浮かぶなら

@n-nodoka

第1話

 空を飛べたらと、最近よく考える。

 制限なく広がる大空の風は、地上で吹くものとは違う気がする。

「感じてみたいもんだよなー……なあ?」

 昼休み、学校の屋上。

 初夏の晴天の下、持参の弁当を広げて平らげた所で、俺は問いかけを投げた。

 投げたが、横にいるはずの奴から返事がない。

「なあ、自由みゆ?」

 名前付きで呼びかける。

 もしかしていなくなったか、と一瞬考えて、いやあり得ないか、と内心で思い直す。

 横目で見ると、やはりいた。制服のスカートから伸びた足を浅く抱えるような姿勢で、スマートフォンの画面と睨めっこしていた。 

 今度はちゃんと反応があった。

「——は? ああ、ごめん何も聞いてなかった」

 反応はあったが、とても面倒臭そうな態度だった。

 しかし俺はめげずに、

「空を飛べたら——」 

「あ、そのくだりはもういいから」

「聞いてるじゃねえか⁉」

 俺の真っ当な突っ込みに、うるさいなぁ、としかめっ面で自由が溜息を吐く。

 いじっていたスマートフォンから視線を上げて、

「はいはい、丁度ゲームがキリになったから、彼方かなたの話を聞いてあげますよー」 

 すでに食事を終えた自由の小さな弁当箱にスマートフォンを載せて、かわりにブリックパックのジュースを取って飲み始める。

 何かと上から目線な自由に、

「お姉さんかよ」

 突っ込むと、

「妹ですぅー」

 返された。知ってるよ、と俺は呟いて、

「空を飛べたらって、思ったことないか? まあ、そりゃ実際には飛行機とかじゃないと飛べないのは分かってるけどさ、そういうんじゃなくて、感覚的な。なんて言うか……浮かぶ、って言った方が分かりやすいか」

「いや、全然わかんない」

「なんていうかさ、もし、重力から解放されたら、自由な感じがして良くないか?」

「自由かもしれないけど、今ここで地球の重力から解放されたら、あんた、どっか飛んでっちゃうよ?」

「え。そ、そうなのか?」

「いや、私も詳しくは知らないけど。なんか前に、物理の先生が雑談で言ってた。なんだっけな、遠心力じゃなくて……なんかの力で、宇宙に放り出されるらしいよ」

「そうか。じゃあ駄目だな」

「何をしようとしてたのよ、あんたは? まあ、判断が早いのは良い事だと思うけど」

 結果的に褒められた。やはりお姉さんかよ。

 ともあれ、別に俺は宇宙に行きたいわけじゃない。まあ、宇宙に行けば浮かぶらしいけど、空気もないからあの白いごわごわの服を着なきゃなんねえんだろ。何だけ、宇宙服で良いのか。安直なネーミングだな。 

