第15話 理由

「お前の母親だよ」



「……え?」


 聞き間違いだろうか。

 生保内オボウチがサナユキの母を呪い殺したように聞こえた。


 愕然とする中、流暢に目の前の小太りの男は話し続ける。


「お前の母親とはな、同じ高校だったんだ。イジメられていた俺をかばってくれた、優しくしてくれた。だから俺は惚れたんだよ」


 初耳である。生保内と母が同じ高校だったとは。


「親の転勤で離れ離れになっている間も、ずっとずっと愛していた。それなのに、あの女、久々に再開したとき、なんて言ったと思う?」


 生保内は自嘲するように手を叩いて笑う。


「『はじめまして』だってな。俺の顔なんか覚えてもなかったッ!しかも、ガキまで作ってやがったッ!」


「あ、あ……」


 母は控えめだったが、よく笑う優しい人だった。大学で会った父と始めた店が軌道に乗るまで楽ではなかった。

 それでも『サナの顔見てるだけで、母さん元気が出るから』と言って、子どもの前では弱音1つ言わず働き続けた。


 そんな人が、ある日、自殺したのだ。

 数日前まで元気だったのに、突然、抜け殻のようになって。


 その理由が今の今まで、ずっと分からなかった。

 亡くなった母へ恨み言を口にしたこともあった。自分を置き去りにして、逃げた人間だと。


「だから、怨み殺してやったんだ」


 ニタリと笑う生保内。


 元凶が目の前にいる。

 いや、ずっとずっと近くにいた。


 気持ちが悪い。

 心臓を誰かに握られているのではないかと思うほど、胸の奥がかき乱される。


「あの阿婆擦女あばずれおんなが死んだ後、お前が苦しむのを見るのが楽しみだったんだがな。まさか、あんな強力な祟術を身につけるとはな」


 目の前の獣が、何かを言っている。

 母の命を身勝手な理由で奪っておいて、普通に息をしている。話している。笑っている。


 すべてが胸糞悪い。


 ――許せないッ!


 サナユキは右手から日本刀を取り出した

 一切の迷い無く、斬りかかる。

 

