しょうじきモノ

 契約のことは概ね確認できたので、次は音楽の精霊ミリヤラとの付き合い方の交渉に入らねばなりません。


「ねえ、ミリヤラ。私と契約しようとは思わないかい?」


「え、なぁにそれ、愛のプロポーズ?」


「そ、そんなんじゃないけど!」


「なーんてね! おおかたあの子に吹き込まれたんだろう。

 僕が君の諱を握ってしまったから、君の意のままに僕が動かざるを得ない状況に持ち込めば良いと!」


「……まあ、そうだよ。」


 私は下心を見透かされた心地がして、少し恥ずかしくなりました。

 するとミリヤラは、再び目を薄くし冷たい表情で私を見てきました。


「絶対に、嫌だね。誰かを愛することの出来ない奴が、誰かから愛されると思うなよ。」


「誰かを愛することの出来ない奴……?」


「そう。アウヅ。オマエのことだ。

 オマエはあの子を愛していると思い込んでいる。

 あの子に憧れて、あの子のそばに仕えたいと。」


「その通りだよ。思い込みじゃない。私だけがあの方を……」


「そんなのは愛じゃないんだよ、アウヅ。

 君が抱いてるのはもっと醜い欲望だ。

 愛なんてのはね、自分があっちゃいけないんだよ。」


 その言葉を理解するのには、きっともっと時間がかかるのでしょう。

 今の私には、よく分かりません。

 でも、主神様が精霊から愛されているということは、

 主神様が誰かを愛した証拠だということでしょうか。


 そんなのは、

 ちょっと、

 聞き捨てならないですが。


 ああ、そうか。

 これこそがミリヤラの言う醜い欲望。

 美の神としてあるまじき心。

 でも、今すぐ捨てるのは……私には、できません。

 未熟です。


「……ごめん。君と契約するのは諦める。」


 私がそう言った途端、ミリヤラの顔が花咲くように綻びました。

 そこまで喜ばれるほどのことでもないと思うのですが……

 私は何か特別なことでも言ったのでしょうか。


「そう? 分かってくれてよかったよ!」


「うん。

 ただせっかく名を交換したんだもの、

 私の仕事を手伝ってくれると助かるんだけど……」


「召喚詠唱で指定された程度の仕事はするよー!」


「……私は自分の諱を濫用されないように、こうやって会話するだけで構文全て使ってしまっているんだよ?」


 じとりと恨みがましくミリヤラを睨むと、彼はニタァといたずらっぽい笑顔を浮かべました。


「わはは! そんならこれ以上の協力はできないねぇ。」


「諱の力は使わないよって約束してくれたらいいのに……」


「そんなのつまんないじゃん!」


 これがいたずら好きの精霊というものなのか、と私は思わず深い溜息をついてしまいました。


「じゃあ、会話することで役に立ってよ。

 誰とも名を交わしていない、できれば私に興味がありそうな大精霊を探している。

 ミリヤラ、君は他の精霊についても色々知っている口ぶりだった。

 誰か心当たりがあるんじゃないか?」


「えー、僕がオモチャを他の奴に分けると思うー?」


「〈名を識る者に幸あれ。〉」


「わーるかったって! もう!」


 再び頭を抱えて苦しみだしたミリヤラは、早々に音を上げました。


「他の精霊ねぇ……そうだなぁ。

 今極北は白夜の季節。

 であれば、極南はどうなっていると思う?」


「極南……考えたこともなかった……

 そうか、そういう土地もあるよね……。

 うーん、反対になっている?

 極夜になっているとか?」


「大正解!

 ……あの子が連れている昼の大精霊に、

 少しでも釣り合いたいと願うなら。

 夜の大精霊を探してみてはどうかな?」




┼ ┼ ┼ ┼ ┼ ┼


「やだー! 寒い! 痛い! 死んじゃうー!」


 私の用意したカマクラの中で、ミリヤラは真っ白な顔でガタガタと震えていました。

 精霊なのだから私に付き合わず実体化を解けばいいのに、と呆れてしまいます。


「メティエ山と大差ないと思うけど……」


「いや全然違うからね!?

 具体的に言うと氷点下で倍ほど違うからね!?」


「だから風と火の魔法を君にも使ってるじゃないか。

 私はこの格好のままで平気なのに……」


「極北育ちとは体の造りが違うのー! 繊細なの!」


「気分の問題だと思うけどなぁ。」


 一人で精霊を待つ夜は淋しかったものですが、ミリヤラがいると賑やかを通り越してうるさいですね。


「ところでミリヤラ。

 君がいると大精霊が来てくれないんじゃない?」


「何それー、ここまで来ておいて僕に帰れって言うのかい!?」


「君だっていつでも好きなところに行けるじゃないか……」


「アウヅより面白いものが今のところないもんねー!

