第4話 東京ジャンクション

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六本木駅の地下道から地上に上がった瞬間、健太は人混みと蒸し暑さにうんざりしながら交差点を抜け、乃木坂の方向に歩いた。主に役者が所属する芸能事務所で昭和、平成と活躍した俳優Kの資料を借りるためだ。あの時代の俳優は貫禄がある。自分が生まれる前から活躍していた俳優だからそう感じるのか、何か大きく感じるのだ。

 そのビルは数段階段を上がり両側に立派な大理石の彫刻が施してある入り口を入るとビーナスの石像が微笑み迎えてくれた。大きなエレベーターで芸能事務所のある8階で降りると、凄んだ顔の悪役に囲まれた俳優Kが真ん中でポケットに手を突っ込みタバコをくわえてる大きな写真が壁一面に貼られていた。

 入り口のタッチパネルで日毎に変わる暗証番号を先ほどメールで伝えられていたので、その番号をタッチすると扉が開いた。正面の受付に座っていた女性に名前を告げるとゲストルームと書いてある部屋に通された。受付とは別の女性が丁寧に挨拶をしアイスコーヒーと冷水をだしてくれた。とても気持ちの良い空気が社内に行き届いている。喉が渇いていたので水を一気に飲み干し、アイスコーヒーもシロップとミルクを入れずに半分ほど飲んだところに、この空気とは完全に場違いなド派手なオッサンおねぇが入って来た。

「いやーお待たせちゃんで、メンゴメンゴですー。暑いとこわざわざすみませんねぇ。初めまして。私,Kのマネージャーの天音(あまね)と申します。みんなアマ姉(あまねー)と呼んでます。どうぞシクヨロちゃん」と言って名刺を渡してくれた。必要以上に手に触れたりしてくる。「初めましてシューティングスターコーポレーションの早瀬健太と申します。この度、大変お世話になります。よろしくお願いいたします」

「まあ可愛い。お座りになって。今Kの資料をお持ちしますわね。ちょっとバタバタしててねぇ。ここのところうちの若手の俳優の海外ロケが続いてたから、まとめるのが遅くなってしまんとがわよ」

ところどころ奇妙な言葉が入ったが、理解できた。人も良さそうだった。

『失礼します』と言って2メートル近くはありそうな大男がダンボールの箱を抱えて入って来た。顔は異常に長く、口だけがおちょぼ口でマンボウのようだ。ダンボールを机の上におくと『初めまして長居と申します。よろしくお願いします』と名刺をくれて丁寧に頭を下げた。

「香ちゃんありがとう。全部入れておいてくれたかしら?」

『はい、ロッカーに入っていたものはこれで全部です。失礼します』と言って出て行った。

「早瀬ちゃん、この中から好きな写真選んで頂ける。なにせ時代物のプロマイドだからポーズは限られるけど。ちょっと失礼」と言って部屋から出て行った。

 俺はさっきの長居という人の名前が香と聞いて吹き出しそうになるのを堪えていた。長居香。まさに長居顔じゃないか。深田香の字とも一緒だ。笑いを堪えながらダンボールの中からアルバムを取り出してページをめくった。確かに写真のポーズのバリエーションは少ないが、どれも今の時代にはない存在感と風格があった。モノクロ写真そのものがそう映るのか、昭和のスターたちの貫禄なのか。

 いくつかの写真を選び、アイスコーヒーを飲んでいると、あまねーが戻って来た。

「どうかしら、使えそうな写真はあって?」

「ありがとうございます。このお写真をお借りしたいのですが?」

「もちのろんちゃん。お役に立てるなら嬉しいわ」

「ありがとうございます。ではこのお写真をお借りしていきます。お世話になりました。今日はこれで失礼いたします」

 何かが引っかかり、気になっていた。

部屋を出てエレベーターに乗って気がついた。あまねーは太ってはいたが、彼女も、いや彼も昭和のスターだ。もうかなり前から表舞台には出てこなくなっていたが、紛れもないスターだ。確かおばあちゃんが好きだったんだ。俺は1階に着くと、とっさにまた8階のボタンを押した。自分で押してから戻ってどうするんだよと思った。おばあちゃんがファンです、サインくださいとでもいうのか。そうしてるうちにエレベーターの扉が開き、とりあえず降りようとすると女の人がいてエレベーターに乗ろうとしていた。階を確認すると5階だった。俺は中に戻り、その女性も乗って来た。なんと女優のAだった。

