第6話 日常

 ビルの谷間で、ビルの谷間に立ち尽くす真言サナユキ


 ――夢……だったのか


 体を見下ろすと、服はボロボロである。


「夢じゃない」


 更におかしなこともある。

 右腕は骨ごと砕かれたはずなのに、青あざ程度しか残っていない。


 ――なんで怪我が治ってるんだ


 白い鎧の少女に吹き飛ばされた時についた傷はあるが、どれも軽い擦り傷程度だ。


 ――あの黒い木のせいなのか?


 右腕から生えた8本の巨大な黒い木。

 幻のようでもあったが、どこか体に感触が残っている。


 後ろを振り返ったが、目の前には、ただビルの壁がそびえ立っているだけだった。

 狐につままれたかのような気分である。


 ともかくビルとビルの間で呆然としていても仕方がないと、真言は無理やり気持ちを切り替え、家へと急ぐ。



 たった今までいた荒廃した東京とはうって代わり、道行く人が行き交っている。破れた服を着た真言へ、興味と蔑みを足して2で割ったような視線を投げつけながら。


 ――いや、服が破れてるのは俺のせいじゃないから


 恥ずかしさを誤魔化すように、スマホを取り出して確認すると時間は14時を超えていた。

 体感的には半日は経っていたように感じたが、日の昇り具合や街の通りをすると時間を間違えているとは思えない。スマホが壊れていたのかと思ったが、そうでもないらしい。


 あれだけ奇っ怪な時を過ごしたのだ。

 多少、時間感覚がおかしくなっていても仕方ないことかもしれない。


 急いで小走りし、自宅兼猫カフェの扉を空けた。


「すみません! 遅れました!」


 正面のカウンターに立っているのは生保内おぼうちである。

 ひどく不機嫌そうだ。


「お前……今、何時かわかってるのか?」


「本当にすみません」


「何時かと聞いているんだッ! 答えろ、この愚図がッ!」


 生保内おぼうちが腕を振りあげた。

 いつもの鉄拳制裁であるが、客前でやられるのは久々である。


「ははっ」


 敵意がないこと示すため、愛想笑いを浮かべる。

 だが、 生保内おぼうちの腕は降ろされない。今日はダメな日のようだ。


 目を閉じて、右腕で顔をガードした。

 痛みが来る心構えを、僅かな間に整える。


 ――あれ?


 だが、いつまで経っても痛みが襲ってこない。


 うっすら目を空けると、生保内おぼうちが戸惑っているのだ。

 自分でも振り上げた腕を、なぜ振り下ろせないのかを不思議に思っているようだ。


 生保内おぼうちの視線はに注がれている。


 ――珍しい……


 バカは殴らないと、わからない、というのが彼のポリシーだ。

 どうしようもないほど独善的な考えだが、生保内おぼうちにとっては、世の理であった。だが、今日に限って、それが成されない。


「え、なに? なに?」

「パワハラじゃない、あれ」

「それよりも、あの子、服が破けてない?」」


 店内に客たちのどよめきが拡がった。


「チっ、まぁいい。俺はこんな店が潰れたも問題ないが、困るのはお前だ。おれは帰る。後は全部やっとけッ!」


 生保内は厨房の奥へと戻り、セカンドバッグを乱雑に掴んで店を出て行った。


 真言は右腕を見つめる。

 明らかに生保内おぼうちは右腕を注視していた。


 ――どうしたんだ?


 おかしなこともあるものだと思いつつ、店の営業時間はまだ続く。

 呆けている時間はない。

 その後、服を素早く着替えて夜9時まで働いた後、店の片付けや猫たちの世話にを淡々と熟していく。本来、生保内おぼうちの仕事であるはずの帳簿管理も。



 やっとベッドに入ったのは12時過ぎである。


 寝ようとした時スマホのアプリの通知が飛び込んできた。


 真言に連絡してくる人は限られる。

 案の定、唯一の友達からだった。


『サナユキ、明日学校だろ? 部活終わったら一緒に帰ろうぜ』


『いいよ。明日、学校で』


 スマホの画面を切ると、部屋が一気に暗くなる。


 ――あの世界……異界は何だったんだ?


