第2話 焦燥

 サナユキはあたりを見回した。

 そこは廃墟と化した東京だ。


「どこだよ、ここは!?」


 起き上がろうとした時、何かが手に当たり、コロコロと転がる。


 白い卵だ。

 転がる白い球体が崩れかけた壁へと当たり、止まる。

 その周囲にも大小様々な卵がまばらに転がっていた。


 だが、夢と違う点が1つ。


 卵に異様なモノが付いている。


 ――目だ


 卵についた眼球が忙しなく動き、サナユキの目や手を観察しているのだ。


「キモッ!」


 仰向けのまま、手足をバタバタつかせ、後ろ向きに遠ざかる。

 すると細く柔らかい何かに、脳天が当たった。


「ここは異界です。神域や幽世かくりょなんて呼ぶ人もいます。そして、あの白いのは、人」


 見上げた視線の先に居たのは、先程の少女だ。

 少女の足に当たって止まったのだろう。


 相変わらず吸い込まれそうなほどの魅力を放っている。

 魅惑をはねのけるように首を振り、先ほど突き落とされたことを思い出す。


「いったい、何のつもり――」


 一呼吸ほど遅れて、少女が鎧を身に着けている事に気がついた。


 真っ白い和風の鎧だ。


 腰の周りについた鎧がスカートのように長い。

 かぶとではなく額当ひたいあてというのだろうか、真っ白いバンドをリボンの様に巻いている。


「……コスプレ? 何ですか、その姿?」


 夢で見た荒廃した世界に放り込まれた直後、押し込んだ少女がよろいを着て現れた。しかも、薄気味悪い目の付いた卵が人ときた。


 素直に飲み込める方が、どうかしている。


 少女は混乱するサナユキを気に留める様子もなく、満面の笑みを浮かべた。


「やはり、こちら側へ肉体ごと入ってきても、耐えてるみたいですね。血縁に退魔師でもいるのでしょうか」


 何を言っているのか全く理解できない。

 ともかく少女がこの場所を知っていることは間違いなさそうだ。


「退魔師? それより異界って何? 映画の舞台か何か?」


 少女は言葉を無視し、胸元へと手を入れ、鎧の間から何かを取り出した。


 2粒の黒い果実だ。


 一口で飲み込めそうに小さく、並んだ果実は、腐りかけた黒いサクランボにも思える。


「さて、早速、実験に入りましょう」


 仰向けのまま、抜けた声をあげたサナユキへ、少女が覆いかぶさった。


 ――実験って何!? どういうこと!? 