 まさかだ。Aは深田に似ていて昔からファンだった。いや深田がAに似ているから好きになったのだ。やばいやばい、話しかけたいと思っていると、8階についた。先に品良く会釈してAが降りた。俺は変に思われないように堂々としていようと決め、あまねーに古いポスターはあるかを聞こうと、とっさに思いついた。

 Aは正面入り口ではなく、先ほどは気づかなかった横にある社員口と書かれたドアから入って行った。俺は正面入り口のタッチパネルで、先ほどの暗証番号を押した。扉が開いて受付の女性が笑顔で「どういたしましたでしょうか?」と聞いた。俺は「申し訳ありません、ポスターをお願いするのを忘れてしまいました。よろしいでしょうか?」と伺うと「少しお待ちくださいませ」と奥に入って行った。少し待つと、顔の長い長居さんが出て来た。

「ポスターはほとんどまともなものがなくて、ボロボロのが数枚あったのですが、倉庫のどこかにあるのです。今すぐには出せないですね。申し訳ありません」

「いやいやこちらの方こそ急を言ってすみません。でしたらこのお写真と、頂いているデータ写真で十分です。ありがとうございました」そう言って出ようとした時、別の廊下からあまねーと女優Aが歩いて来た。

「あら早瀬ちゃん何かお忘れ?」

「いや大丈夫です。またご連絡させて頂きます。失礼いたします」

「Aちゃん、こちらがKの特別展を企画してくださる早瀬さん。あなたもそのうち企画してもらえるといいわねぇ」とあまねーが真面目な顔で言った。

「先ほどエレベーターの中でお会いしましたね。Aと申します。よろしくお願いいたします」と丁寧に頭を下げた。

「シューティングスターコーポレーションの早瀬と申します。よろしくお願いいたします」というのが精一杯だった。サインくださいとは言えない。まさかここで会えるとは思わなかったので感動だった。一気にテンションが上がり、仕事が楽しみになった。



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外に出ると、ものすごい蒸し暑さだった。ニューヨークから帰って来てすぐに、Kを含めた時代劇で昭和の戦後の日本を元気づけて活躍した俳優5人の特別展『5人の侍』と題した企画が始まった。

 健太はKともう2人の俳優の資料を集める仕事に没頭した。写真、映像、素顔の人柄。大体はどこの事務所も忙しく、メールやデータでのやり取りに終始した。実際に使った当時のポスターやプロマイド写真等はその事務所の担当マネージャーのアポをとり、事務所に出向いて資料を借りる。5人のうちの2人は亡くなられているので、ベテランのスタッフが担当した。

 ニューヨークから帰って来てまだ2週間だが、あれは夢だったのじゃないかと思えるくらい現実に戻っていた。深田香とはメールでやりとりしていた。彼女の方もあれから忙しく、まだ日本に帰って来てから会えていない。深田がフライトから戻る今週末に会う約束をしていた。

 最近夜も外食ばかりが続いていて、一人暮らしのマンションに戻るのは夜の12時を過ぎていた。すぐにシャワーを浴びて寝る。あっという間に朝だ。その繰り返しで休みはしばらくない。