 じゃあ、と俺は切り返して、

「海はどうだ?」 

「何を言ってるの?」

 もっともな自由の返しに、俺は答える。

「だからさ、浮かぶならって話だよ。現実的に考えて、海とかなら良くないか? 海なら、無重力に近い経験が出来そうだ。泳いだことねえけど」

「まあ確かに、プールよりは浮くらしいから、良いんじゃない? 私も海にいったことないけど」

「あれ、なんでプールとかより海の方が浮きやすいんだ?」

「人のこと言えない奴ね、私の話も聞きなさいよ。行ったことないから分からないって言ったでしょ、数秒前に」

 睨まれた。そうだけど、と弁明しつつ、

「なんだ、お前の得意な科学的な見解で分かるだろ? 海で浮く仕組み、的な?」

「比重の関係でしょ」

 即答された。あー、なんか昔、授業でやった気がする。忘れたけど。

「まあ、何にしても、浮かぶだけでも楽しそうだよな」

「まあ、これから時期だしね。行ってきたら?」

 掌をひらひらと揺らして、空になったらしいブリックパックと交換で、置いてあったスマートフォンを取る。話は終わり、と思ったようだ。

 でも、大事なのはここからなんだよな。

「お前は?」

「は? 私?」

 スマートフォンに向けようとしていた視線が、再びこちらを向く。しかも、とても怪訝そうな顔で。

 だからさ、と俺はわざとらしい溜息を吐いてから、

「最初から誘ってんだろ。お前、去年買った水着、あるだろ?」

 確認すると、自由は少しだけ視線をずらして、俺と同じように溜息。

「分かりずらいなー……てか、水着はあっても泳げないもん。せめて、浮き輪でもないと……怖くて、入りたくない」

 唇を尖らせて拗ねた声で自由が俯く。まあ、そうだろうな。

でも、だから、

「買ってやるよ、浮き輪くらい。鉄腕アルバイターの俺様を舐めるなよ」

 両腕の力こぶを見せつけてやると、また怪訝そうな視線を向けられた。なんだよ、刺々しいぞ。

「なに、あんた、そこまでして私の水着姿を拝みたいの?」

「そこに興味は無痛ってえな、なんで殴るんだよ」

「即レスした彼方が悪い」

「じゃあ、迷った方が良かったのか?」

「……気持ち悪っ!」

「どっちにしても悪いのかよ⁉」

 当り前じゃない、と細めた視線を俺に向けながら、自由が言う。

「急に水着とか海に誘ったりとか、突拍子もないことを言い出す彼方が悪いんでしょ」

「へー、そうですかい」 

 やれやれ、と溜息を一つ。ほんとに昔から変わらず可愛くねえな、こいつは。

 まあ、それでも、

「で、結局どうなんだ? 行けるのか?」

「……はっ⁉ マジで私のこと誘ってんの⁉」

 だから、最初から誘っていると俺はさっきも言ったんだがな。お前も人の話を聞かないよな。

 ただまあ、我ながら回りくどいとは思う。仕方無ぇだろ、こっちだって一生懸命言葉を選ぶんだよ。

「そうだよ。行かないか? 海」

「なんでそこまで……私のこと、好きすぎん?」

 嘲笑を浮かべる自由に、俺は告げる。

「好きじゃねえよ、大切なだけだ」

「は……」 

 口を開けて、自由が動きを止める。

 いつまでも押し問答しても仕方ないからな。俺は腹を決めて、一息吐いてから、

「お前最近、ずっと周りに気遣ってばかりで疲れてるだろ。食欲もちょっとずつ減ってるみたいだし」

 自由が、浅く息を飲む。図星を突かれた時、隠し事をした時の癖なんだよな、昔っからの。

 変わらねぇな、と内心で苦笑しつつ、俺は晴天の空へと視線を移す。眼前に広がる青くて広い場所が、まるで海のように見える。

「しかも、通院続きで好きな部活も運動もできない。動くことが大好きなお前にとっては、鬱憤がたまるばかりの生活……にも関わらず、一切愚痴も言わねえし」

 頭の後ろに両手を組んで、屋上出入口の壁にもたれ掛かる。

 日陰になっているとはいえ、外壁も温かい。もう、夏が近い証拠だ。

「たまには空でも、海でもいい。ちょっとは息抜きをしろよ。携帯いじってしかめっ面ばかりしてると、可愛くねーぞ痛ぇな裏拳で殴るなよ。背中がちょっと壁にめり込んだぞ」

 文句を向けた先、自由の様子を見ると、ちょっと俯いた姿勢で、はー、と長い溜息を吐く。そのまま数秒経って、俺と同じように大空を見る。なんか、微妙な顔してるな。

「……まあ……ほんとに、大きな浮き輪買ってくれるなら……行っても、良いけどさ……」

 しぶしぶではあるけど、了承の回答が来た。

 俺は笑みを浮かべて、

「よし、んじゃ来月の頭に計画するか。夏休み前なら、空いてるだろ」

 と言ったのと同時、予鈴が鳴った。昼休みの終了時刻が近い。

「そろそろ行くか」

 声を掛けて立ち上がり、弁当箱をバッグに片づける。

 自由も同様に、自分の荷物を片づけ終えたのを確認して、

「んじゃ、行くぞ」 

「ん」

 小さな返事を聞いてから、自由をお姫様抱っこする。

 力を入れられない両足側にどうしても重心が寄ってしまうので、抱きかかえる位置を微調整する。

「よっ、っと……んじゃ、行くぞー」

 そのまま、俺と自由は屋上から校舎に入る為の階段へと向かう。

 妹の自由が交通事故で両足を怪我してから、半年くらいになる。回復はしつつも、まだ今は車椅子生活の為、基本的に俺と一緒に登下校をする。

 それと今日みたいに、一緒に屋上で弁当を食べる。

 ただ、弁当を一種に食いだしたのは、三ヶ月くらい前からになる。しばらくはクラスの友人と食べていたけど、車椅子の移動は結構手間で、友人に迷惑が掛かるのが気になるから一緒に食べてくれと、自由から打診されたのが切っ掛けだった。

