第16話 幽閉

 少し時をさかる。


「その少年は何処に連れ去られたの?」


 黒い巨狼が、一体の生霊を組み伏せている。

 地面に倒れたのは目が真っ黒な男の生霊であった。


 目が黒いということは、すなわち人を殺めているという明証である。


「知らない、本当だッ」


 セーラー服のコトハが狼とつながる鎖をそっと生霊の首に掛けた。

 呼応するように、狼も唸り声を上げながら牙を覗かせる。


「本当のことを言えば許してあげる」


「お、俺に手を出してみろ!? 魔狼の仲間が押し寄せるぞ!?」


 ショートボブの女子大生サエがしゃがんで、男をつつく。


「ありえないでしょ、あそこは完全実力主義。仲間同士で共食いすることもあるような場所なんだし」


 男の顔が青ざめた。

 脅しが効かないとわかった様子だ。


「な、中野のアジトだ! 魔狼のシンジさんがガキも連れて行くってっ! 本当だ!」


 コトハは鎖を解いた。


「チコ、離していいよ」


 ワンという鳴き声と共に、影でできた真っ黒な狼が男の体から足をどける。

 男は一目散に逃げていった。


「……まさかカンヌキさんと同じ所に連れて行かれるなんて」


 心配そうなサエ。


「もしかして巻き込んじゃったのかな。私達……」


「わからない。おそらく偶然だと思うけど。魔狼のことだから何が起きてもおかしくないと思う」


「どうする? コトハ」


 コトハは逡巡しゅんじゅんする。

 だが、自身を焚き付けるようにうなずいた。


「助けにいく」


「え、行くの!? でもでも魔狼に勝てる!?」


「……多分無理。カンヌキさんが連れ去れられた時に見た魔狼の強さには遠く及んでいない」


「だったら、死にに行くようなものじゃない!?」


「できるだけ戦いは避けて助けるだけ。サエは拠点で待機してて」


「でも私も行く!」


 コトハは首を振る。


「チコの機動力を活かして、サナユキを助けて逃げるから」


「絶対、絶対に無理しないでよね?」


 サエがコトハの手を握る。


「分かってる」


 コトハは狼へとまたがり走り出す。

 荒れた道を駆け抜け、錆だらけの線路を越えていく。


 すぐさま中野にある大きなビルが見えてきた。

 明かり1つ点いておらず、窓ガラスが割れたビルはひどく不気味だ。


「チコ。もっと近づいて」


 疾走する狼。


 調伏系の祟術において、術者の強化はほとんどない。

 代わりに術者が使役する式の力が増加する。


 サナユキと毎日多くの死霊を狩っていた狼も力が上昇していた。


 中野のビルの近くまで気た時、狼が急停止する。

 唸り声を上げながら、何かを気にしているようだ。


「どうしたのチコ? そっちは違うよ」


 ビルとは違う方向ばかり気を取られている。


「分かった。そっちにいきましょう」


 すぐさま走り出した狼が廃墟の間を縫っていく。


 何か確信がある様子だ。

 チコの感覚は人の比ではない。コトハが感じ取れない何かがあるのだろう。


 辿り着いたのは駅から離れたアパートである。

 その一室へとガラスを突き破り、中へと足を踏み入れた。


 中はゴミが散乱しており、空気が淀んでいる。

 女の裸が載った表紙の本、灰皿から溢れ出たタバコの吸い殻、飲みかけのペットボトル、コンビニの弁当の空箱、缶酎ハイの空き缶が無造作に転がっていた。


 思わずコトハは鼻を手で覆った。

 チコは構わず中へと進んでいく。


 そして、ふすまが外れた押入に向かって吠える。


「ここ?」


 チコからおりて中を覗くと、黒い水たまりがあった。


「……固定設置型の祟術」


 乗り出すように覗く。

 すると、黒い水たまりの中に、死霊に囲まれたサナユキの姿が映し出された。


「閉じ込められている」



 ◆ ◆ ◆



「クソッ、どれだけ出てくるんだ!?」


 倒しても倒しても大量の死霊達が湧き出てくる。

 すでに10体は倒しているのにもかかわらず、死霊達は出尽くした感じがしない。


 それもすべて祟術持ちの死霊ばかり。


 目の間の大型の死霊が振り下ろした一撃を避ける。

 僅かに掠めた肩から血が流れた。


 ――反応が鈍くなってる