 久しぶりに打ち合わせも夕方で終わり早めに帰路につき、スーパーマーケットで夕飯の買い物をしていると深田からの電話が鳴った。

「お久しぶりー。さっき帰って来たのー」

「久しぶり。じゃまだ空港?」

「そうなの。早瀬くんは仕事中?」

「珍しく早く切り上げられて、今夕飯の買い物をしてた。ここんとこ毎日外食だったから」

「何を作るの? 早瀬くんの料理食べてみたいな」

「料理は全然ダメだよ。出来合いのものばかり。味噌汁くらいだな作るの」

「じゃ明後日、早瀬くんのうちで一緒に何か作って食べましょう。買い物も一緒にして」

「うちで?狭いしくつろげないよ」

「そういうことしてみたい。2人で。お願い」

 

 なんとなく深田に押し切られて、そういうことになった。俺は4年前から下町の実家を出て目黒区の1DKのマンションに一人暮らしをしている。ほとんど寝に帰るだけで、休みの日はひたすら寝て、夕方からは健康ランドに行ってしまうので、掃除はしていなかった。

 今夜は夕飯を済ませると、久しぶりに部屋とキッチンと風呂の掃除をした。大量の洗濯物を大きめのスポーツバッグに詰めてコインランドリーにも行った。ソファベッドを綺麗にしてたたみソファにして、仕舞い込んでいたカバーをかけた。小さなテーブルも出してみた。深田が来る当日は花を買おうと思った。明日の仕事が終われば、明後日は2週間ぶりの休みだ。そして深田と会う。心の片隅で彼女の過去の話はまだ消えたわけではない。でもこの2週間、忘れるようにしていた。この先もそのことは2度と話題にしないと決めた。好きな気持ちが熱くなるほど、その影が横切った。



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 翌日は朝、小雨がぱらついて、少し涼しく感じられた。今日は1日会社のデスクで『5人の侍』特別展に向けた資料のレイアウト作成だ。

1ヶ月後の開催に向けて会場内に設置する資料、写真、DVD映像の配置をコンピューターでシミュレーションをする。もうすでに会場となるデパートには宣伝用のポスターが貼られ、フライヤーも配られていた。

「早瀬、今夜この後空いてるか?」とこの企画制作の上司の上原がそばに来た。

「特にないです。」

「あまねーとの食事会なんだけど、お前も来ないか。Kも顔を出すらしい。女優のAも来るらしいぞ。」

「ほんとですか? 行ってもいいんですか?」

「お前もあの事務所と仲良くしておいた方がいいし、そのうちお前にあそこの担当を全部任せるよ」

「ぜひお願いします」

「お前Aのファンだろう」と言ってニヤニヤ笑った。「あっ早瀬、中目だろ? 早めに上がって着替えて来られるか? ちょっとTシャツじゃまずいんだよ。襟ありのシャツなら大丈夫だから。ついでにジーパンじゃないパンツがいいな」

「わかりました」

 この会社に入ってこんなにときめいたのは初めてだ。続けていてよかったと、これほど思ったことはなかった。やっぱり今を頑張ってアクションを起こせば未来は変わるんだ。ニューヨークの旅で俺は変わった。深田のこと、仕事のことも全部良い方向に向かってる。

 上原とは18時に会社の最寄駅である恵比寿駅で待ち合わせた。だいたい社内の打ち合わせには10分以上遅刻して来る上原だが、3分前ですでに来ていた。それも素敵なサマースーツに着替えていた。

「上原さん、早いですね」

「おー早瀬、いいじゃない、そのシャツ。お前おしゃれだからな。あまねーに気に入ってもらえるよ」そう言ってタクシーを止めた。

 六本木ヒルズの51階にある会員制レストランの大きな窓からは東京タワーが金色に輝いて見えた。天音さんはすでに来ていて、店の人と立ち話をしていた。

「あらー上ちゃん、早瀬ちゃん、ようこそ。この奥の窓際の席よ。ちょっとKが遅れているから先に初めてましょう」

 あまねーは金色のシルクのブラウスとゆったりした金色のパンツを履いて素敵だった。やはり元々ハンサムなのだ。奥の席に行くと、女優のAが後ろ向きに座っていた。上原がAさん上座にお願いしますと言うと、あまねーは「今夜はお二人が上座よ。上ちゃん早瀬ちゃん、座って。」と強引に座らせた。そしてフロアースタッフにオーダーを注文した。

