第3話 出会い

 がれたコンクリートに掛かる黒い手。

 黒いレザーの手袋でもはめているのかとも思ったが、質感からして別物である。


 まるでドス黒い影そのものが、動いているかのように見えた。


 影で出来た手に、力が込められる。

 すると生け花用のスポンジに指を埋めるように、指先がパリパリと音を立てて、コンクリートの中へ沈み込んでいくのだ。



 そして、直後。



 巨大な瓦礫が、 弾丸のように弾き飛ばされた。


 人の背丈を超えるコンクリートの塊が、だ。



 黒い手の持ち主が、力任せに投げ飛ばしたのだろう。



「え……嘘……」



 コンクリートの塊が10mほど空を舞う。

 

 そして爆音と共に着地した。


 なお、勢いが止まらなかったのか、転がって遠くの壁へと衝突。

 石と石が当たったとは思えないほど高い音が鳴り響き、壁が崩れると、土埃つちぼこりが舞い上がる。


「げほッ げほッ」


 思わず腕で目を覆い隠すが、鼻から呼吸と共に、入ってきた砂がのどへ届き、咳き込んだ。

 

 それでも、いち早く正体を確認するため、薄っすらと目を開けるサナユキ。

 開けなければならないと、本能が強烈な警鐘を鳴らしていたからだ。



 そこに居たのは、影で出来た人間。



 人の形をしているのだが、空気と肉体との境界が曖昧あいまいで、陽炎がうつろうように黒いもやが漂う。

 目や心臓のあたりには、青白い火が灯っていた。


 鬼火のような目は、サナユキを見ている、ように思える。


「あの……つかぬことをお聞きしますが、帰り道……とか、知りませんか?」


 とは聞いたものの、どう見ても友好的ではない。

 炎を灯した目からは敵意を込めた視線を感じる。


 威圧や牽制などではなく、殺気というものだろうか。

 


「ははっ。変なこと聞いてすみません。それではこちらで失礼しますね」



 戯言たわごとを口走りながら、そっと後ろに下がろうとした。


 だが、足が下がらない。


 そこで初めて自分の体が、ガチガチと震えている事に気がついた。

 まるで虎のおりに放り込まれたような感覚だ。


 混乱により全ての思考が飲み込まれる中、突如、影人間が走り始めた。


 一直線にサナユキへと向かってくる。

 不揃ふぞろいいな石屑いしくずの足場とは思え無いほどに素早く。



「いや、無理、無理、無理、無理、無理、無理、無理、無理、無理、無理、ムリッ!!!」



 黒い影が一瞬で肉薄。


 振り上げられた黒い手には、鋭く尖った爪が光る。


 短剣が5つ、指先に付いているかのようだ。



 その刃が無慈悲に振り下ろされる。



 ――死っ



 迫る死により、頭から一切の雑念が消えた。

 現世への帰り方や、突然現れた影人間も、今は全て思考から捨て去る。


 今の今まで、恐怖によって縛られていた体が、極限にまで研ぎ澄まされた神経に、小指の先まで支配する。


 ――上段……飛び込み面ッ!


 左へと体をずらす。

 剣道で言う面返しどうを狙う立ち位置へと自然と体が動いたのだ。

 先程まで後ろに下がることもできなかった足が。


 一撃でも喰らえば、即死。


 ――もっとッ!!


 遠くへと足を運ぶ。


 即刻、手榴弾しゅりゅうだんでも爆発したかのように、周囲にあった瓦礫がれきが四散した。



 1秒、2秒経ち、舞い上がった土埃が時間と共に薄れていく。


 姿を現したのは、右手から少し血を流したサナユキ。


 たいした怪我も無い様子に、影人間は不思議そうに首をかしげた。


 それも寸秒。


 すぐに薙ぐように、腕を振った。

 爪はサナユキの首筋を狙っている。


 ――払い技ッ


 サナユキは大きく後ろへ下がり、避ける。

 首筋から鮮血が舞った。


 だが、それも致命傷ではない。


 振り切った腕が、鉄筋コンクリートの柱へと食い込む。

 コンクリートは発泡スチロールのように飛散し、鋼の線は蜘蛛の糸のように引きちぎられた。


 まさに人外。


 だが、


「い、いける」


 幼少期から中学まで、打ち込んだ剣道。

 今は辞めてしまったが、体が覚えている。


 影人間の動きは、速い。

 人と比べようもないほどに。


 だが、動きは予測できる。


 その後も次々と影人間の腕が振るわれ続ける。

 次第に傷が増えていくが、どれも死ぬようなものではない。病院で縫ってもらえば良い程度だろう。


 

 ――避けられるなら! 大丈夫だッ!


