第三章 レオン
うごきはじめた運命
発端は、極東の古い地層から、精霊とは比較にならないほどの力を持つ獣が七体出土したことでした。
強すぎる力を持て余し焦土となりかけた極東の為政者達は、この獣達を神に還元しようと極北に捧げました。
「捧げられても困るんだけどな……」
炎の神が巨大な紅い狼を撫でながら眉をひそめます。
「もっと困ったのは、この子達が私達に懐いちゃったことですよね……」
水の神は、大きすぎて最上階の広間に入らず窓の外から彼女を見守る瑠璃色の竜に、戸惑いながらも笑顔で手を振ります。
「え、どうにかする必要あるの? 私、もう家を改造させ始めたんだけど。」
風の神は……母は、私の部屋だったところを取り壊して、碧の鷲を飼うための準備を始めていました。
別に、構いません。もうあの部屋に戻ることはないでしょうし。
私は今、千三百歳になりました。
しっかり歳を覚えてくださっていた主神様が、先日美の神就任千周年記念にと主神様の寝所の隣に私の居住スペースを設けてくださったのです。
元々主神様の寝所で寝泊まりをし、ほぼ実家に帰ってはいませんでしたが、
これでもう本当に、私は主神様の側近です。
伴侶……なんて言葉も、良いかもしれません。
「もう一体いれば、全員に一体ずつ配れたんだけどな。」
主神様はまるで家畜の贈与でもするかのように気軽に言います。
それを聞いて偉丈夫の雷神が、うーん、と唸りました。
「いや、懐いてるの三女神に付いたあの三体だけだからなー。女好きなだけかもしれんぞ……」
「まさかそんなクリス君みたいな……」
「セルにだけは言われたくないけどー!?」
フフ、と笑って茶化した地神に対して雷神が噛みつきます。
「おい、獣達が諱を聞いている。ふざけ合いはやめろ。」
武神にたしなめられて、雷神と地神は目をしばたかせました。
「……武神はこの獣達が精霊みたいに名を交換できると思ってるのー?」
「発話って、できるんでしたっけ。イ……炎神さん、尋ねてみてくださいよ。」
「良いけど……なあ、私の言葉、分かるか?」
『理解、可能。我ら、精霊に非ず。
名、縛ることは、せぬ。』
「……驚いた。話せたのか、お前……。
名で縛らないなら、
炎の神が瞠目しながら紅い狼と会話を続けます。
泰紀とは、獣が発見された国の名です。
『我ら、遥か昔、
世界が今の在り方でない頃にヒトに造られし力。
主を選び、その者に力を捧ぐモノ。』
「精霊との契約……のようなものでしょうか。」
私は興味深く声を上げましたが、紅い狼はこちらに目もくれません。
気に入った者でなければ会話すらしないということでしょうか。
炎の神が申し訳なさそうにちらっと私を見て、それから紅い狼に問い掛けました。
「今のラインハルトの話、聞こえていたか? どうなんだ?」
『我らの力を捧げる主は我らが決める。
主側の意思は関係ない。
我らと契約できることを誇りに思うがよい、
譲ろうなどとは思わぬことだ。』
「なら、お前の名を教えてくれるか?」
『名を交換する必要はない。我らは名前では縛られぬ。』
「違うさ! ただ……
その、私に仕えるってんなら、仲良くしたいだろ。
私の名前は炎の神エンブレイヤー。お前は?」
『第一の獣、炎のレイメイ。』
「よろしくな、レイメイ!」
『呼応。よろしく頼む。
ちなみに、
瑠璃の竜は第二の獣、水のサイロン。
碧の鷲は第三の獣、風のユルダ。
銀の馬は第四の獣、地のロック。
金の兎は第五の獣、雷のピルーナ。
萌黄の豹は第六の獣、光のレオパナード。
紫紺の犀は第七の獣、闇のダークラーだ。』
「……私、自分であの子から名前を聞きたかったわ。」
得意そうに仲間の名前を公開するレイメイを眺めながら、風の神が肩を落としました。
「でも、なるほどなー。レイメイが炎、サイロンは水、ユルダが風、か。
性別じゃなくて属性で選ばれてたんだなー!」
『……。』
大声で聞こえていない筈がない雷神の推論も、レイメイは知らんぷりです。
「レイメイ……私が炎の神だと分かって懐いたってことか?」
『否定。属性は確かに心地よいが、一致しているからといって選ぶとは限らぬ。
雷の神。そなたをピルーナが選ぶかは別の話だ。』
「……レイメイさん、なんだかだんだん流暢になってきていませんか?」
水の神があれ?と首を傾げました。
『そなたらの言語体系に慣れてきた。学習までに時間を要していたのだ、黙していてすまない。』
水の神に対してキュウ、としょげる狼を見て、
やはりただの女好きなのでは?