 「お二人はお飲み物は何になさる? シャンパンは頼んだけど、飲みたいものがあればおっしゃって。上ちゃんおビールでしょ」

「いや、あまねーの頼むシャンパンは特上なので頂きますよ」

「早瀬ちゃんは? 遠慮することないのよ。請求書出すから」そう言ってあまねーは笑った。素敵な笑顔だった。

「そうしてください。俺たちいつもこき使われてるから、こういう時ぐらい」と上原が言うと、

「何言ってんの、冗談よ。勘ちゃんにうちがどんだけお世話になって来たか」とあまねーが真顔で答えた。

「うちの社長とあまねーは長いですよね」

「そう、腐れ縁。上ちゃんとももう長いね」

「そうですね。僕が入社してすぐに社長とご挨拶に行かせてもらいましたから、もう20年以上になりますかね。しごかれたしごかれた」

「よく言うわよ。ねぇ」最後は俺の顔を見て言った。この会話を聞きながらも俺は目の前にいるAの存在が気になって仕方なかった。

 シャンパンと前菜が運ばれ、乾杯して食事が始まった。ずっと静かだったAが

「早瀬さんは入社されてどれくらいになりますの?」まさか最初の言葉が俺への質問で思わずちょっとどぎまぎしていると、代わりに上原が「早瀬はAさんの大ファンですからねぇ、もう今夜は緊張しまくってます」と言って笑った。

「まあ、そうだったのね。早瀬ちゃん今大チャンスよ。この子彼氏に振られて傷心だから」とあまねーが言った。

「天音さん、やめてくださいよ。そんなこと言うの」とAは本当に嫌そうに、恥ずかしそうに言った。やばい、なんて可愛いんだ。本当にやばい。これ現実か? そう思っていると、

「早瀬、なんとか言えよ」と上原に促された。

「あっすいません。僕は入社して8年になりました。なんとか上原さんのおかげでやれてるって感じですが」

「早瀬も8年経つか。いやAさん、彼は優秀ですよ。仕事もできるし、人との付き合い方もうまい。多少呑気なところもありますが、素直で優しくて思いやりがある」と上原が褒めると、あまねーが「上ちゃんが人をそんなに褒めるなんてよっぽどねぇ」と笑った。

「いや~ダメダメですよ僕は。やることが遅いし、なんでも考えすぎちゃうから時間がかかる。それに優しいんじゃなくて僕の場合それは弱さなんです。嫌だって言えない弱さです」

「正直。誠実に見えます」そう言ってAは微笑んだ。

「まあ、どうしちゃったのAちゃん。早瀬ちゃんに惹かれた?」そう言ってあまねーはAさんをからかう目をした。

「はい。早瀬さん和みます」俺はドキドキしているのを隠そうと

「疲れ果てたらいつでも言ってください。和ませます」そう明るく言ってみた。

 Aさんは「嬉しい。よろしくお願いします」と言って素敵な微笑みを見せた。彼女がテレビドラマや映画の中で見せる微笑みだ。

 「あなた達お似合いのカップルになるわよ」あまねーがそう言った時、あまねーの携帯電話がなった。「Kからだわ」そう言って電話にでた。

「はい、もしもしお疲れさま。はい、はい、わかった、お待ちしてます」電話を切ると、「駐車場についたみたい。そこまで行って来るわ」あまねーは席をたった。

 食事はとても美味しかった。たまにAさんと目があった。ドキドキはお酒のおかげで治ってきたが胸がときめきでキュンキュンした。

 入り口の方からあまねーの声が聞こえた。その時、上原の合図で立ち上がった。Aさんも立ち上がり、Kさんを迎えた。

「遅くなってすいません。お座りください。Aちゃん久しぶり。活躍してるね」そう言って自分も座った。

「お久しぶりです」Aさんは笑顔で臆することなく挨拶をした。さすが女優さん、度胸が据わってるなぁと思った。Kさんはあまねーにビール頼んでくれと言った。

「上ちゃんも変わらないねぇ。今回は色々企画してくれてありがとう。お隣は上ちゃんの舎弟かい」Kさんはそう言った。上原が答える前にあまねーが「Aちゃんの彼氏よ」と真面目な顔で言った。