 そう自分へと、必死に言い聞かせ続ける。

 失敗が死に直結するのだから、無理やりそう思い込まなければ、平常心を保てないからだ。


 しかし、表面張力いっぱいまで張り詰めたような状況は、いつまでも維持できるはずもない。


 逃れに逃れて、今は瓦礫がれきの山の上。


 右へと回避したとき、突き出したコンクリート片に足を取られたのだ。

 急にサナユキの体勢がぐらつく。


 ――まずいッ!


 

 この場は、小石1つ落ちていない屋内の道場ではない。

 そんな当たり前のことが、思考の外にあったほどに集中していた。いや、集中しすぎていた。



 影人間の爪が、よろけた無防備な背中へと振り下ろされる。


 ――爪が刺さるッ


 足捌あしさばきなど全てを放りだし、力任せに地面を蹴り上げた。



 サナユキは瓦礫の山を転げ落ちていく。

 尖ったコンクリート片だらけの地面を転がり、服が破れ、至る所に擦過傷さっかしょうが出来る。


 下まで転げ落ち、勢いが止まったときには、服はボロボロで、全身から血が滴っていた。


 それでも、一秒を惜しみながら、元いた場所へと視線を送る。


 ――どうなったッ!?


 目に飛び込んだのは、地面深くへと突き刺した腕を地面から引き抜いている影人間の姿だった。


 図らずも影人間と間が出来た。


 考えようによっては、好機かもしれない。



「今しかないッ!」



 サナユキは一心不乱に逃げだした。



 廃墟と化した東京。

 全身から血を流し、一心不乱に走る。


 アスファルトががれて雑草が茂る国道を走るサナユキを、追い立てるように迫る影人間があった。

 

 影人間は、重力を無視したかのように崩れかけのビルの壁をって来る。


「もう追いついてきたのかッ!?」


 壁のコンクリートを握りつぶしながら、近づく音が徐々に大きくなる。


 そして、サナユキの背後にゴトッと音を立てて、影人間が降り立った。



「あっ……あ……」



 振り返ると、影人間の青白く光る目が少年を冷たく見下ろしていた。




 もはや、逃げることもできない。

 出来ることは、口を動かすことだけ。



「いったい何なんだよ……俺が、俺が何したっていうんだッ!?」



 何の意味を成さない言葉と知りながら、ぶつけたかった。


 影人間は、無反応のまま、長い爪を揃えて手刀を作る。

 そして、まるで作業のように無機質に突きを放つ。


 ――やっぱり俺は、俺だな……


 諦めにも近い感情が、頭を覆い尽くし、、爪が脳天へと突き刺さるという時、影人間の背後に近寄る者が目に飛び込んだ。



 セーラー服の少女だ。


 そして、その少女がむちのようなもので、影人間を弾き飛ばした。



「ンッ!!?」



 影人間は、3度4度と地面をバウンドしながら、ビルの壁と突き当たる。

 同時、衝撃で剥がれ落ちたコンクリートの下敷きとなった。

 立ち昇る土埃つちぼこりと、き起こる爆音。



「だ、誰!?」



 セーラー服の少女は、土埃つちぼこりに厳しい目を向けたままだ。


「まだよ」


 少女が左手をしならせると、何かがヒュンと通り過ぎる。

 よく見ると、奇妙なことに、少女の左腕から黒い何かが生えている。



 ――手に……黒い……木?



 黒い木は松のようにゴツゴツした表面だが、柳のようにしなやかに動いている。

 まるで意志を持った尾のように。


 セーラー服の少女は、左腕を横へ突き出した。


 すると左手の黒い木の先端から、ツタのように絡み合っていく。

 まるで黒い鎖のように。


 その黒い鎖が地面へと突き刺さると、コンクリートの破片が一気に真っ黒に染まっていく。

 そして、吹き出した黒い水たまりのようなものへと沈んでいった。


 少女の足元に、真っ黒いヘドロの沼が出来たようだ。


 そして、沼から何かがい上がってくる。

 少女の鎖に繋がれた一匹の獣。


 ――狼……


 影で出来た大きな狼であった。質感は影人間とよく似ている。

 さしずめ影狼とでも呼べばよいのか。

 

