第4話 出口

「サエ、取り込んで」


「うん」


 パーカーを着たサエが、ひたいにはえたつのを、死んだ影人間に当てる。

 黒い木で出来たような角が伸び、サナユキを治療したときと同じように細く枝分かれし、根を下ろしていくのだ。


 ――吸い込まれてる


 まるで黒い木が根で水を吸い上げるように、黒い影人間が消えていく。


「……これは一体?」


 混乱するサナユキの独り言に、コトハが答えた。


「え? 喰べてるだけよ」


「たべっ……」


 言葉に詰まる。

 確かに言われてみれば、摂取するという意味では食べていると言えなくはないか。


 ――マジか……普通に引くわー


 女子大生が、化け物の死体を、おでこから食べるという不可思議な光景だ。


「ところでフドウ君、あなたはどんな【祟術たたりじゅつ】を使えるの?」


「たたり、じゅつ?」


「そう、祟り。私の鎖やサエの角みたいなの、出せない?」


 先ほど2人が使っていた黒い木のことだろうか。


「ははっ」


 取り敢えず、時間稼ぎの為、愛想笑いを浮かべる。

 というのも、本気なのか、それとも冗談を言っているのか判断ができないからだ。


 ――考えろ、俺!


 一生懸命答えを振り絞ろうとするサナユキへ、2人が警戒を込めた視線を向けてくる。


「出せないの?」


 どうやら本気のようだ。

 そう直感する。


 ――できるかっ!


 突然、体から木を生やしてくれと言われて、即座に『任せろ、はやしてやる』と言える人間など存在するはずがない。

 そう、土に還ろうとしている状態でもなければ。


「いや、木を体から生やすのなんて無理……」


 影人間を吸い尽くしたサエが首をかしげる。


「分からないって、そんなことある?」


 2人が顔を見合わせた。


「簡単に出せたんですか?」


 パーカーを着た女子大生サエが不思議そうに答える。


「というか、出ないように抑える方が大変?」


「抑える?」


「【祟術たたりじゅつ】は怨みの形が具現化したものだから、怒りとか悲しみとかに反応する。そも、ここにいる人は、殺したいくらい怨みを抱えてるもんだし」


 ――皆が怨みを抱えてる? どういうことだ?


 話が見えないが、ともかく2人は、この世界のことを知っているようだ。


「何か怨みとかないの?」


 自分を残して逝った両親、自分をストレスのけ口にする小保内おぼうち

 そして、今いる自分の環境全てに不満はある。


「無くはないけど……」


 それでも誰か殺したいほど憎いかと問われれば、それほどでもない。

 自分が我慢し続ければいいのだから。


「なら、嫌だった事とかを思い出して、怨みの感情を高ぶらせる。そうすれば、取り敢えず祟術たたりじゅつは発動するから。習熟するには、訓練とセンスが必要だけど」


 言われるがまま、日頃あった嫌なことを頭に思い浮かべる。


 生保内おぼうちに、殴られたこと。

 店の準備や片付けばかりに追われること。

 忙して学校へほとんど通えていないこと。


 すると右腕に、僅かま違和感を覚えた。


 ――うずき?


 その違和感に意識を取られると、小さな疼きがみるみると収束していく。


 結果、何も起こらない。


 サエが目をパチクリさせた。


「コトハ……この子、ハズレなんじゃない?」


「サエ、失礼よ。ともかく、フドウ君は祟術たたりじゅつを覚える必要がありそうね。祟術がないと死霊に襲われても抵抗できないから」


「死霊? あの真っ黒い影みたいな奴のこと?」


 死霊というより悪魔といった方が適切そうだが。


「そうよ」


 なるほど、とは思うが、さほど重要ではない。

 今、最も大事なことは、もと居た世界へ帰る方法である。


「その、たたりじゅつ? とかは後にして、まずはここから出る方法を教えてくれない? お店を空けてきちゃって」


 2人の警戒が1段階上がり、不審者を見るような目に変わる


 ――俺なんかまずいと言った?


