小西大樹のルーツ探索

永盛愛美

第1話 柴田芙美香(本橋美代子=小西大樹の祖母、の義母)

 小西大樹こにしひろきの母、清子きよこは、生家は本橋家であるが、15歳の時に母親の本橋美代子もとはしみよこの元婚約者であった川崎善次郎かわさきぜんじろう氏の養女となり、そこから小西家へ嫁いだ。


 小西清子の母、本橋美代子……もまた、幼い頃、生家の中谷家を離れて養女となり、柴田家へ引き取られた。


 これは、小西大樹の曾祖父母世代の物語である。


____________________


 「芙美香ふみか、お話があります。お父様がお呼びよ。応接間にいらっしゃい」


 「はい。お母様。今参ります」


 あたくしの名前は代田芙美香しろたふみか。今年二十歳になりました。もう少しで柴田芙美香しばたふみかとなります。お嫁入りが正式に決まりましたの。

 旦那様になるかたのお名前は、柴田茂保しばたしげやす様。確かあたくしより五、六歳年上だと伺っております。

 女学校時代のお友達は、殆ど皆様お輿入れがお済みです。あたくしは皆様より一歩二歩遅れを取っておりますの。

 ですがあたくしは焦ってはおりません。何故ならば、お友達が結婚なさった後で……よい便りがあまり無かったのですもの。

 次はあたくし?お次はどなた?まるで何かの罰を受ける順番を待っている様な女学校時代でしたわ。お早い方々はご卒業は勿論、進級も待たずに学校を退学なさって其れ其れ家の決めたお方の元へ嫁いで行かれました。

 幸いあたくしは引き取り手が数多……正直に申しましょう。無かったそうですのね?お父様やお母様が大層頭を痛めてらしたそうです。……最近になって笑い種の一つとしてお母様から教えて頂きました。

 あたくしは、そんなことよりも、家の外のお話が聞きたくて知りたくて……周囲から変人扱いを受けていたそうですわ。

 本人であるあたくしはそんな事とはつゆ知らず、両親からすればやっと、あたくしとしてはとうとう、この人生の門出という祝い事の軒先に入りかけた処でしたの。


 結婚は人生の墓場だなんて、この歳になって知り得た言葉でしたわ……もっと早くに教えてくだされば、あたくしだって……一応考えがごさいましたのよ。憧れの職業婦人にも興味がございましたし……。

 とにかく、正式に結婚が決まり、後は両家で段取りの細部を話し合う事を残すのみとなっておりましたの。

 ですが、人生は……甘い甘い洋菓子の様に幸福感を運んではくださらないのね……。

 お父様が険しい表情をなさっている。お母様は今にも泣きそうなお顔だわ。

 先程、あたくしの嫁ぎ先予定である柴田家からお客様がいらしていたけれど、あたくしは応接間には呼ばれませんでしたの。……まさか、来月か再来月かと云われているお式が……まさか?破談?

 女学校時代のお友達からも、そんな惨い事がいきなり青天の霹靂の如く起こるとは聞いておりましたけれど。まさか? 

  


 「そこへ座りなさい」

お父様、あたくし聞きたくはありませんが。

 「……はい」

一応素直に座りました。畳替えしたばかりなので、少々香りがきついのです。このお部屋の空気と相まって、重苦しいですこと。

 「つい先程、柴田家の御当主の実弟が訪ねて来られた」

 「はい……」

 「来月の婚礼は一時延期とした」

 「はい……え、延期?」

 破談ではありませんの?

 お父様はそれきり口をつぐんでおしまいになりました。その代わりに今度はお母様が応えられました。

 「芙美香、これは我が代田家にとっても大事な問題なのです。勿論、貴女にとっても同じ事だと思いなさい」

 「……はい」

 政略結婚は普通である前に当然の事で、両家の損得勘定に則り仕分けされ娘たちは品物の様に取引先へと売られて参ります。

 あまり良くないお噂もちらほらあたくしの耳にも聞こえておりますのよ。お母様……。売られた先のご事情など。 

 あたくしはお嫁入りについては大層遅れておりますほうですわ。もしかしたら、こちらが破談にでもなったら、代田家に多大な損害をこのあたくしが与えてしまうかもしれませんわね。

 そして、これが最後の機会でも有るかと。二十歳を過ぎて未だ独り身のお友達など、存在しませんもの。

 いつの間にか、お母様の泣きそうなお顔が、少しずつ怒りの表情に変わっていらしたのでした.。


 お母様がとつとつと理由を語り始めました。あたくしは途中から、怒りと情けなさが湧き上がって来てしまい、ついお母様に口を挟んでしまいましたの。お行儀なんて弁えてはおられません。