 少女の細腕により、強く首筋を押さえつけられる。


 振り払おうとするが、体が全く動かない。押し込まれたときと同じだ。

 華奢きゃしゃな少女のどこに、それ程の力があるのか理解できない。


 それでも先程から会話が全く成立しないまま、一方的に話を振られ、力付くで物事が進められていく。


 サナユキの抵抗など無いかのように、黒い果実を指でつまんだ。


「さあ、食べて」


 鼻先が当たりそうなほど近寄る少女は、笑みを崩さない。

 人形のように整った容姿が、より異常な状況を際立たせる。



 ――ダメ、絶対


 明らかにヤバい実を食べろと言われて、素直に食べるはずがない。

 どこかで見たスローガンを頭に思い浮かべながら、必死に首を振った。


 少女は溜息をついて、首筋を抑えていた右手で、無理やり口を抑え直す。


「うぐっ」


 直後、口の中に異物を感じた。


 無理やり突っ込まれたようだ。


「うがッ……げぼっ……ぐづっっッ!」


 喉奥のどおくへと行かないよう舌で押しのけるのだが、まるで2つの実は意思でもあるかのように奥へ奥へと転がってくる。


 藻掻もがいた拍子ひょうしに口内を噛み、血が流れ出る。


 血と果汁が混ざり合い、酷い味だ。

 まるで雨の日にブランコの下に溜まる泥水に、梅が腐るまでけておいたような味。


 そして、2粒の黒い実がのどの奥へと収まった時、反射的に飲み込んでしまった。


 せきを切ったように吐き気が沸き起こる。



 それでもことはなかった。

 えずきの代わりに、口から飛び出たのは悲鳴だったからだ。



「ギャぁァあアアアああッッ!!」



 全身に激痛が走る。

 後頭部の頭皮から、足の小指の先まで余す所なく。

 全身で発した痛みの信号が、すべて脳へと叩きつけられると、無意識のまま声が出ていくのだ。



 少女は変わらず笑みを浮かべたまま、立ち上がった。



「生きて戻れるといいですね」


 まるで実験動物でも見るかのような視線を向けたままだ。


 サナユキは少しでも苦痛から逃れるため、背筋はいきんをあらん限りねじる。


 結果、のた打ち回るように転がった。


 壊れかけたラジコンのように、何度も崩れかけの壁に体を打ちつけ続ける。



「手ッ……でっ、がッぁああ」



 全身に痛みが駆け巡る中、特に左右の前腕が酷い痛みだ。


 てのひらからひじに向かって、太いくいでも打ち込まれているかのようだ。


 一秒でも早く激痛が去ってくれることを、ただただ願い続けるしかない。

 痛みで意識が飛びそうになると、次は痛みで現実に引き戻される。

 全身から滝のように汗が吹き出し、僅かな間だというのに、服がぐしょ濡れになった。


 それを何度か繰り返したとき、少しだけ、ほんの少しだけ痛みが引いた。

 汗が気化すると共に熱が奪われ、乾くように意識も薄れていく。



 ――やっと……楽に……なれ……る



 安堵感とともに痛みの中、意識が途切れた。





 ◆ ◆ ◆



「はッ」


 突然、目が覚めた。


 上体を起こし、体を確かめる。


 汗で濡れた服は、完全には乾いてはないかった。それほど長く気を失っていたわけではないのだろう。


 だが、痛みはもう残っていない。

 まだ両腕だけは違和感があるが、痛みというほどでもない程度だ。


 起き上がり、辺りを見回すと相変わらず、崩れかけたビルとコンクリートを割って、まばらに木々や苔が生える荒廃した東京。


 先程の少女は既にいない。



「さっきのは一体なんだったんだ……」



 何が起きたのか飲み込めないまま、無意識にポケットにしまっていたスマホを手にとる。


 ロック画面には時計が表示されていた。



 ――まだ12時47分。確か休みを取ったのは12時30分だったよな



 まだ17分ほどしか経っていない計算だ。

 完全とは言えないまでも、服の汗の乾き具合から、たった10分ほど気を失っていたということはないだろう。

 


「はぁ、転けたときに壊れたか」



 もしくは鎧を着た少女に上に乗られたとき、か。

 思わず白い鎧を纏った少女が脳裏をかすめる、すでに居ない人間のことを考えても仕方がない。


「……帰ろう」


 汗で濡れた服を、今すぐ着替えたい。


 また、午後の営業もある。

 無断でシフトを空けようものなら、生保内おぼないに何をされるか、わかったものではない。


 再び、周囲を見回した。


 今いる場所はビル。

 

 とはいっても、屋根や上階の床は無く、空がのぞいており、道路側の壁もほとんど崩れ落ちていた。


「ボロボロだな」


 サナユキは壁に手をかけて、表へと出る。

 

 見えてはいたが、すぐ前は大通り。

 かつては車が渋滞していたであろう道路は、アスファルトの至る所がげ、草と木が根を張っていた。


 大通りを取り囲むように、木々が突き出したビル達が立ち並ぶ。



「ん?」


 突如、今までとは違う違和感を覚えた。

 目の前にあるいくつかのビルに、ひどく見覚えがあったのだ。


 ――まさか


 太陽に手をかざしながら、もと居たビルを振り返り、上を見上げた。

 視線の先には、色褪いろあせて消えかかった文字で、『福猫』と書かれた看板がある。


「俺の……家……だ」


 だが、現世うつしよと違い、人もいなければ猫もいない。


 しばらく呆然と見つめた後、再びビルの中へ戻り、自分が入ってきたと思われる壁を何度も触れる。


 ただの崩れかけの壁だ。


 ――そういえば、どうやって戻るんだ


 すぐにスマートフォンを確認するが、圏外のまま。

 マップアプリでもGPSが起動していないのか現在位置が特定できない。


 それでも入ってきた場所はわかっている。

 店からすぐ近くのビルとビルの間だ。


 そこで、少女に肩を押されて、この世界へと放り込まれた。

 

 ならば、そこに出口があるはず。


「……出口を探さないと」


 サナユキは戸惑いながらも歩き、再び大通りへ出て、進み始めた。


 セブンイレブン、ローソン、服屋、美容院、雑貨屋、KFC、居酒屋。

 どれもこれも現実の世界にあったものだ。


 ある日、突然、人が全員消えた去ったように、そのままに残されている。

 違うとしたら、すべてが廃墟と化し、崩れかかっていることくらいか。


 歩いてすぐ、突き落とされた場所へとたどり着く。


 「……ダメだ」


 2つのビルは完全に崩れ落ちており、ビルとビルの間は、瓦礫に埋まっていた。



「何だよ……何だよ! どうしろってんだ!?」


 気がつくと口から行き場のない大声が出ていた。


「意味分かんないよ」


 吐き出した息と共に失った気力が切れるように、項垂うなだれて地面へと座り込む。


 そのとき、ジャリッと瓦礫がれきを踏みしめる音がした。


 ――誰かいる


 すぐに音がした方へ振り返る。

 

 振り向いた先には、地面へ縦に突き刺さった大きな壁が1枚あるだけ。

 注意深く、ビルからがれ落ちた壁をにらむ。

 

 すると大きな壁を、掴む手が見えたのだ。

 壁の反対側にいるため、姿は見えないが確かに誰かいる。


「すみません、ちょっといいですか?」


 サナユキは立ち上がり、壁がある方へと近寄り始めた。

 少女にされたことが頭にこびり付いているが、それでも、たった1人でこの不可思議な世界にいるよりマシだ。


 近寄る足が次第に早くなり、駆け出しそうになる。


 だが、その足は4歩5歩と歩いた所で、ヒタと止まった。



「手が……」



 よく見ると、壁を掴んだ手が黒いのだ。

 真っ黒なほどに。

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