「……フドウ君。もしかして、あなた、自分が何者だか分かってないの?」


 ――いきなり哲学的な問いかけだな


 剛毛ヒゲを生やしたオジサンの石像が頭に浮かぶ。

 ともかく邪念を振り払い、一般的な答えを口にした。


「一応、照星しょうせい高校の2年だけど……」


「それは本体の方よね? あなたは、つまり怨霊の一種だっていう自覚はある?」


 ――俺が……生霊??


 源氏物語や怪談噺かいだんばなしで出てくるやつだろうか。


「ごめん。さっきから何を言ってるか、全然理解できてない」


 意味不明な言葉を羅列されているような感覚である。

 サエがコトハの肩を揺する。


「コトハ。やっぱりこの子、変よ。普通、目覚めたときから本能的に理解してるじゃない」


「……そうね。フドウ君、この世界に生れ落ちたときのことを教えてくれない?」



 生れ落ちたという言葉に違和感を覚えつつ、この世界へ着た経緯の説明を始めた。


「えっと、今日バイトしてたら――」


 サナユキは猫カフェから少女に連れられて、この世界に放り込まれたことを説明した。白い鎧姿の少女に、変な黒い実を食べさせられたことも。


 みるみる内に2人の顔が厳しいものとなっていく。

 特にパーカーのサエは、狼狽ろうばいしているようにすら思える。


 一通り話終えたとき、サエが立ち上がった。


「ヤバいって! 白い鎧って、退魔師だよッ!?」


「……サエ、落ち着いて」


「落ち着いてられるわけ無いじゃん! 退魔師に見つかったら私達、はらわれるんだよ!? 殺されちゃうのッ!!」


「あの……何か――」


 サナユキが尋常ではない怯え方をするサエへと近づいたとき、激しく手で振り払われた。

 まるで気色の悪い虫を追い払うかのように。


「近寄らないでッ! 肉体でこっち側に来てるってことは、あんたも退魔師じゃないの!?」


「サエ」


 コトハが恐怖に歪むサエを抱きしめた。


「だって……だって。この前も、1人、殺されたんだよ……」


「フドウ君は【祟果たたりか】を食べたみたいだから、間違い無く生霊よ」


 祟果たたりか

 食べさせられた黒い実のことだろうか。


「本当に? 大丈夫? 私達、はらわれないの?」


 涙を浮かべて震えるサエ。


「大丈夫よ。きっと」


 明らかにコトハのほうが年下であるが、まるで母のようにサエを宥めている。


「……うん」



 話に置いてけぼりにされたのはサナユキ。

 確かにおかしな世界ではあるが、自分はどこにでもいる高校生だ。


「あのぉ、この世界に来ることってそんなに変なことなの?」


 少しだけ落ち着きを取り戻したサエの肩を抱きしめながら、コトハがまっすぐにサナユキを見る。


「フドウ君……知ってるよ。この世界を出る方法」


 求めていた答えが、唐突に見つかった。

 思わず前屈みにある。


「知っているのであれば、教えて! 」


「ねえ、コトハ危ないこと、やめようよ」


 少女とサナユキの視線が交わる。


「必ず恩は返すから! 君の力にもなる、約束する」


「本当に? 約束してくれる?」


「必ず」


「なら……いいよ。ついて来て」


 


 3人は歩き始めた。

 

 一番前をコトハが進み、その横をサエが行く。

 サエは怯えるように時々後ろを歩く、サナユキへと注意する視線を送くった。


 ――いや、これは傷つくな


 怯えることは日常茶飯事だが、怯えられるのは慣れていない。


 目を背けるように、スマホを確認した。


 ――まだ13時23分か


 時計が壊れているのかもしれないが、既に昼休みが終わって30分近く空けてしまっていた。体感としては数時間以上経っているのだが。


 生保内おぼうちは苛ついているに違いない。

 猫たちに当たり散らし始めるかも知れない。


 ――急いで帰らないと


 店の前にある通りを超え、穴だらけのアーケード街へと足を踏み入れ、駅がある方へ向かう。

 すぐに駅前のロータリーを超えて、構内へと足を踏み入れる。


 ――卵が……


 駅の中には、目がある卵が多く転がっていた。

 自身の家があった周辺より増えているように思う。


 嘘か真か、あれがこの世界の人らしい。


 薄気味悪く、駅構内の南北を繋ぐ自由通路を足早に抜けた。

 

