第8話 対決

 死霊を倒すことで、そのが持っていた精神力をり込み、自身の思考力や記憶力を強化できるらしい。


 もし本当であれば、実社会では極めて有用だろう。


 同時にコトハの言葉に、引っ掛かりも覚えた。

 そのという表現だ。それが意味することはすぐに予測できる。


「もしかして、死霊って元人間なの?」


「………そうよ」


 どこか詰まった返事である。


 ともかく最低限の情報は分かった。

 後はおいおい把握していけばいいと、サナユキは頷く。


「分かった。ともかく死霊を吸収して、今日は自分の祟術たたりじゅつで帰るから」


「それなら早速、向かいましょう」


 3人は簡単な準備をして、コトハ達が拠点としている廃屋を出た。

 数歩歩き、ふと、元いた所を振り返る。


 ――豪邸だな。誰の家だろう


 もといた場所は、サナユキが住む街でも特に富裕層が多いエリアであった。


「早くー行くよー」


 サエが手を振る。


「今、行く」





 吉祥寺駅方面へと向かう一行。


 所々に落ちている目の付いた卵を相変わらず気色悪く思いながら、ほどなく走る電車も無い鉄橋の近くへと辿り着いた。


 そして今、3人は身を隠しながら、ガード下をのぞき見ている。


「居た。ちょうど1体ね」


 コトハの視線の先には、1体の黒い影人間、つまり死霊がある。


「場所によって死霊の数が違うの?」


 思い返せば、真っ直ぐにこの場所へ向かってきた。

 ということは死霊の数が少ないことを分かっていたのだろう。


「そう。少し前まで、この辺りに強い死霊が居着いてたの。今でも、他の死霊は怖がってあまり寄り付かないから」


 サナユキの顔が曇る。あの死霊が怯えるほどの存在がいたのであれば、警戒もしたくなる。


「……それって危なくない?」


「大丈夫。最近あまり見かけないから別の場所へ行ったみたい。むしろ少数の死霊しかいない絶好の狩り場」


「なるほど」


 コトハが静かに左手から木をはやし、影狼チコを喚ぶ。


「2人はここで見てて。特にサナユキは絶対に祟術たたりじゅつの棒を離さないで。サナユキはサエを守ることが最優先。怪我してもサエが治せるから」


 サナユキは静かに頷く。


 コトハが影狼のチコへ目配せする。

 大きく深呼吸して、影狼とコトハが飛び出し、駆け抜けた


 ――あれが人の速さ!?


 まるでバイクで飛び出したかのような速度だ。


 すぐさまガード下を彷徨うろつく死霊へと接近する。


 最初に影狼チコが飛びかかり、首元へ喰らいついた。

 不意打ちを喰らった死霊が必死に払おうするが、追い打ちをかけるように、コトハが鎖を器用に操り、死霊を縛りつける。


 あっけなく勝敗は決した。


「コトハは私と会う前から、たくさん死霊を喰べてるからね。1対1だと、まず負けないよ」


 サエが誇らしげに語る。

 軽々とコンクリートを砕くような化け物に勝てるのだから、確かに凄いものである。


 そして2,3分ほど経ったとき。


「……終わった」


 ガード下から声が響く。

 狼の前足の下には、ピクリとも動かなくなった死霊が転がっている。


「サナユキ、こっちに来てから取り込んで」


「わ、わかった」


 コトハの呼びかけに応じて、木の棒を強く握ったまま、サエと2人で向かい始める。死んだとはいえ、死霊に近づくのは気持ちの良いものではない。



 気が進まないまま、ガード下へと足を踏み入れたとき、怖気を感じた。

 急に背中に冷たい氷でも当てられたかのようだ。


 ――何だ?