と、男神皆が思ったと信じています。
「まあ、極北に居着いてくれるなら、誰と契約してもしなくても、他のどの国に渡るより安全だ。」
主神様はご自身が獣を持てなかったことはさして気にしていない様子で頷きました。
私や主神様は既に大精霊と契約しているのです。
自分が更に強い力を持つよりは、仲間達が強くなってくれた方が、均衡がとれて良いと考えたのでしょう。
それが、終わりの始まり。
┼ ┼ ┼ ┼ ┼ ┼
『勝負あり。私の相棒は雷神を置いて他に無し。』
「勝ったー!! よろしくな、ピルーナ!」
「そもそも雷神君に反応速度で勝とうってのが無理な話なんですよ……」
「相変わらず速いなぁ!」
金色の兎、雷のピルーナは、何故か雪合戦を所望してきました。
勝ち残った一人に力を貸したいと言うのです。
契約自体には興味が無さそうだった主神様も、楽しそうだからと参戦。
主神様が出るなら私も出ないわけにはいかないので参戦。
武神は、主神様に煽られてムキになったのか渋々という顔で参戦。
男神達が全員参戦することになりました。
結果、
まず集中砲火で武神が落とされ、
私と主神様のタッグに雷神と地神が手を組んで対抗、
私の盾が剥がされたあと間もなく主神様が負け、
その直後地神は用済みとばかり雷神に電光石火の雪玉をぶつけられて決着しました。
何とも平和な頂上決戦です。
銀色の馬、地のロックは、根比べを希望しました。
一年間、自分のところに最も足繁く通った者を選ぶというのです。
うつくしい獣だったので私も気になってはいたのですが、
途中から地神がロックの館に住み込みはじめたので諦めました。
それに対抗してしまうと、地神と同棲することになるではありませんか……。
正直、地神は博愛主義というか、気が多いというか、多分主神様や私のことも機会さえあればと思っていそうな気配がするので、仕事以上の接触は嫌です。
もしかすると地神は他の神がそう感じて諦めるのまで見越してやったのかもしれません。
悔しいですが、仕方ないです。
私がそこまでするのは主神様が相手の時だけです。
一年後、無事に銀色の馬ロックは地神のものになりました。
残るは萌黄の豹と紫紺の犀です。
しかし萌黄の豹は言葉を発することすらせず、
紫紺の犀は熟さぬ、と取り付く島もありません。
全員が契約できるわけでもないですし、
元々私や主神様、それから武神は強い神でしたので、
均衡が崩れずに済んで良かったのかもしれません。
最初は、私もそう思っておりました。
極北は、獣達のことを聖獣と呼び習わすことにしました。
聖獣を得た神々は、その力を使って今まで以上に短命種と関わりを持つようになりました。
その結果、聖獣はヒトに広く知られることとなり、様々な絵画や詩歌や彫像、また神学研究において聖獣を扱うものが増えていきました。
精霊よりも聖獣がもてはやされる時代が到来したのだと思います。
主を選ばない光と闇の聖獣達についても、たくさんの憶測や飛語が発生しました。
一番目に余るな、と感じたのは、
その二体が昼夜を司り、
光の聖獣に選ばれた者がヒトの覇者に、
闇の聖獣に選ばれた者が魔王になり、
世界を二分する……といった類の夢物語でした。
主神様は、面白いなぁ、と子供のような感想を述べるだけでした。
いえ、主神様は子供なのです。
だから空想には寛容なのです。
大人になってしまった私には、許容範囲を超えた不敬に感じました。
世界を二分する?
短命種ごときが?
神を差し置いて?
そもそも、昼と夜を司るのは、主神様のウェルと私のリンだというのに!
愚かな短命種どもは、何度奇跡を目撃しても、すぐに忘れてしまうのです。
そのくせ、自分達が作り出した幻想は、いつまでも語り継いでいくのです。
私は芸術と学問を扱う美の神ではありますが、
その頃にはヒトの成す業全般について、
ほとほと嫌気がさしていました。
所詮は短命種の作るもの。
本当のうつくしさなど知らぬ、思い上がりども。
彼らが生み出せぬと苦悩する中にしか、うつくしさは存在しない。
彼らが生み落としてしまったものはすべからく、うつくしくない。
私は、美の神です。
私はうつくしいものを、ずっとずっと見てきました。
主神様が徐々に取り戻してきた、その輝きを。
私はずっと一番そばで見てきたのです。
お前達には何が見えているのか。
お前達はまた裏切るのか。
主神様に仇なす者、
全て許さぬ。
愛か。
いえ。
これは渇望。
永遠の命に焦がれ、
あの方の持つ光に焦がれ、
手に入れたいと願った私の恨み。
私が信じるものを良しとしない世界は、
そもそも全てが間違っている、と思うのです。
この上なくうつくしいものを蔑ろにする、世界など。
「ラインハルト。
お前に、頼みがある。」
ある日、主神様は私に言いました。
まるで極夜のように、冷え切った声で。
「……裏切り者達を、
処分、してくれないか。」
さあ、
聖獣反乱の幕開けです。
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