 「な……んですって!あたくしが嫁ぐ前から、茂保様には妾がいらした、ですって!!婚約式は先々月でしたのよ!馬鹿に為さるのも程が有るでしょう!」

 お父様がやっと重い口を開かれましたわ。

 「芙美香。先様は、その婚約式の後で真実を知り得たらしいのだ。しかも……その相手という者がだな……」

 「全くなんて事でしょう!!柴田家の女中頭というではありませんか!!」 

 「……女中……頭……」

 両親が顔を紅潮させて怒りに震えている様なぞ、あたくしの眼にはひとかけらも映っておりませんでした。

 「……それで?お父様、お母様、あたくしはその女中頭に負けた、というお話なのでしょうか?」

 「それなのですけれどね、芙美香。あちら様は、既に妾宅を構えて、囲っているのです。もし、貴女がその行為を許すとするならば、この婚姻はそのまま執り行う事と願います、との言い分なのですよ……いくら貴女が行き遅れの娘であろうと、代田家が格下であろうと、この様な馬鹿にされた条件下の婚姻など……考えずにおられましょうか!」

 「うむ。さすがに大口の取引先の柴田家といえども、正妻の前に妾を囲うなど言語道断だ。馬鹿にするのにも程度が有る。どうする、芙美香。わたしはお前の意見も聞くぞ。当事者はお前だからな」

 いつもよりも語気の強いお父様の仰り様に、お父様のお怒りが手に取るようにあたくしにも分かります。

 「……どんな……方なんでしょう。その女中頭とやらは」

 「芙美香?そんな事を知ってどうするというのです」

 「芙美香。女中頭と言っても、だな」

 お父様がお顔を曇らせたまま、お話してくださいました。その女中頭は、柴田家で10年以上も昔から行儀見習い奉公として世話になっていたこと。

 女中頭が坊ちゃまである茂保様をたぶらかしたのではなくて、茂保様が見初めたこと。

あたくしとの縁談が持ち上がる前からあちら様は女中頭に惹かれていたこと。

 茂保様のお母様が彼女を重宝されて、気に入られていること。また、お父様も可愛がっておられるとか。

 当初、彼女は茂保をお断りし続けていたが、縁談話の浮上から態度が更に変わられた彼の真摯なお心に打たれてしまい、発覚後に大金を目前に積まれても首を横に振り続けたこと。

 そして極めつけは、跡取り息子の座を放棄して、茂保様がその女中頭と駆け落ちを目論んでいたこと……。

 ご説明に当家にいらした、現当主の実弟の方は、茂保の叔父様にあたるかた。もし彼等が駆け落ちを為さっていたら、その方が次代の柴田家当主になるはずだったとか。

 「まるでこの縁談を壊されにいらした様ではございませんか……お父様」

 「どうとでも取れる。茂保さんが駆け落ちして柴田家を捨てたらば、彼は準禁治産者となるらしい。そして当主の弟が彼の全ての財産管理をし、跡を継ぐ者となる。当のご本人はいきなり降ってわいたお家騒動に困惑しておられた様だがな」

 「……では、あたくしはどうしたら宜しいのでしょう?まさかあたくしの胸ひとつ、などとは仰いませんでしょうね」

 「芙美香、なんです、そのものの言い様は」

 「だから先程から言っておるではないか。芙美香、お前の意見も聞く、とな」

 ……も?でしたら、お父様は既に結論を出されていると言うお話じゃ有りませんの?あたくしの意見を聞いて頂いた所で何ら変わり様でもお有りですか?

 「あたくし……一度、その女中頭とやらに会ってみたいですわ」

「芙美香?何を言っているの!常識外れもいい所ですよ!婚約者とそのお相手の妾などが会うなどと!」

 「芙美香は妾に会ってどうすると言うのだ。文句の一つでも言うか?それとも、別れさせるつもりか?」

 「他に通う方がいらしても不思議は無いのでしょう?世間では妾の数名くらいは当たり前になっていると聞いております」

 「貴女、そんなお話をどこから……」

 伊達に婚期は遅らせておりませんわ。お母様……。

 その妾は、既に柴田家からお暇を頂いて女中頭を退かれたそうでしたの。


 あたくしは、その元女中頭の妾とやらに興味がふつふつと沸き上がり、なんとかして彼女の生い立ちから最近までの全てを知りたいと思うようになりましたの。

 幸い、この縁談話を我が家に持って来られたのがお顔の広い木崎のおじさまでしたから、あたくし、苦手な文を書いて……柴田家と彼女の生家との詳細を教えて頂きたく、お願い致しました。おじさまは、手紙を受け取ると大層驚かれたそうですわ。日を開けずにあたくしを呼び出して、迎えの車を寄越したのです。

 

 「嫁入り前のいい歳をした娘が、いくら親戚筋とは言え、既婚者と二人だけで出掛けるとは何事です。恥ずかしい!」 

 お母様は、この縁談が壊れやしないかと内心冷や冷やで、些か神経質になっておいでのご様子。嗚呼、頭が痛い、と玄関前の迎えの者にしっかりと周囲に気を配るのですよと言い残し、木崎のおじさまには会わずに姿を消してしまいました。