「上よッ! 避けてッ!」


 時を同じくして、コトハと狼が、急に走り出した。

 ひどく困惑した様子である。


「え?」


 見上げた瞬間、垣間見えたものは、陸橋の天上に張り付いたヘドロのようなモノが落ちてくる様子。

 そして、サナユキとサエは、上から振ってきた黒いカーテンに視界が閉ざされた。


 一瞬間を置いて、黒いカーテンが引き裂かれる。

 裂いて現れたのは影狼の頭である。


 その大きな口で、隣を歩くサエをくわえ、黒いまくの外へと引きずり出した。


 サナユキも咄嗟とっさにチコへと掴まろうと左手を伸ばす。


 無我夢中で何かを掴んだ瞬間、急激に体が背中側へ引き寄せられる。

 体が、くの字に曲がりそうだ。


「な、んだッ!?」


 急にサナユキを包んでいた闇が消え失せた、すぐに光を感じ、周囲の景色が飛び混んできた。


 そこは薄暗い地下街だった。


 まるで真っ暗な映画館のスクリーンが切り替わり、突然、映像が流れ始めたかのような不自然さを覚える。


 さきほどまで間違いなく地上に、電車の高架橋の下に居た。

 それが瞬きをする間もなく、地下街に居るのだ。


「どこだ……ここ。何が起きた」


 あまりのことに独り言が口から漏れる。


「……駅の地下みたい、ね」


 振りかえると、コトハが緊張した様子で周囲を見渡していた。


「コトハも一緒だったのか」


「ええ、だってサナユキが」


 コトハが自身の右腕を指さした。

 その先には、サナユキの手。気がつけばサナユキはコトハの手を握っていた。


「うわ」


 慌てて左手を離すサナユキ。

 暗闇の中、チコを掴もうと伸ばした手はコトハを掴み、一緒に飛ばされてしまったようだ。


「ごめん。巻き込んじゃったみたい」


 コトハは首を振る。


「いいえ、私から握ったの。1人だと危ないと思って」


 女の子を手を握った気恥ずかしさと、助けてもらってばかりの羞恥心が、耳を赤く染める。

 その気持を誤魔化すようにサナユキは話を無理やりつなげた。


「さ、さっきの黒いヤツ、何かな?」


「……死霊のトラップよ。チコとも大分離れちゃった」


「トラップ?」


 小刻みに指先が震えるコトハ。

 いつもの冷静さは崩れていないが、よく見るとしきりに周囲を警戒している。


「おそらくここは死霊の巣よ。ともかく早くここから逃げ――」


 コトハが言葉を急に止め、サナユキへと飛びついた。


「なに!?」


 地面へと押し倒され、サナユキの上にコトハが覆いかぶさった。

 直後、ガッっと何かが破裂するような音がする。


 倒れた地面から見上げて、目に飛び込んだモノ。


 ――死霊


 ついさっきまで自分の頭があった場所を、高速で通り過ぎる黒い爪。

 そして、振り抜いた腕が壁にめり込んだ死霊の姿である。


 死霊の奇襲をコトハが助けてくれたに違いない。


「逃げて!」


 サナユキの横へと倒れ込むコトハ。


「早く一緒に!」


 膝をつきながら上体を起こすと、コトハの背中は真っ赤に染まっていた。

 サナユキを咄嗟にかばった時に、傷を負ってしまったのだろう。


 ――背中に傷が……


 死霊はすぐさま、壁から腕を引き抜き、爪を振り下ろす。

 サナユキのすぐ横にいるコトハの息を止めるために。


「させるかッ!」


 黒い爪を木の棒で受ける。

