第5話 帰還

 突如現れたのは、白い鎧を纏った少女。 

 異界にサナユキを押し込んだ張本人。


 コトハが近くの壁へと打ち付けられ、痛みに痙攣している。

 同じように、弾き飛ばされたのだろう。


 ガタガタと震えるサエが指差した。


「た、退魔師ッ!?」



 白い鎧の少女は、不機嫌そうにサナユキを見ていた。

 明らかに自分を狙っている。


「に、逃げッ、な」


 サナユキは、腹ばいになって、匍匐前進ほふくぜんしんを始める。

 走って逃げようにも、先程の衝撃のせいで足で立てない。


 白い鎧の少女が一歩ずつ、近づいてくる。


「何のために貴重な祟術たたりじゅつを宿らせたと思ってるんです? 発現させないまま、帰らないで下さい」



 ――絶対に捕まっちゃダメだッ



 まだ呼吸すらままならない状況である。

 少女を確認するのを止め、前に向いて、がむしゃらに腕を動かした。


 それも無駄な努力。顔の横に、ガシャリと音を立てて、足が置かれた。


 見上げると、白い鎧の少女が微笑んでいる。


「自分でできないなら、手助してあげますね」


 少女がどこからともなく、真っ黒いはこを取り出し、無造作に地面へと落とす。


 はこは地面に当たると砕け、破片はまるで空気に溶けるするように消えていった。

 そして信じられないことに、少女も壊れたはこと同じように、さぁと幻影だったかのように霧散する。


 ――人が……消えた……


 まるで手品でも見せられているかのようだ。


「キャアアアァ!」


 唖然としていたサナユキの耳に、突如、サエの叫び声が飛び込んだ。


「え、何」


 振り向くと、すぐにその理由がわかる。

 

 影人間が現れたのだ。

 確か、死霊と呼ばれていた。


 それも1体ではない。


 別々の方向から、次々と集まって来ている。

 20体を超えるほどの死霊が一気に姿を現した。


 その視線は、全てサナユキへと注がれている。


「……な、んで」


 サナユキの腕は、思考と共に止まる。


 すでに死霊に取り囲まれている状態であった。

 逃げ場はないにもかかわらず、まだ体は思うように動かない。


 ――何の冗談だよ……これは……



 うちの1体の死霊が、いきなり走り始めた。


 すると続くように他の死霊も駆け出す。


 獲物は当然、サナユキ。

 肉食獣の群れが仕留めた獲物へ、我先にと喰らいつく姿と重なる。


 もはや、できることは、ただ背中を丸め、地面に伏せることだけ。


「うわぁああっ!!」


 無意識に漏れ出た感情が、叫び声となって木霊した。


 頭上で、ハンマー同士を打ちつけあったような空気を振る舞わせる音が響いた。

 一拍して、破裂音と共に、地面が震える。


 恐る恐る上を見上げると、死霊同士が拳をぶつけあっている。


 強い力ゆえか、衝突した力が逃げ場を失い、かかとへと伝わった結果、死霊の足元のアスファルトを砕いたのだ。


 ――あんなの殴られたら……頭が潰れる


 胃に冷たいものが流れる。


 そして今、死霊たちが暗いドームを作り出し、その中に閉じ込められた。


 見上げた視線と、青白く灯る目が合う。

 死霊たちがサナユキを、狙って争っていることは疑いようがない。


 再び死霊たちが、サナユキの頭上で殴り合う。

 人サイズの者が殴り合ったとは思えない様な音ともとに、更に、アスファルトが砕け散り、地面が凹む。


 拳を重ね合った、死霊たちがヒタと止まり、目配せし合いはじめた。


 ――次は、なんだよ!?