 俺は立ち上がり「シューティングスターコーポレーションの早瀬健太と申します。厚かましくお邪魔してます」そう答えた。Kさんは立ち上がり「Kと申します。よろしくお願いします」と握手をしてくれた。俺はすごく感動した。大スターのKさんの大きさにすでに包まれてる。ぶっきらぼうさの中に丁寧さ。鋭い眼の中に人を緊張させない優しさと奥ゆかしさがあった。

 ビールとシャンパンが運ばれて来ると再び乾杯をした。

 


    20

 

 何かが変わってきた。ニューヨークの旅行へ行くと云うアクションから、成田空港での奇妙な出来事。深田香との再会。ニューヨークでの深田とのまさかの展開。そして仕事が楽しくなり、今夜もこうして信じられない人達との食事会。 

 何がこうも自分の人生を変えていくんだろう。嫌いだった過去が深田とのことで好きになっている。今を変えれば過去も変わる。まだまだ過去に残してきた失敗、やり直したいことはたくさんある。でも少しづつ曇っていた未来も、なんだか晴れて見える気がする。そんなことを飛び交う会話の中でふと考えていると、

「何か考え事をしてたでしょう? 彼女さんのこと?」とAさんにふいに言われてびっくりした。「いや、全然そう言うんじゃないです。ただ最近不思議なことが続いて」

上原と雑談をしていたKさんがそれを聞いていた。

「不思議なこと。いいねぇ。聴きたいなぁ」とKさんは上原にワインを注ぎながら真剣な顔で言った。

「私も聞きたい」とすかさずAさんが言う。

「さあ、お話なさい。話さなきゃここから出られないわよ」とあまねーが冗談混じりにどすの利いた声で言った。上原はニヤニヤしていた。


 「僕は先月、休みを頂いてニューヨークに行ってきたんです」

「わお、かっこいい」とあまねーが酔っているので大きな声で言った。

「静かに」とKさんが諌めた。あまねーはお茶目にベロを出し、申し訳ないと言う表情をした。

「本当はどこでもよかったんだけど、前に上原さんの助手でいかせてもらったニューヨークの刺激的な高層ビルの通りを1人で歩きたいと思って」

「よく上ちゃんが10日間もの休みを許したなぁ: 仕事大好き、仕事の鬼の上ちゃんがな」そう言ってKさんは上原をみた。

「いや、こいつは仕事を辞めるつもりでいたんですよ。なぁそうだろう早瀬」やはり酔っているので声が大きい。「でも俺はこいつを辞めさせたくなかった。ニューヨークでもどこへでも行って頭切り替えられたらいいと思ってた。帰ってきて辞表を出したらもちろん破り捨ててた。ところが帰ってきたこいつの目は輝いてた。まるで翳っていた鉛色の海に光が差してエメラルドグリーンに変わったって感じですよ」

 俺は上原の真剣な目を見た。不思議な絆を感じた。大雑把で口は悪いが、仕事の実績は社内では群を抜いている、遊んでいるかのように仕事をする。自分には真似のできない攻撃的な活動力。そして何より部下への思いやり、困り果てて、いざという時には必ず守ってくれる包容力。そんな彼を尊敬していた。

 俺は成田空港で起きたことから、深田との再会、潜在意識の力、今の気持ちを良い方向に変えていくと過去も未来も素敵に思えて来ることを話した。深田との出来事は深くは言わなかった。