 だが地面に腰を落としたままで、力が入らない。


 凄まじい力で手に握った棒が吹き飛ばされそうになる。

 このまま押し切られれば、コトハの命が失われる。


 否が応でも、棒に入る力が高まり、奥歯がギギッと音を立てる。


 拮抗はすぐに終わる。


 死霊が体をひねり、蹴りを放ったのだ。


「ぐはッ」


 サナユキの体は吹き飛ばされ、壁へ衝突。

 壁が凹み、タイルががれ落ち、頭上へ降り注ぐ。


 それでもサナユキは真っ直ぐと死霊を見ていた。


「あんまり……痛くない」


 骨折は避けられない無い程の衝撃であったはず。

 だが、我慢できる痛み程度しか感じない。


 一体どういうわけか、体が頑丈になっているようだ。

 そして、戸惑いながらも、冷静に現状を考えている自分がいる。


 やけに思考がクリアだ。


 死霊を摂り込めば、現実の肉体は精神力が向上し、異界では体と祟術が強化される。

 肉体で異界に来れるサナユキは両方の恩恵があるはずだ。


 思い返せば、昨日20体以上の死霊を喰らったではないか。

 それは確かに自分の血肉となっていた。



 「いける」


 サナユキは立ち上がり、一気に駆け出す。


 それは今まで感じたことの無い程の加速である。

 まるで体全体がバネにでもなったかのようだ。


「うおおおッ!」


 死霊と急接近。


 加速の中、木の棒を袈裟斬りに振り抜いた。


 体は極自然と動いた。

 かつて何千回も何万回も、体に染み付かせた剣道の型通りに。


 サナユキが通り過ぎた場所で、死霊が崩れ落ちる。

 肩から脇腹にかけて袈裟斬りにされ、2つの塊となって。


「すごい……」


 コトハから声を漏れ出た。

 すぐさま唖然とするコトハへと駆け寄った。


「早く戻って、サエに治してもらわないと!」


「それは……無理そうね」


 コトハの視線の先には、5体の死霊が映っていた。

 皆、冷たい眼で、こちらを見ている。

 騒ぎを聞きつけて、周りの死霊が寄ってきたのだろう。


「チコが居ない今、私は逃げられない。サナユキだけでも……逃げて」


 そう言ってコトハが左手から黒い鎖を垂らしながら、無理やり立ち上がる。

 深い傷を負った背中から、血が滴り落ちた。


 生霊がどういうものか知らないが、こんな状態で動き回れば、命はないだろう。



 サナユキは黒い木の棒を強く握りしめた。

 恐怖に震える指先を抑えるように。


 ――何でだろう、怖いのに……


「体が……動く」


 サナユキは、コトハを素通りし、駆け出した。


「ダメッ!」


 コトハの言葉を置き去りにする。


 合わせたように死霊たちも、一斉に襲いかかった。


 見る間に、最前の死霊と肉薄。


 攻撃を避けながら、1体を斬る。


 直後、サナユキは左頬ひだりほほを殴り飛ばされた。


「ぐッ」


 床を転がるサナユキ。

 倒れた所をめがけて、死霊が飛びかかってくる。


 ――負けるかッ!


 突き出した棒を、死霊の胸へと沈め、貫通。


 見計らったかのように、左右から2体の死霊が迫る。


「クソッ!」


 すぐさま胸から棒を引き抜き、立ち上がりながら、左側の死霊の胸を斬り上げる。

 流れるように棒を上段から振り下ろし、右側の死霊を肩から斬り落とした。


 ――次はどこだッ!?