 狼が唸り声を上げると、今度は崩れたビルの下からも、何かが這い出てきた。

 先程の影人間だ。


「やって」


 少女の指示に従うように、狼が駆け出す。


 影狼の首元と少女の左手は黒い木で出来た鎖で繋がっているが、伸縮自在なのか、狼の走りに合わせて伸びているようだ。


 瓦礫の下からい出したばかりの影人間が、己の牙と爪で威嚇する。


 だが、疾走する狼の足は加速するばかりで一向に足を緩める気配はない。


 狼が大きくねる。


 全速力の勢いのまま、影人間へと襲いかかったのだ。


 狼と衝突し、2体が絡まりながらコンクリートの壁にのめりんだ。

 再び瓦礫が崩れると、そこには影人間を押さえつける巨大な狼の姿があった。


 ――狼の牙が……


 影人間の首筋へと咬みついている。


 必死に抵抗する影人間が、牙を引き剥がそうとしてるが思うように身動きが取れていない。


 狼がうなり声とともに、影人間の首元を喰いちぎる。


 暴力の化身のようだった影人間の手足が、だらんと垂れた。

 そのまま狼の足元に崩れ落ちた影人間はピクリとも動いていない。


「倒し……た」


 唖然あぜんとするサナユキ。

 対して、狼がすり寄るようにセーラーの少女へと戻り、嬉しそうに頭を撫でられる。まるで投げた木の棒を取ってきた犬が飼い主に褒めてもらうような仕草だ。


 少女は、ひとしきり狼を撫でると、サナユキへと向く。


「あなた、大丈夫?」


 見つめる少女のつややかな黒く長い髪がなびく。

 一度見たら忘れようもない程に容姿は整っているが、涼やかな目は、どこか人を寄せつけ無いものを感じさせる。


「は、はい。君は……」



吉良瀬キラセ 琴葉コトハ



 セーラー服の少女コトハの左腕から垂れる鎖が、崩れ落ちていく。

 木がちる映像を100倍速で早送りされたようだ。


 鎖の先に繋がった黒い影の狼も、だ。


 まるで何事もなかったかのように、周囲を取り巻いた異形たちが消え失せたのだ。


 ただただ呆然と、その様子を眺めることしか出来ない。


「コトハ!」


 少女が現れた方向から違う女の声がする。

 すぐさま、もう1人、ボブショートの女が現れた。


 少し年上だろうか。

 大学生ほどで、パーカーを着ている。


「ああ、サエ」


「急に走り出すんだもん。びっくりしたよ」


 セーラー服のコトハが、笑みを浮かべる。

 先ほどの澄ました美しさとは違う、愛らしさを感じる。


「ごめんね。人が死霊に襲われてたから」


「あ、ホントだ。大丈夫、それ?」


 パーカーの女がサナユキを指差し、顔をしかめた。

 サナユキの至る所にある傷を痛々しそうに目をやる。


 セーラー服のコトハが、サナユキを見ながらパーカーの女サエへ話しかけた。


「サエ、治してあげられない?」


「オーケー」


 ――治す?


 手当ならまだ分かるが、治すとなると病院でも近くにあるのだろうか。


 サエは不思議に思うサナユキのすぐ近くへとやって来て、腰を落とした。

 

 そして、祈るように目を閉じる。


 そのまま額を、一番大きな傷がある右腕へと当ててきたのだ。


「え? 何ですか?」

 

 何も答えないサエの額から黒い木が生えきた。

 先ほどコトハの左腕から生えていた黒い木とよく似ている。


 額からつののように生えた木が、根を降ろすかのごとく細かく割け、右腕へと絡みついていく。


「ひっ」


 とっさに右腕を引こうとするが、サエが押さえたままニマっと笑みを浮かべる。


「大丈夫、大丈夫。癒やすだけだから。あ、自己紹介できてなかったね。栃元トチモト 紗慧サエ、西京女子大の1年ね」


不動フドウ……真言サナユキ、照星高校2年です。ほとんど行けてませんが」


「色々あるよねぇ。ま、異界にいる時点で、お察しだけど」


 右腕に絡みついた幹から細かく分岐した根の先端が少し光る。


 ――温かい


 深い切傷があった右腕の傷がふさがり、痛みが嘘のように引いていくのだ。


 すぐに怪我など無かったかのように、綺麗な皮膚となった。

 かさぶたすら無い。


「はい、これで大丈夫!」


「あり……がとう……ございます」


 怪我がこれほどまで早く治ることなどありえるのだろうか。

 今まで起きたことを考えれば、何が起きても不思議ではないが。


「立てる?」


 セーラ服の少女が声を掛ける。

 コトハと言ったか。おそらく同い年くらいだろう。


「あ、ええ」


 サナユキはひざに手を当てながら、立ち上がった。

 コトハがまっすぐと見つめ、問いかけてきた。


「フドウ……君。力を貸してくれない?」


「力?」


 コトハが呼んだ狼以上に役に立つものなど持っていない。

 戸惑うサナユキにコトハが語りかける。


「代わりに、この異界で生きて行く方法を教えるから」


 そう言って、コトハは白く細い指が並んだ手を差し出した。


「生きていく……方法」


 先ほどは死にかけた。

 コトハが助けてくれていなければ、死んでいただろう。


 サナユキはこの世界のことを知らな過ぎる。

 帰り方も、影人間も。そして、少女たちの体から生える黒い木のことも。

 選択などなかった。


「分かった。俺にできることなら協力する」


 サナユキは、コトハの手を握り返した。

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