 そして、静かで穴場だからという理由で、俺達は校舎の屋上を選んだ。でも、どうしても屋上に繋がる階段を上らないと行けない。

 だから、俺が毎回お姫様抱っこ状態で、自由を運ぶ事にした。

 背負うんじゃ足が痛いからって言われて、お姫様抱っこになったんだけど、毎回すげえ嫌そうな顔をされる。

 あと、本当は首裏に手を回して掴んでくれた方が楽なんだけど、それも嫌だって言われたので仕方ない。まあ、そもそも軽いからいいけどさ。

 とか考えてたら、不意に首裏 に手を掛けられて、思わず足を止めた。

 で、首裏に腕を変えると、俺の胸元に自由の顔が蹲るような形になることが判明して、ああ、こんなに密着するから嫌だったんだろうな、と思った。

 そして、なんで急に、と考えて、

「——自由、どこか痛むか? 抱え方が悪かったか?」

 聞くと、顔をうずめたままで首を横に振られた。

 違うなら良かった。けど、なんだどうしたその態度。

 いつもなら、ふくれっ面でそっぽを向いている自由が、今日に限って逆に抱き着くような体勢を取ってくる。だから下を見ても、自由の表情は見えない。

 いやまあ、運ぶ場合はこの方が楽で助かるんだが。

 何もリアクションが返ってこないので、とりあえずそのまま扉をくぐり、ゆっくりと階段を下りる。

 階段を降りた場所に、待機させていた自由の車椅子がある。そこまで辿り着いたので、

「着いたぞ」

 声を掛ける。だが、さっきから返事がない。

「おい、自由?」

「……と……」 

 自由が小声で何かを言ったけど、全く聞き取れない。

「あ? なんて?」 

 聞き返すと、自由は埋めていた顔をゆっくり上げた。泣いていた。

 え、何でだ訳分からんぞ、なんで泣いてるんだ?

「お、おい自由、やっぱりどこか痛かったんだろ? そういうのは、我慢せずにちゃんと言えよな?」

 焦る俺を見て、また自由は首を横に振る。そして、

「……ぐす、……ありが、と……」

「お? ん?」

 予想外の自由の言葉に、クエスチョンマークが重なる。いきなりどうした?

 驚く俺の腕の中で、自由が続けた。

「……いろいろと、ありがと……、お兄ちゃんがいてくれて、良かった……」 

「——……」

 思わず、小さく息を飲んだ。自由からお兄ちゃんなんて呼ばれ方をするのは、何年振りだろうな。

 でも、と思う。そういえば、自由は小さい頃から、ほんとは泣き虫だったな、と。

 きっと、俺が思っていたよりもずっと我慢して、頑張っていたんだ。

 周りに気を遣わせまいと元気に振舞って。本当は、クラスの友達と弁当も食べたいだろうにさ。

 でも、そこで俺を頼ってくれて、嬉しかったんだ。

 当たり前なんだよ。自分の妹の為に、兄貴が何かをしてやるなんてさ。

 頼まれなくたって、お礼なんて言われなくたって、出来ることをしてやるのが当たり前なんだよ。

 だって、そうだろ?

 たった一人の、大切な妹なんだから。

 むしろ、凹んでいる妹の為に、してやれる事があるんだぜ?

 兄貴冥利に尽きるってもんだ。

 子猫みたいに蹲って泣いている自由の理由が分かって、今度は微笑が零れた。

 だから、はいはい、と返してから、

「——悪いけど、重いからそろそろ降りてく痛ぇ」

 顎に頭突きを喰らった。

 お互いに照れ隠しが下手なのも、兄妹揃って一緒かよ。



 とりあえず約束を果たす為にでっかい浮き輪を二人で買いに行ったのは、後の話・・・というか、週末の話だ。

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