 疑問が頭をよぎるが、全身に鉛が付いたように思い。

 頭はフラフラである。目をつむりと数秒で眠りへと落ちていった。




 そして、翌日。

 真言は学ランへと袖を通していた。

 久しぶりに学校へ行く日だ。


 全身にできた切傷が少し痛むが、服を着れば目立たない程度であり、日常生活には影響はない。


 真言は、定時制の高校に通っている。

 当然、仕事があるからであり、全日制の高校へ通っていては店が立ち行かない。


 定時制と言っても、ほぼ通信制であり、学校に行くのは週に一度でよい。

 もともとは昼間の定時制だったが、コロナ禍の影響を受け、半通信制へ移行した結果である。それは、高校の進学を諦めていた真言サナユキにとって渡りに船だった。



 そして、一週間ぶりに高校へと足を踏み入れる。


 ――相変わらず、何かピンと来ないな


 まず、まるで母校という感じがしない。

 真言は定時制だが、全日制も併設されており、全日制の普通科は都内でも屈指の進学校である。


 全く勉強ができない真言サナユキからすれば、場違いな場所にいる気がしてならない。


 隠れるように、全日制の生徒がいる校舎を通り過ぎ、グランドの端にある小さな校舎へと足を踏み入れ、担当教諭へと声をかける。


 すぐに椅子と机だけが置かれた小さな指導室での面談が始まった。

 真言にとっては苦痛の時間でもある。


 担当は50台の男性教諭で、体育教師でもないのに、なぜかいつもジャージを着ている。

 椅子に座った座ったばかりだというのに、教諭の貧乏ゆすりで机が小刻みに揺れていた。



「オンライン授業も出席はギリギリだよね? レポ―ト提出も遅れがちで、試験の結果も下の下ですよね? 本当にやる気ありますか?」


「あります。でも、店が忙しく――」


「ああ、そのヘンは結構。家庭の事情に教師が首を突っ込むとね? 色々と言われる時代だからね?」


 聞く気もないのに、なぜか、いつも疑問形で聞いてくる担当教諭との会話は何度やっても慣れない。

 まるで後から文句を言われないように聞くスタンスは示した、と言われているようだ。


「もう少し勉強して、成績をあげてくれないとね? 唯でさえ、定時制の成績が悪すぎて閉鎖しようという話が上がってるくらいだからね?」


「はい、アルバイトも募集してるのですが、皆すぐに辞めてしまって。自分が埋めることになってしまい……」


 アルバイトがすぐに辞める理由は生保内おぼうちである。

 時代錯誤の独善的なパワハラをしていれば、居着く人も居着かない。



「これは、僕の意見では無いのだけどね? 店を辞めたらいいっていう意見を言う教諭もいるんだよ? 高校も卒業できないと、将来困るのは君だよ?」


「……もう少し考えさせてください」


 毎週のことであるが、憂鬱な気分にさせる。

 自分がダメな人間であることをねちっこく責められているような気分だ。


 店を閉めようかと思ったことはある。

 だが、猫たちの引き取り手を探すのも容易ではなく、数少ないながら固定客もいる。

 何より、両親との思い出が詰まっている店を閉めてしまえば、本当に自分が孤独になってしまう気がするのだ。


 とはいえ、経営状態は良くない。

 遅かれ早かれそうなるのだが、できるだけ考えないようにしている。


 ――はぁ。どうすりゃいいんだ


 その後もレポートなどを提出するために、数人の教師を回り終えると18時半だ。


 全日制の生徒と顔を合わせないよう、隠れながら校門へと向かう。

 校門から少し奥まった木陰で友人を待った。


 すぐにスマホのアプリでメッセを書き始める。

 すると、突然、肩へと腕を回された。


「よ! サナユキ!」


 振り向くと、友の顔がすぐ隣りにある。


「あ、ケイ。今からメッセしようとしてたんだ」


「問題ないって。いつも、この時間だから、俺が間違うわけないって」


 軽快に笑うのは小学校時代からの友達ケイだ。

 ケイは全日制に通っており、今は部活帰りだ。


「昨日はごめん。最近、全然、遊べなくて」


「気にすんな。それより腹減ったー。ラーメンでも食べに行こうぜ。おごる」


 ケイは親指と人指し指を丸めて、真言サナユキへと見せる。


「……いいよ、自分の分くらい自分で出す」


 嬉しそうに笑うケイ。


「とりあえず行くか」


 2人が校門を潜ろうとしたとき、声がかかる。

 