 疲れが出てきたのだ。

 たが、死霊は絶え間なく現れ、休みを取るために隠れられる場所もない。


「ぐッ!?」


 辺りを再び見回したとき、背中に何かが刺さる。


 振り向くと左肩から黒い木を生やした死霊だ。



「憑依系!?」


 疲労に気を取られすぎた。

 すぐさまサナユキの体の自由が奪われた。


 突如、苦しさと気持ち悪さが頭を覆い、思考力が奪われていく。


 痛みはない。

 得体のしれない悲壮感が見るモノ、聞くモノ、感じるモノ全てに少しずつ苦悩が足されて脳へと届く感覚。


 そして、苦悩が急速に積もっていき、すぐさま自殺の文字が浮かんだ。


 死にたいのではない。


 今ある苦しさから開放されるための選択肢に、自殺という候補が入ってくるのだ。

 どれだけ押しのけても。

 むしろ押しのける度に、候補の順位が繰り上がってくる。


 そして、ついに最も上位の選択肢となってしまった。



 サナユキの自我に関係なく、衝動的に刀を己の喉元のどもとへ向ける。


 ――死ぬ


 刃が動く。


 切先が表皮を破り、真皮へ到達。

 

 そのまま剣が脳を貫こうとした時、頭を覆い尽くしていた急に思考が停止した。


 すぐさま刃に急ブレーキをかける。

 そして腕を投げ出すように刃を引き抜いた。


「ゲぶッ ゲほッ」


 嗚咽と咳を混ぜたようにむせる。


「よかった、間に合った」


 声に振り向くと、そこにはセーラー服の少女が立っていた。

 コトハだ。


 狼が憑依系の死霊へと喰らいついている。


「……コトハ。どうして、ここに」


 幻だろうか。

 オボウチの生霊に謎の祟術により閉じ込められた場所に、拠点に残してきた少女が立っているのだ。


「話は後で。今は前の敵に集中」


「ああ、そうだな」


 あごの下から血が流れるが、幸い大きな動脈を傷つけなかったようだ。

 サエに治療してもらえばあとも残らない程度の傷だろう。


「これもらっていい?」


 コトハは狼が首元へと噛みついたままの死霊を指す。


「むしろそうしてくれると助かる」


「そうね」


 チコが牙を食い込ませ、憑依系の死霊ののどを噛みちぎった。

 即座に右肩のあたりを一噛みで切り裂き、喰らう。


 すると死霊の体が溶けて混ざり合うように、チコに吸い込まれていくのだ。


「凄い力……これが祟術持ち。たった1体食べただけなのに」


 コトハの横には1回りほど大きくなった影でできた狼がいた。

 以前目にした人狼を彷彿とさせるような威圧感である。


「ここは食べ放題みたいなもんだけど、どうする?」


 サナユキは刃を回転させながら、刀を構え得る。


「チコが太りすぎない程度にしようかしら」


 コトハが美しい顔で微笑んだ。


 ◆ ◆ ◆


「お、頑張るじゃねえか」


 魔狼の拠点である中野のビルの屋上。

 オボナイの生霊の前に黒い円が浮き上がっている。


「……あの女どこから入り込んだんだ?」


 スーツの男が疑問を浮かべた。


「おおかた俺の家に設置してある入口だろうな。この祟術は固定の入口を設置しないと、俺が他の入口を開けない」


「こんだけ強力な祟術ならもっともな制約ってか」


 短髪の男が円に映し出された不満そうな声を上げた。


「だけど、いいのか? どんどん倒されてるぞ」


「構わねぇよ。アイツがいるから、どんだけ倒されても同じだ」


「あいつ?」


 オボウチがニタリと笑う。


「元No.2だ。強欲な奴で3つ目の祟果を食べたが、耐えきれずに死霊に堕ちやがった。もともと、この祟術はそいつを隔離するために覚えたものだ」


「そんなやべえ奴。よくずっと格納しておいたな」


「シンジさんの命令だ。いつか喰うから置いとけとさ」


 スーツの男が気抜けしたように首を振る。


「まったく、あの人らしい」


 オボウチが己が作り出した黒い円へと手を押し当てた。

 そして、顔を歪ませながら覗き込んだ。



「近頃、生意気だったんだよ、アイツ。俺にとっては思わぬ楽しみができたぜ。只のサンドバックだった頃の顔をもう一度拝める」

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