 次は腕をサナユキへと伸ばしてきたのだ。


 有無を言わせず、全身を掴まれ、凄まじい力で持ち上げられる。

 数体の死霊に羽交い締めにされたのだ。


「死にたくないよ……まだ……まだ死にたくないッ!!」


 眼の前にいる死霊の口が大きく開く。影でかたどられた顔にある口の奥底からからは、仄明ほのあかるい光が差し、生えた長い牙を浮き上がらせ、 強く死を連想させる。



「……フドウ君を、助けて上げてッ!」



 その時、コトハの声が響き渡った。

 どうやら意識を取り戻したらしい。


 コトハの使役する影狼がこちらへと駆けてくる。


 ――やった


 淡い期待が頭をよぎっる。


 が、それも一瞬。

 3体ほどの死霊に掴まれ、狼が力任せに引きちぎられた。


 唖然とするコトハに対して、サエが叫び声を上げる。


「早く逃げなきゃッ! こんな数の死霊、絶対に無理だよッ! 食べられちゃうよ!」


「でも、あれだと!」


 サエに無理やり引きずらえる形で、コトハが離れていく。



「お願い、置いてかないで……」


 無意識に伸ばした右腕を、死霊の黒い手が強く締め付けた。


 まるで巨大な歯車に巻き込まれたかのように、腕はズギュと詰まった音を立てて、あっさりと腕の骨が砕けた。

 まるでスナックでも握りつぶすように。


 それにも関わらず、恐怖により痛みなど二の次になり、「死にたくない」という原始的な感情が、心臓の鼓動を速くする。


 だが、同時にある感情も湧き出てくる。



『そろそろ楽になったら?』



 両親に先立たれ、家族も居ない。

 友達もほとんどいない。

 彼女ができたこともない。

 店では生保内おぼうちに服従させられる。

 部活も諦め、高校も欠席ばかり。


 オーナーと言っても名義上ばかりで何の実権もない。

 ある程度の年齢となれば、今の店も家も、生保内おぼないに追い出されることは分かりきっていた。


 社会にとっても、誰かにとっても、自分は何の価値も無い人間でしかない。


 もともと何の希望も無い人生ではなかったか。


 ――生きてても、意味ない、のか


 今まで自殺を考えたことなどはなかったが、避けることの出来ない死を前に、何かが振り切れたのかもしれない。

 あるいは、そう思い込んだ方が楽だったからなのかもしれない。


 死を受け入れると、不自然なことに恐怖がかすれていく。

 むしろわずかに安堵すら沸き起こる始末だ。


 残ったのは1つの考え。



 ――なんで、こうなったんだ



 不公平ではないか。


 同級生たちは、親の庇護下ひごかで食事も寝床も与えられ、学校や塾に行くことができ、バイト代も服やゲームの為に使える。

 放課後は部活にいそしみ、週末は遊びに出かける。


 ――母さん、父さん


 働きもしない生保内おぼうちが店の利益の大半を持っていく。

 気に入らないことがあれば、怒鳴られ、叩かれる。


 朝から晩まで働き、シフトの隙間を埋める。同級生たちが、将来のため、大学や短大へ進学するために学校や塾に行っている時間に、だ。


 ――生保内おぼうちさん、どうして、いつも……


 そして……あの女。

 この世界へと突き落とした白い鎧を着た少女。


 笑っていた。


 ――アイツが!


 強く歯を食いしばると、唇から一筋の赤い血が流れ落ちた。


 頭の中を、汚泥のような黒く粘りけのある感情が覆い尽くしていく。



 ――皆……みんなッ! 好き勝手やってるのに、どうして、いつも俺だけがッ!!



 今まで人を疎ましく思ったことは何度もある。

 消えて欲しいと思ったこともある。

 だが、存在そのものを許せないと思ったことはなかった。


 今は、在る。


 右腕に僅かなうずきを覚えた。

 特に折れて骨が砕けた右腕に。


 それは痛みとは全く違う感覚であった。


 ――許せないッ


 負の感情と共に、そのうずきは増していく。

 右腕が振動しているように感じる。いや、実際に震えていた。


 感情の高まりと相関するように、疼きは振動となり、振動は震動しんどうへと大きくなる。


 対して、四肢を掴んだ死霊たちの手が緩む。中には後退りする者たちすらいる。

 


 そして。



 右の前腕が



 黒い何かが、腕から飛び出したのだ。

 それは黒い木の枝のようであった。


 8本の黒い枝が、八方へと急激に伸び、周囲の20体以上の死霊たちを貫いた。


 胸を貫かれた死霊。

 頭を貫かれた死霊。

 腹を貫かれた死霊。


 尚も勢いが止まらなかった黒い木は、ビル達をなぎ倒す。

 横に伸びた木は、在る所から、上へ上へと目指し始めた。


 8本の巨木が天を目指すように、そのままビルを縦に貫く。

 木が芽吹き、土を押しのけるかのように。


 間を置いて、爆音を立てて周囲の建物が崩れ落ちる。


 数え切れないほどの小石が降り注ぐ。

 だが、もはやそんな事は細事さいじ


 半径200メートルほどの雑居ビルが一斉に倒壊したのだ。

 まるで空襲のど真ん中に放り込まれたようだ。


「あ、ああっ」


 唖然としながら、あたりを見回す。

 右腕から生えた黒い木により、サナユキの周りは太い幹で埋め尽くされていた。


 少し離れた場所で木と木の間に、2人の少女がうずくまっていた。


「何よ……あれはッ!?」


 サエが恐怖に染まり震えていた。


「……わからない」


 コトハも愕然がくぜんとした様子だ。


 視点を近くへと向けると、右腕から生えた黒い木に貫かれた死霊たちが、ピクピクと痙攣けいれんしている。

 腕も足も、だらんとぶら下がり、動く気配が無い。


 ――枝が……喰ってる


 幹のように太い枝から根が降りるように、貫いた死霊たちへ絡みつくのだ。

 そして、細かい根が水を急速に吸い取るように、影を飲み込んでいった。


 影で出来た死霊たちが、またたく間に根に吸い取られていく。

 そして、消え失せる。


 

 役目を終えたかのように、周囲に聳える巨木たちが砕け始める。

 急速に形を失い、黒い灰となっていくようだ。


 巨木であった黒い灰が、濁流のように押し寄せる。

 津波と化した灰が頭上から降り注ぐ。


 一瞬でサナユキを飲み込んだ。


「ぐっ」


 息ができない。

 真っ黒な世界に取り残されたかのようだ。


 だが、それも少しの間。

 急に、体が何も無いくうへと、放り投げられた。


 閉じたまぶたの向こう側に、まぶしさを感じる。



 ――どうなったんだ


 うっすらと目を空けると、そこはビルとビルの間だった。


 廃墟でない。

 エアコンの室外機が音を立て回り、光の先に見える道路には車と人が行き交っている。


「戻って……来た……」


 ビルの谷間で、1人呆然と立ち尽くすサナユキだった。







 時を同じくして、先程までサナユキが居た荒廃した東京を一望できる廃ビルの屋上。

 

 恍惚こうこつの表情を浮かべる白い鎧を纏った少女が1人いる。

 


「あれが神代からあるたたり。神殺し禍剣にして、神産みの祝剣。なんて綺麗なの」

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