「焦んなよ。順番を守れや」


 サナユキの側面から入り込んだのは、短髪の男。

 激情に駆られ、動きが単調すぎた。


 男が繰り出した拳を躱す。


「そういうことだよ」


 次は、スーツの男が炎を吐き出した。


 今度は避けもせず、炎を刃で斬り裂いた。


「邪魔をするなッ!! こいつだけは! こいつだけはッッ!!」


 怒りに身を焼かれるサナユキを、生保内は見下すように見続けている。

 一歩も動いていない。


「シンジさんは生かしとけって言ったんだがな。殺そうとしてくるなら正当防衛だろ」


 生保内の右肩から黒い木が生える。

 呪術系の祟術だ。


 黒い木が、一気に四方へと拡がり円を作る。

 その形はパラボラアンテナのようだ。


 何かの力が流れると同時、サナユキの周囲が歪む。

 空気ではなく空間がだ。


 いきなり虚空に現れた黒い円。


 ――何だ!? 体が動かない


「俺のいくつかある祟術の中で、特にお気に入りだ。制約もあるがしょうに合ってる」



 サナユキの体が黒い円に掴まるように空間へと引きずり込まれていく。


「せいぜい足掻けよ。中には、木になれなかった出来損ないや、祟果を喰ったが失敗した奴たちがウヨウヨいるからな」


「オボウチィイッッッ!!!」


 叫び声と共にサナユキは、黒い亜空間へと完全に引きずり込まれた。





 気がつくと、そこは暗い地下室であった。


 壊れかけのコンクリートが下にあるだけで、横には壁もなければ、上に空もない。

 代わりに四方八方が薄暗く黒いモヤに覆われている。


「……どうやって戻る」


 すぐ下の足元に、1つだけ光が覗く場所があった。

 出口だろうか。


 光を触るが、反応が無い。

 流石にすぐ足元に出口があるはずがないと、周囲を探り始めた。


 一秒でも早く外に出て、あの獣に刃を突き立ててやりたい。

 逃げられる前に早く、と焦燥感が積もっていく。


「ゥ゙ゥ゙ゥ゙」


 耳に呼び込んだのは何かの唸り声だ。

 すぐさま目の前の黒いモヤの中から、右手から木を生やしたモノが現れる。


 死霊だ。


 それも、間違いなく祟術持ち。


 ――棍棒


 死霊が自らの黒い木を握りしめると、それは巨大な棒状となる。

 握るや否や、死霊は棍棒を振り下ろした。


 ――早いッ


 素早く後ろへと、バックステップ。

 コンクリートが砕け散り四散した。


 死霊は避けられたことなど気にも止めていないようだ。

 更に荒れ狂うように襲いかかる。


 怒涛の連撃。

 振るわれる度、コンクリートの床がえぐられていく。



 「クソッ」


 攻めに転じることができない。

 刀で棍棒を受け止めれば攻撃を止められるかも知れないが、おそらく刃が折れてしまう。


 円の残像を描かれる棍棒を、紙一重で躱し続ける。


 ――焦るな


 動体視力も反射神経も研ぎ澄まされた。

 初めて異界に入った時とは比べ物にならないほどに。


 今ならば、僅かなすきも逃さないはず。


 その時はすぐにやってきた。

 死霊の呼吸が途切れた瞬間を見計らい、前へと出る。


 サナユキの頬を棍棒が掠める。

 ブンと言う低い音が、風圧と共に耳に届く。


 それでも尚、大きく踏み込んだ。


 すれ違いざまに横の腹を斬る。


 ――やったぞ


 少しは動きが抑えられる。

 そう思いながら、振り返ったサナユキの顔は苦々しさに染まった。



「治療……されてる」



 棍棒を操る死霊の腹を、新たな死霊が治療していたのだ。


 やっと作った傷をすぐに治療されてしまった。

 棍棒を持った死霊が、再び全身に力をみなぎらせながら、棍棒を構える。


 更に信じ難いものが視界に入った。


「まだ……来るのか」


 棍棒と治癒の死霊の背後から、もう1体現れたのだ。


 新たな死霊は、左腕から柔軟な木を垂らしていた。

 黒い木のリードの先に繋がれているのは、人より大きな巨大な蜘蛛。

 調伏系の死霊のようだ。



 祟術持ちが、同時に3体。



 恐怖心を押し殺しながら、刃を構える。


「……喰う」


 押しつぶされそうな心を否定するように言葉を吐き出した。


 お互いの放つ気が、薄暗い空間に充満していく。

 最初に動いたのは大蜘蛛。


 蜘蛛が糸をネットのように吐き出したのだ。


 斬。


 糸を切った直後に違和感を覚えた。

 粘性のある糸が刃に絡みつき、動きが奪われたのだ。


 隙を狙ったように、凄まじい棍棒の突きが迫る。

 頭にも直撃しようものなら、弾け飛ぶだろう。


「クソッ!」


 力任せに糸を引きちぎりながら、棍棒を回避。

 肩の服が破裂するように消失した。


 襲いかかる痛みを無視し、回復役の死霊へと疾走する。


「まずはお前ッ!」


 走りざまに、死霊を切り捨てた。

 それでも止まらない。一瞬でも止まれば、糸と棍棒の餌食になるに違いない。


 吸収しながら走る。

 膨大な力が流れ込んで来た。


 サナユキの走る先を読んだように、巨大な蜘蛛が上から襲いかかる。

 下へ向けられた8本の足は、まるで杭のようだ。


 サナユキは咄嗟に屈む。


 脚が地面へと突き刺さり、檻のように覆いかぶさった。



 そのまま腹へと刃を突き立てる。


 吹き出した緑色の液体が頭から降り注ぐ。

 滑りそうになるつかを握りしめ、巨大な蜘蛛の腹を切り裂きながら、尻側から走り出た。


「次だぁッ!」


 跳ねるように大股で掛ける。


 蜘蛛の背後にいた調伏系の死霊へ肉薄する。


 そして、勢いのまま胸へと刀を突き刺した。

 瞬時、刃から細かな根が死霊の全身が吹き出る。


 すぐさま蜘蛛を操る死霊を飲み干した。



 再び、隙を狙ったように棍棒が振り下ろされる。



 だが、次は簡単に躱した。


「便利過ぎるな、異界の仕組み。ゲームみたいに敵を倒せば倒すほど、強くなるんだから」


 サナユキは棍棒の死霊へ向かって、飛翔する。


「終わりだ!」


 脳天から棍棒の死霊を突き刺しにする。


 そのまま流れるように吸収し尽くした。

 カランと音を立てて、床に落ちた棍棒は灰になったように霧散していった。



 「出口を……探さないと」



 奥へと進もうと踏み出した時、無数の唸り声が響いてきた。

 黒いモヤの奥に死霊の影がひしめいている。


 ――20体。いや、もっと居る


 間違いなく、すべて祟術持ちだろう。

 

 サナユキは刀をカチャリと握り直した。



「……絶対に生き残る。そして、あいつに」



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