銃声が鳴り響いた。勢いに任せて男の手を蹴り上げると、銃は壁にあたって地面を転がっていく。この体に宿る本能は攻撃の手を緩めず、無意識の後ろ回し蹴りで男の股間を仕留めていた。


 一人は悶絶して地面に突っ伏し、もう一人の男が慌てて銃に手を伸ばす。しかし、先に追いついたアカツキが思い切り銃を蹴り飛ばして、まっすぐ通りの方まで転がっていった。


「銃だわ!」


 銃声のせいか路地の入口にはいつの間にか人だかりができていた。中年紳士が拳銃を拾い上げ、隣にいた夫人が興味津々にそれをながめている。


「ねえ、あなた。あのマントの男、イモゥトゥ探しをしていた貴族の手下よ。若い子を手当たり次第これで脅して連れて行こうとしているのかしら。さっきのオペラで観た村人みたいにおぞましいわね」


「無関係の女の子に暴力を振るう方がよっぽどタチが悪いさ。おい、すぐに警察を呼んでこい」


 どうやら観劇帰りの夫婦らしく、そばにいた従者が「承知しました」と人垣の奥に姿を消す。負傷した男はまだ動くことができず、もう一人がまごついているうちにわたしたちは目配せし合って路地の奥へ走った。


「あっ、おい、待て!」


 十字路を左へ曲がると通りに出たが、外灯はなく窓明かりがポツポツ見えるだけだった。「逃がすか」という声と足音が聞こえ、わたしは曲がり角に隠れて足元の鉢植えから花を引っこ抜く。そして、男の姿が見えた瞬間、土だらけの根っこをその顔目がけて投げつけた。


「うわっ!」


 目潰しには成功したが、男がやみくもに振るったナイフがわたしの右腕を切り裂いた。


「アア……ッ!」


「ユフィ嬢!」


「平気よ! 先に行って!」


 男は目が開けられず、ナイフを振り回しながらジリジリと後ろに下がっていった。わたしは痛みに耐えて植木鉢を投げつけ、その鈍器は男の肩にあたってナイフが地面に落ちる。男は本能的に股間を防御したがわたしの右足は敵の側頭部をとらえ、敵は脳震盪をおこして地面に倒れ込んだ。

 

「ユフィ! 無茶し過ぎだ」


「じきに治るわよ」


「そういう問題じゃないだろう!」


 厳しい口調とは裏腹に、アカツキは血だらけの腕に優しい手つきでターバンを巻きつけた。騒ぎを聞きつけた住人が窓から顔を出してこちらを覗き見ているのが気になったが、警笛の音が鳴り響くと意識はそちらに向く。


「本当に警察が来たみたいだ。一旦隠れよう」


 アカツキはわたしとイヴォンを建物の陰に追いやり、自分も隠れて通りの様子をうかがった。イヴォンの体調不良は演技ではなかったらしく苦しげに眉間に皺を寄せていたが、「これを」と地面に置いたのはわたしが脱ぎ捨てた靴。


「回収してくれたのね、ありがとう。それよりイヴォン。もしかして何かの病気?」


 小声で問うと、彼女は「いえ」とか細い声で答える。


「交霊で嫌なものを見てしまって、それで気分が――」


 イヴォンは話を続けようとしたが、背後に気配を感じてわたしは彼女の口を塞いだ。ランタンを手に暗がりの中に立っているのは長身の女性。黒髪をポニーテールにし、気の強そうな吊り目でじっとこちらを見ている。


「あなたはパヴラさんですね」


 イヴォンがそう言ってわたしの前に出た。


「わたしの名前はイヴォンと言います。タルコット侯爵に追われているので匿ってもらえませんか」


「イヴォン? まさか、本当にあのイヴォン?」


 少女が茶色のカツラを外すと、パヴラはジッと目を凝らして「本当だわ」と肩をすくめる。そのあとわたしと目を合わせた。


「ユフィ、後ろの彼には話した?」


「まだ」と答えると、パヴラからは「了解」と短く返ってくる。彼女が勝手にわたしの正体を暴露することはなさそうだった。


「ねえ、そっちのお兄さんはアカツキ・ケイよね。ソトラッカ研究所の研究員でしょう? わたし、少し前までヨスニルにいたの。セラフィア・エイツの事故について探ってるときにあなたの姿を見かけたわ。チェサタイムスの支社の前ですれ違ったんだけど、覚えてないわよね」


「覚えてないね」


「そうよね。わたしも新聞社の人に聞かなかったら見過ごしてたわ。セラフィア・エイツの事故のこと、何度も尋ねに行ったんですって? それで何かわかった?」


 不意にイヴォンが「ウウッ」と苦しげな声を漏らし、アカツキが「代わりましょう」と前に出て彼女を抱きかかえる。


「……ルーカス。どうして彼が……」


 少女の口からこぼれ出た言葉に、わたしとアカツキは顔を見合わせた。彼女は明らかに交霊状態にあり、そしてルーカスの姿を見ているのだ。

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