 お母様、嫁入り前だからこそ、今出来うる全てのことに手を付けておかねばならないのですわ。嫁いでしまってからでは遅いのです。

 こんなことを考えるあたくしは、変わり者と世間様には噂を立てられているらしいのです。何とでも言わせておきましょう。あたくしの人生はあたくしが生きることに意味が有りますの。他人様如きの噂話など、痛くも痒くもありませんわ。言いたい者には言わせておけばいいのです。それしか能が無い輩なのだと打ち捨てておけばよろしい。


 木崎のおじさまは、あたくしを静かな佇まいの一軒家に招き入れてくださいました。

 そこには、とても美しい妙齢の女性が……。おばさまではない。娘達でもない……まさか、こちらは……まさか。

 「初めまして、代田のお嬢様。このような狭苦しい当家にお越し頂き申し訳ございません。木崎様には大変お世話になっております。ナミヱと申します」

 いきなり自己紹介をされ、あたくしは少々怯んでしまいました。

 「あら、こちらこそ、お初にお目にかかります。代田芙美香と申します。木崎のおじさまが一言もお話ししてくださらなかったのです。不躾で申し訳ございません。空手で伺ってしまいましたわ……おじさま?」

 横で飄々としているおじさまに水を向けると、おじさまは気に病むこともなく。

 「芙美香さんに正直に話したならば、僕の誘いには応じて貰えないと思いましてね。この家ならば、話が漏れることもない。使用人たちは離れにおりますからね」

 あたくしは、まさか、と思ったことが正解だと確信しましたわ。この女性はおじさまの……『妾』……囲われ者、なのですね。

 あたくしの表情から読み取られてしまったのでしょう。客間に入るやいなや、年齢不詳の彼女から思わぬ言葉が聞こえてまいりました。

 「代田のお嬢様、もしかしたらら誤解をされていらっしゃいますか?」

 「えっ、誤解?」

 「お母さん、それは」

 ちょっと……。今、何か妙な言葉をおじさまが……?お母さん……?

 すかさずおじさまの顔を振り返りました。おじさまは「宜しいの?」と彼女に尋ねています。

 えっ?じゃあ、こちらの年齢不詳の女性は、木崎のおじさまのお母様だと仰るの?ご冗談を。そんなにお歳が離れているとは見えませんことよ。

 「お嬢様、こちらは私のひとり息子でございます。お聡いかたでいらっしゃるとお見受け致します。私はこの子の父親の囲われ者なのです」

 「えっ、で、ですが、木崎のおじさまのお父様は確か昨年喜寿を迎えられていたと……」

 こちらのかたは、おじさまとそんなにお歳が、お歳が……。

 「はい、私はこの子を十六で生みました。私は木崎様とは、十七歳離れております」

 「十七歳……?」

 ちょっとお待ちくださる?木崎翁が昨年喜寿でしてよ、そしてこちらが十七歳……えっ! 

 あたくしは一言も発しておりませんのに、答えが返って来ました。

 「はい、今年還暦を迎えました」

 「還暦っ!?」

 はしたなくも、大きな声が出てしまいました。

 「本当ですよ。僕がこの屋敷に出入りすると、僕が母を囲っていると誤解されことが多々あります。僕には甲斐性が無いのでそんな所業は無理ですけどね」

 「だって……でも、こんなにお若く見えますのに」

 「光栄ですわ。嬉しゅうございます」

 おじさまの実母でいらっしゃるナミヱさんは、世間知らずなあたくしに囲われ者がどのような立場で、囲う者により庇護者……旦那様の死後、妾たちの扱いに差が現れることや、跡継ぎ問題、相続問題など、分かり易く教えてくださいました。


 「この他に、柴田家や、その元女中頭の生家を調べて欲しいと手紙に書かれていましたね。僕が調べて分かることならば、とことん調べ上げましょう。芙美香さんの納得いく縁談になりますように、ね」

 それが話を代田家我が家に持ち込んだ自分の責任であると続けられました。



 数日後、再びお母様のお屋敷にお招きくださって、ことの詳細を教えて頂いたあたくしは……その元女中頭の女性をお味方に出来たならば、どんなに心強いことでしょう!と胸が高鳴り、踊りましたわ。


 そうして、あたくしは柴田家にひとつお伺いを立てましたの。いえ、条件ですわね。


 妾となるかたと、何の障害もなく、幾久しくお会い出来得る環境でいられますように。それが適うのでしたら、あたくしで良ければ姻戚関係を結ばせて頂きたい、と。

 それを聞いたお父様とお母様が、文字通り「開いた口が塞がらない」状態になりましたの。あたくしは本当なんだわ、昔のかたは良く観察していたものね、と感心致しました。


 あたくしがあたくしの人生を全うしないで何の意味がありましょう。

 折角、この世に生まれ出でて来たのですもの。

 さて、あちら様がどんなお返事をくださるでしょう。楽しみですわ。 

 

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