【SF短編小説】生命方程式の謎―エイダ・チャンの遺産―

藍埜佑(あいのたすく)

第一章:生命の方程式

 静寂な研究室に、時計の秒針の音が響き渡る。壁に掛けられた大きな黒板には、複雑な数式がぎっしりと書き込まれていた。その中心に立つのは、エイダ・チャン。彼女の眼差しは、解き明かしたばかりの方程式に釘付けになっていた。


 エイダは小柄ながらも、その存在感は圧倒的だった。彼女の瞳は好奇心で燃え、常に新たな真実を求める情熱に満ちていた。彼女が数年にわたって追求してきた問い、「生命とは何か」という哲学的な疑問に対する答えが、今、目の前にある数式として具現化されていたのだ。


 エイダは、生命の起源を探求する中で、物理学の深淵に触れていた。彼女は、量子力学と相対性理論が示唆する宇宙の法則が、生命の誕生にも深く関わっていると確信していた。そしてついに、数式を通じて生命の本質を解き明かすことに成功したのである。


 彼女が見つけた数式は、生命がなぜ誕生し、どのようにして成長し、そしてなぜ消え去るのかを完璧に説明していた。


 それは、生物学だけではなく、宇宙の根源的な真理をも解き明かす鍵となるものだった。生命は、宇宙のエントロピーを増やすための一時的な局所的秩序であり、宇宙の混沌を増大させる一環なのだ。


 研究室の扉が静かに開き、若い助手が入ってきた。彼女の名はリン。エイダのもとで学び、研究を手伝う有望な学生だった。リンはエイダの前に立ち、驚きを隠せない表情で黒板の数式を見つめた。


「先生、これは本当に……?」


 リンの声は震えていた。


 エイダは微笑みながら頷いた。


「そうよ、これこそが生命の方程式よ。私たちが追い求めてきた答えがここにあるの」


 リンは感動で言葉を失い、黒板に描かれた数式に再び目を落とした。数式の美しさと、それが持つ意味の重大さに圧倒されていた。


 しかし、エイダはさらに深い思索に耽っていた。彼女は数式の中に、ある極めて微細なパターンを発見していた。それは、生命が消滅した後も何らかの形で「続いている」ことを示唆していた。エイダはそのパターンを「生命のエコー」と名付け、その神秘に更なる興味を抱いていた。


 研究室には、エイダとリンのほかにも、研究に関わる者たちの気配があった。彼らもこの歴史的な発見に立ち会っていることに興奮を隠せないでいた。しかし、エイダの心の中では、すでに次の一歩を踏み出す決意が固まっていた。


 彼女は、数式が示す「生命のエコー」を実証するため、自らの命をかけた実験を計画していた。エイダは、自身の意識を数式によって定義された次元へと転送することに成功すれば、肉体を超えた存在の場、時間や空間の概念が存在しない世界を体験できると信じていた。


 その夜、エイダは実験の準備を始めた。彼女の心は、恐れや不安ではなく、純粋な発見への渇望で満たされていた。彼女は知っていた。これが、生命の真の意味を問い直すきっかけとなる大いなる一歩になると。そして、エイダ・チャンの名は永遠に歴史に刻まれることになるのだった。

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