三つの夜の話

島本 葉

砂遊び

「ただいま、あの靴はなに?」

 リビングにいた妻に声をかけると、彼女はわざと顔をしかめるような表情を浮かべた。仕事から帰って来ると息子の小さな靴の中敷きが外されて、少しくたびれたウサギの耳のように下駄箱の脇に立てかけられていたのだった。

「そう、それよ。ちょっと聞いてよ」

 どうやら、話したくて仕方がなかったらしい。保育園に通う息子の周りには基本的に事件しかない。その大半を受け止めて頂いている妻に対してできる事といえば、もう聞き役に徹する、これ一択である。『おかえり』という言葉がないのを指摘するのは悪手だと、これまでの経験から十分すぎるほどに心得ている。

「園庭の砂場で遊んでたみたいなんだけど、靴の中に砂がいっぱい入ってたの。ちょっとだけじゃないのよ。もういっーぱい。ひっくり返したら、こうザザーって」

 靴をひっくり返すような身振りを交えながら説明する妻。

「それはすごいね」

「ほんと、困るわ。どうやったらそんなに砂が入るんだか。靴下も砂だらけで」

 とりあえず事件を報告したことで満足して頂けたのか、僕の夕食をテキパキと用意してくれる。妻は息子と先に食べているので、平日はどうしても僕だけが一人で食べることになる。今日は少し遅くなったので、息子はもう寝てしまったようだった。

 夕食を食べ終えると、妻は洗い物をしてから脱衣所へ向かった。風呂は妻が先に入るのがいつもの流れだ。僕はというと、愛しい息子さまの顔を見ておこうかとそっと寝室へ。

「いっぱい遊んだんだねー」

 すやすやと気持ちよさそうに寝息をたてている息子にささやきかける。妻曰く、寝てるときだけは天使のようだ、と。この寝顔を見ているだけで、毎日頑張れる気がする。

「ちょっと! ポケットにも砂が入ってるじゃない」

 脱衣所の方から妻の声が聞こえてきた。どうやら洗濯カゴの息子の服からも砂が出てきたらしかった。

 いいぞ、いいぞ。思うままに遊んだらいい。妻には申し訳ないけれど。

 満足そうに眠る息子の柔らかな頬を指で突っつくと、オレの邪魔をするなと言わんばかりに払いのけられた。


 了

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