 背後から気配を感じる。


 ――後ろッ


 振り向くと、死霊の手刀が迫っていた。

 蹴りや打撃なら耐えられる。


 だが、鋭利な斬撃は命を刈り取る一撃だ。


「まだだぁッ!!」


 咄嗟に、木の棒を正中に構え、攻撃を


 一歩、踏み込み、倒れるように体を至近しきんさせる。


「お前が突き刺されろ!」


 そのまま木刀を突き上げ、死霊のアゴの下から串刺しにした。

 棒が頭の埋まり、わずかに固定される。


 直後、脇腹に衝撃が走る。


 見計らったように、他の死霊に蹴り上げられたのだ。


「ぎッ」


 天井へと激突。


 痛みをこらえ、すぐさま体を起こす。

 そのまま天井を蹴り、急降下。


「うおおぉおッ!!」


 木の棒を、死霊の脳天へと突き刺した。


 舞い上がった土煙。

 崩れた天井や壁。



 辺りには死霊の屍だけが残った。


「はぁ はぁ はぁ はぁ」


 瞳孔が開き切り、肩で息をするサナユキ。


「そんな……」


 コトハは信じられないものを見たかのようだ。


 ――悪くない


 時間にしては1、2分だったというのに、激しい疲労感だ。

 それでも、どこか心地よさがあった。人生でここまで体と心を解放したことはない。生まれ始めて全力で体を使い切ったような感覚。


「コトハ。早く出よう」


 もう少しこの心地よい疲労に包まれていたかったが、ここは運動場ではない。死霊達が、いつまた襲ってくるかもわからない場所だ。


「わかったわ。早く死霊たち……を食べて」


 コトハが半分瓦礫に埋もれた死霊たちを指差す。


 右腕からはえる木の棒を動かなくなった死霊へと近づける。

 すると、木から細かい根が降りるようにむくろに絡みつき、一気に吸い上げていく。


 不思議と胃ではない、心の何処かにある空腹が満たされていくような感覚。


「これ以上体が頑丈になると、たぶん人間扱いされなくなるね」


「身体能力の向上……は、たぶん異界に居るときだけ」


「そっか。やっぱり」


 学校への登校時やケイとラーメンを食べていた時は、少なくとも身体能力が劇的に上がったようには思えなかった。


「それならコトハも取り込んで。死霊のしかばねで強化できるなら、チコを呼び戻して外へ出よう」


 コトハは首を振る。


「今、チコを喚び戻したら……サエを1人で放り出すことになる」


 サエの祟術たたりじゅつはは治療に特化したものなのだろう。ならば死霊に襲われればあらがう術がない。


「なら、早くここから出ようか」


「そう……ね」


 と、コトハが答えた直後、よろけた。

 すぐに肩で支える。


「ごめんない……血を……流しすぎたみたい」


 黒いセーラー服の背中が破れており、服は殊更に赤黒く染まっている。

 本人は気丈に振る舞っているが、先程までのようなしなやかさも俊敏さも無く、足に力が入っていない。


「急ごう」


 駅の地下街。

 現世では何度か来たことのある場所である。階段がどこにあるかくらいは知っていた。

 足早に一番近くにある階段へと向かう。


 だが。


「……崩れてる」


 目の前に広がるのは瓦礫にもれた階段。


「違……う所を探しま……しょう」


 その後も、よろけるコトハを支えながら、階段を探していくが、どれも崩れていた。まるで誰かがわざと壊したように。


 最後の1つは、地下街の端にある階段だ。


 地下街の端近くにある噴水ホールへと近づいたとき、グチャ、グチャという音が聞こえ始めた。


「何か、いる」


 小声でコトハがつぶやく。

 薄暗い中、近くの雑貨屋に隠れながら、そっとホールの中心を覗く2人。


 視線の先には1体の死霊。


「……大きい」


 今まで倒してきた死霊より二回りは大きいのだ。

 まるで物語で出てくるオーガのようだ。


 オーガがホールの真ん中で地面にいつくばりながら、何かをあさっていた。口元を動かす度にグチャ、グチャという咀嚼音そしゃくおんが静かな地下街に響く。


 そして、さらに異様さを際立てるものが、目について仕方ない。


 ――羽がある


 骨のようなものが、右肩から一本突き出ていた。

 手に握りしめた木刀と同じ黒い木のようで、羽というより背中に生えた1本のつのといったほうが適切かもしれない。


 さらに目を凝らす。


「死霊を食べてる」


 地面には息絶えた死霊がおり、それをむさぼっていたのだ。



「なんで……術持じゅつもちの死霊が……いるのよ」


 コトハの引きつった小さな声が耳に届く。

 それは悲鳴のようにも聞こえた。


 尋常ではない声に、静かに振り変えるサナユキ。

 目にした血を流した少女の顔からは、血の気が引いていた。


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