 向かう先は、おそらく大きな池のある井の頭公園だろう。

 マルイ百貨店を超え、雑居ビルの横を過ぎた先にある。


 普段なら人がひしめいている通りを、慎重に前へと進んでいく。


「ここよ」


 コトハが静止した場所は、公園へと続く階段の前だ。

 3人はスタバだった建物に隠れながら、周囲を伺う。


「まだ井の頭公園に着いていないけど、ここでいいの?」


「この世界は人の死角にある負の感情が溜まった場所。だから出口のその反対、正の感情を持った人が沢山集まる場所が最も境界が薄いの」


 ――負の感情……


 何度も通ったことのある公園へと続く階段を覗き込もうとしたとき、腕を引かれた。


「うわっ」


 コトハが引っ張ったようだ。


迂闊うかつに近づいちゃダメ。こういう場所は死霊が溜まりやすいの」


 先ほど襲われたばかりである。

 傷は癒えたがその姿は脳裏に焼け付いていた。


 コトハがそっと公園方面を確認する。


「今は……居ないみたい。良かった」


 3人はゆっくりと身を乗り出して、歩き始めた。

 公園へ続く階段坂へと足を踏み入れる。


「……本当にここから出られるの?」


 声を押し殺して、サナユキが尋ねた。


「そうよ。ちょっとまってて」


 コトハが左手を横へとあげる。

 同時に左の肘から生えてきたものは先程と同じく黒い木。


 垂れた木が絡み合って鎖状となり、階段のコンクリートへと突き刺さる。

 すぐに鎖を中心に黒い沼が拡がった。


 先程はこの沼から狼が這い出してきたのだが。


「ここに飛び込んでみて。そうしたら現世へ戻れるから」


「そう、なんだ」


 意外にもあっさりとしたものである。

 だが、帰れるのであれば文句などない。


「祟術の力は異界のあらゆるモノへ干渉するから、向こう側と繋がったはず」


 サナユキは一歩ずつ近づいていく。


「……助けてくれて、ありがとう」


「うん。急いで、死霊が来るかも知れないから」


 地面にできた黒い沼へと足を入れる。


 ――体が埋まっていく


 足先に感じるのは、ねっとりとしたジェル膜のようだ。

 まだ片足を入れただけだが、まくを超えた先に空間があることが分かる。


 サナユキはコトハを見つめた。

 そして、笑みを浮かべる。


 よく見ればコトハのセーラー服は櫛灘クシナダ高校のもの。


 東京でも、お嬢様が通う屈指の名門校。

 周辺の高校には詳しくないサナユキですら知っているほどだ。


 そんなことすら視界にも入らないほど、焦っていた。


 だが、やっとお別れである。

 変な実を食べさせられるわ、死霊に殺されかけるわで、何1つ良いことなどなかった。


 と、考えた。


 ――いや、1つだけ


 目の前の少女と会えたことは良かったと素直に思える。

 バイトに明け暮れる日常では、決して出会えなかっただろう。


 何のメリットもないにもかかわらず、サナユキを助けてくれた。

 手を貸してくれた。



 恩を返す。君の力にもなる。

 そう約束した。


「俺は、約束を守――」


 突如、視界の端に影が差す。



「は? なに勝手に帰ろうとしてるんです?」



 胸に衝撃が走る。



「ぐぼッげッ!!」


 浮遊感を覚えた。


 車にでもねられたかのように、吹き飛ばされたのだ。

 衝撃とともに、肺の空気が、無理やり口から吐き出さされる。


 タイヤのように階段を転げ落ちた。


 視界がぐるぐると回った後、仰向けで止まる。

 

 全身が痙攣けいれんし、思うように動かない。

 痛みに堪えながら、先居た場所を見る。


 ――何、だよ、あれはッ!?


 そこに居たのは、白い鎧を纏った少女。

 異界にサナユキを押し込んだ張本人だ。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る