 みんな感心して頷いてくれていた。こんなすごい人たちの前で、落ち着いてこの話をした自分にも驚いた。

「潜在能力で君が突然英語でしか話せなくなった数時間は日本語を忘れたと言うこと?」最初にそうKさんが質問した。

「いえ、意識の中では日本語で伝えているつもりなんですが、話すと英語になってしまうんです」

「じゃ今もそのまま英語はスラスラ出て来るの?」Kさんが再び質問した。

「いや残念なことにスラスラとは出てこないです。ただ前より聞き取る力や、浮かんで来る単語力は速くなりました」

「深田さんとの絆はきっと太いですよね。帰ってきてからもお会いになっているのでしょう?」とAさんは言うとワインを一口飲んだ。

「いや、彼女もあれから仕事が忙しくて海外からようやく昨日戻ったそうです」

「おいおい、いよいよモテモテな時期に突入って感じだなぁ」と上原が酔った赤ら顔で言った。

 珍しく静かにワイングラスを両手でつつみ窓の景色を見ながらあまねーが「私が女に変わったのも潜在意識がそうさせたのよ。潜在意識はものすごい実行力を持っているの。何せ前世からだもの、自分は知らないけど、魂は知ってるのよ。だからお世話になった人や、逆に恨んでる人のこともわかってる」とボソッと言った。

「あまねーそう言うことに詳しいんですね」と上原が言うと、「なんちゃって。何かの雑誌で読んだのよ。前世とかに興味があったから」

「魂はわかってるって怖いですねっ」とAさんが少し大げさに言った。

 Kさんは「潜在意識、潜在能力か」と言って何かを考える目をした。その後、

「今夜は色々勉強になったよ」と言って、あまねーにそろそろと言う合図をした。

「明日も朝早い撮影があるんでこれで失礼しますよ。最近は夜が弱くてね。年には勝てない。申し訳ない」と笑顔で言うと立ち上がった。その間あまねーは運転手の人に電話をかけていた。皆立ち上がりKさんを見送った。

 全てが絵になるとはまさにこう言う人を言うんだとわずかな時間をご一緒させて頂いたKさんの魅力に圧倒された。自分にはあのような人になれる要素が少しでもあるだろうか。

 Kさんが帰るとみんな力が抜けたように酔いも回り話題もバラバラに飛びまくった。上司の上原が、かなり酔って「そろそろ俺も明後日からの出張の準備があるんで帰ります」と言うとあまねーが「あら、上ちゃんダメよ、もう一軒行くわよ」と言って立ち上がった。かなりフラフラしていた。

「今日は早瀬を人質に置いていきますから、可愛がってやってくださいよ」と最後の方はろれつが回ってなかった。何か背中がぞくっときた。まさか、あまねーに俺は誘われてしまうのか。それはやばいと思い「上原さん、僕も帰りますよ」と言うと、上原は「早瀬、ちゃんとあまねーのお供をしてこい。それも勉強だ。」と言ってあまねーと腕を組み店の入り口にフラフラ歩き出した。

 不安そうな俺の顔を見てAさんは笑顔で「大丈夫よ。行きましょう」と促した。

 

 ビルの1階に降りると、ひときわ大きな長居さんが待っていた。長居さんに案内されて待たせてあった車まで歩いた。高級なレクサスの大型車に運転手がドアを開けてくれた。3人が乗り込み長居さんは助手席に乗り道案内をした。西麻布から広尾を抜け白金に向かった。あるビルの前で長居さんはそこで止めてと合図して車は止まった。

「香ちゃんも寄ってお行きよ」とろれつが妖しいあまねーが言った。

「いや明日から自分香港です。準備あるし」

「もうみんな海外海外で、日本の良いところたくさんあるのに、全くテレビ局は。香ちゃん食事は?」

「もう済ませました」

「ちゃんとしたもの食べなさいよ。はいこれはあなた達に別料金。小林も香ちゃん送ったらこっちこなくていいから、もう帰りなさい」酔ってるはずのあまねーは運転手と長居さんにきちんと労いの言葉をかけた。

   


     21

 


 ビルの裏手から地下に降りる横に広い階段を降りるとエレベーターがあり、乗り込んだ。中のどこにもスイッチボタンがなかった。相当自分が酔っているのかと思ったが、そうではなかった。通常エレベーターの階ごとのボタンがあるあたりに42nd STと書いてあった。あまねーが自分のバッグから取り出してあった小さなリモコンのボタンを押すとエレベーターは動き出した。上に昇っているのか、下に降りているのかわからなかった。

「42nd St. 