「ケイジョウ先輩!」


 振り向くと女子生徒が数名だ。

 先輩とケイを呼んだことから、後輩だろうか。


「ちょっと! ケイジョウ先輩に話しかけるなら最初に教えてよ!」

「ヤバ、本物だ」


 声を掛けた女子生徒の回りにいる子たちもソワソワしている。


「この前は相談にのってもらって、ありがとうございました。よかったら、これ、受け取って下さい」


 女子生徒の1人がラッピングした小包を差し出した。

 顔を真赤にして。


「わぁ! ありがとう。すげぇ嬉しい。またいつでも相談にのるよ」


 ケイが嬉しそうに受け取り、カバンへとしまった。


 女子生徒たちの黄色い声が上がる。

 そして、恥ずかしそうに、キャッキャッと言いながら小走りで校舎へと戻って行った。


 ケイはそれを手を振りながら、笑顔で見送る。


「相変わらずモテるよな、ケイ。イケメンで身長高いし、成績は常にトップで、剣道の選抜。それに日本を代表する財閥の御曹司ときた。どんだけチートなんだよ」


「ふっ、罪な男だな、俺は」


 少し眺めの前髪をわざとらしくかき上げるケイ。


「それより、サナユキ、これいる?」


 つまんだのは女子生徒が持ってきてくれたお菓子である。


「……嫌味か?」


「知ってるだろ。甘いもの好きじゃないんだ。絶対クッキーだろ、これ」


「好きじゃないものを、よくあれだけ嬉しそうに受け取れるよな。間違いなく役者になれるぞ。ついでに爆発しろ」


「男の嫉妬はみっともないぞ、サナユキ」


 腕をまた首へと回してきた。


「はいはい」


 いつもの会話である。

 2人はこんな関係だった。小学校の頃からずっと。


 他愛もない話に夢中になりながら、2人は駅前のラーメン屋へと入った。

 育ち盛りの男達とっては、ラーメンなどおやつ代わりである。


「いやぁ、うまい。あんまり家だと、こういうのを食べさせてくれないからな」


「そりゃそうでしょ。今どき家政婦さんがいる家なんかないでしょ」


「まあな、体に良い料理とか上品なものとかに、こだわり過ぎなんだよ。たまにはこういうのを体が求めるんだ」


 ラーメン屋の中で前髪をかき上げるケイ。


「なんでラーメン屋でカッコつけるのか意味わかんない。てか、他の友達とは来ないの? 俺と違って沢山いるじゃん」


 ケイが苦笑いを浮かべた。


「ラーメンとかじゃなくて、焼肉屋やらなんやらで、おごってもらえることを期待してる奴らばっかりでな。あとは女を連れ出すためのダシか」


「ケイがいるから女の子が来るってのが、おかしいでしょ。お前は芸能人か」


「俺の魅力は全てを惑わす」


 再び、ラーメン屋の中で前髪をかき上げるケイ。


「時々、ケイが本当はアホなんじゃないかと心配になる」


「皆まで言うな、友よ」


「はいはい」

 

 食べ終わって一段落つき、別々に会計を済ませる。


 そして、店を出た時。


 真言さなゆきのすぐ前を、黒く長い髪がなびいた。

 同時、どこかで嗅いだことのある香りが鼻に飛び込む。


 白く透き通る指に、赤く血色のよいほほ


 ――あの人は


 前を通り過ぎようとした人を呼び止めた。


「キラセさん!」


 吉良瀬きらせ 琴葉ことは

 影の狼を喚び出して、助けてくれた人である。

 昨日と同じセーラー服を着ている。櫛灘くしなだ高校のものだ。


「……え?」


 振り返った顔は間違いなく昨日、異界であった少女である。

 見間違えようがない。


 思わず前へと駆け寄った。

 ずっと気がかりだったのだ、自分だけ帰ってきたため、2人が、その後どうなったのか。


「昨日はありがとうございました。栃本さんはどうなりましたか?」


 いぶかしげに琴葉ことは真言さなゆきを見ている。 

 反応がおかしい。



「……あなた、誰?」

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