というのが店の名前ですか?」とあまねーに聞いて見た。

「そうよ、秘密の場所」とあまねーが言った。不思議な感じと42nd St. 

という名前に親近感を覚えた。ちょっと怖い気もしたが、Aさんもいるので襲われることはないと思い、安心した。

 エレベーターの扉が開いた。急に明るかった。他のお客もいるようなざわついた感じがした。明るい部屋に入ると黒い細身のワンピースを着た絶世の美女が現れた。完璧だった。

「いらっしゃい、お待ちしてましたよ。こちらへ」そう言って正面のステージに近いコの字型の大きめのソファに案内してくれた。

 「あら、天音さんの新しい彼? 素敵」と俺に軽くハグした。すごくいい匂いがした。あまねーが「気安く触らないでミーちゃん私の彼に」と座りながら言った。俺はコの字の真ん中に座らされた。ミーちゃんと呼ばれた女性は俺を見ながら「怖い怖い」と言い「お飲物何になさる?いつものボトルでよろしいのかしら?」

「早瀬ちゃん、ヘネシーでいい?」とあまねーが聞いた。

「そんな高級なお酒飲んだことないです」

「じゃ飲んでみて。口に合わなければ別のを頼めばいいし。Aちゃんは大丈夫ね」

Aさんは「はい、お願いします」と答えた。

「お食事はよろしいのね?」とミーさんがあまねーに確認して奥に消えて行った。周りを見回すとテレビで知った顔の人たちが何人かいて、それぞれの席で店の女性に接待されて楽しんでいた。

「あいつら男」とあまねーが耳打ちした。俺はなんのことかわからず誰のことか聞き返した。

「この店のみんなよ。厳密には元男ね。下もないからね」

俺は酔っていて最初なんのことか理解できなかったが、Aさんが「私も最初に連れてきてもらった時、すごく驚いたの。ミーさんほんと綺麗だもの」と言ったので理解できたが、やはり驚きすぎて思わず「えーっマジですか?」と大きな声を出してしまった。

「ちょっと早瀬さん声大きいですよ」とAさんにたしなめられた。

「すいません」と言う俺にあまねーはゲラゲラ笑った。

 ボトルのセットが運ばれてきて飲み方を聞かれ2人の真似をしてロックでチェーサーの水をもらった。おつまみの生ハムとメロンを食べながら別世界に来たと感じながらもミーさんのあまりにも美しい顔やスタイルに見とれた。あまねーに促されてミーさんは、俺とあまねーの間に座った。完全に女性だ。ここまで男が女に変身できるものなのか。自分で気づかないうちに俺はミーさんに見とれていた。

「ちょっと恥ずかしいわ、そんなに見ちゃ」とミーさんに言われて我に返った。

「すみません、悪気はないです」と咄嗟に言ってしまった。あまねーとAさんに笑われた。

「この店の女達はね、完璧を求めてるの。女として完璧な姿。女の理想像。今からすごいショウが観られるわよ」とあまねーが言うと、「また天音さん、そんなに大げさに期待させないでくださいよ」とミーさんは素敵な微笑みを見せた。「私すごく勉強になります。女性とはこう美しくなれるものかって。全てにおいて」とAさんは真剣に言った。ヘネシーの甘い香りと店に漂うリッチで優雅な雰囲気の中、あたりの照明が徐々に暗くなった。いつの間にか隣にミーさんはいなかった。Aさんがすぐ近くに来ていた。何か夢の中に吸い込まれていくような感じだった。

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