 それに……来たよ。」


 ミリヤラの声に被さるように、ピュイイと一段と強い風の音が辺りを響き渡りました。

 いえ、これは風の音ではなさそうです。

 気付いた私はカマクラから出てさっと辺りを見回しました。

 いつの間にか、翼を持つ鹿のような大型動物の群れが私達を遠巻きに取り囲んでいました。


「モンスター……?」


 モンスターはまつろわぬ精霊の成れの果てです。

 人に与せず、人語を解さず、人を襲います。


「アウヅ、軽率……」


 ミリヤラがボソッと私をたしなめるのと、


「誰がモンスターだと?」


 低い声が私の発言を咎めるのがほぼ同時でした。


「た、大変失礼。では君が夜の大精霊なのかな?」


 どんなに威圧的であろうと、神が精霊に下手に出てはいけません。

 震える声を寒さのせいにして、私は足と腹に力を込めて声のした方に相対しました。


「左様。光に分かたれし闇。時を運ぶ二対の一。」


 極夜の闇の中から地響きのような声がします。

 しかしその姿は獣達の向こうにあるようで全く見えません。


「私は美の神。極北で生まれた新しい神だ。君と名を交換させてほしい。」


「……不足の対価を。」


「なっ……私の神名では足りないと?」


「足りん。

 我は星が生み出した最古の精霊がひとつ。

 世界に飽き、ヒトに飽き、神どもにも飽きている。

 大いなる者も不完全な管理者ばかり据えよって、

 幾度の代替わりを繰り返せば気が済むのか……」


「君は……何を言ってるんだ。不完全な管理者だと……?」


 その言葉は聞き捨てなりません。

 あの方がままならないのは、周りが協力的でないからです。

 あの方ご自身は優しく、賢く、素晴らしい方なのです。


「精霊の他に頼る者のいないちっぽけな管理者よ。

 あれでは今にまた破綻する。

 我は終わりが見えている者に加担する愚物ではない。」


「だけど、不足の対価を用意すれば、名を交換してくれるって言ったよね?」


「お前も察しの悪い……見た目の通りの幼子というわけか。

 不足の対価とはすなわちお前の諱、お前の生命そのもの。

 この場に置いてゆけ。我らは腹が減っている。」


「!!」


 鹿達が威嚇するように大きな角を持つ首を縦に振り、ぎゅうぎゅうと耳障りな鳴き声を発しはじめました。

 私は魔力で編んだ銀色の剣を握り、神経を尖らせます。

 どこから掛かってくるのか───


「悪いけど、こいつの諱は僕のもんだからね!」


 さっきまで寒さで震えていたミリヤラが、急に私の前に飛び出してきました。

 その背中には骨のようなもので出来た巨大な翼が生え、灰色の衣は足元までたなびき、髪は赤く輝いて波打ち、手には棍棒、いや、これは……骨で出来た笛でしょうか。


「ミ……君、戦えるの!?」


 危うく名前を呼びそうになるのを堪えて、私は突然様子を変えた音楽の精霊に呼びかけました。


「まあそこそこには!? 地神サマからちょっと色々借りてきた!!」


 ミリヤラはそう言うなり笛を吹き鳴らしました。

 すると大地が揺れ、獣達はめいめいに空へ飛び散らざるを得なくなりました。

 ミリヤラの旋律が変わり、少なくない数の獣達がボトボトと地に墜ちてゆきます。

 獣達の聴覚に関わる何らかの魔法が働いたのでしょう。

 精霊の魔法は自然現象のようなものなので、何が起こったのか推察することしかできません、が。


「……正直、助かる!」


 飛んで襲ってくる鹿を斬り伏せ、速度はあるけれど威力の劣る無詠唱魔法をトドメに叩き込みながら、私は背中越しにミリヤラに声を掛けました。


「素直じゃん! やっぱオマエ好きだなー!」


「好っ!?」


「よそ見すんなよ!」


 思わず振り向いてしまった私と一瞬目を合わせたミリヤラは、不敵な笑みを浮かべながら、私の死角を突こうとした獣の頭骨を笛で叩き割りました。

 骨同士かと思ったのですが、笛の方はひびひとつありません。

 恐らく私の剣と同じく彼の魔力によって練られた武器なのでしょう。

 ミリヤラがいなければ、こんなに善戦できず、尻尾を撒いて逃げ帰っていたと思います。


 ───あるいは、そうしていれば良かったのでしょうか。



 だんだんと私の魔力が底をついてきました。

 肩で息をしていますが、回復魔法を使う余裕がありません。

 有翼の鹿達は無尽蔵に現れて私達に襲いかかってきます。


「っ、どんだけ居んだよ……オイ、ちょっと耳塞いでろ」


 ミリヤラがそう言うなり、私の手を取って耳を塞がせてきました。

 優しく温かい大きな手が私の両耳を両手ごと包みます。


「?!」


 私の驚きをよそに、ミリヤラは深く息を吸ってから魔力の乗った呪歌を唱えました。


我恨長深夜

悉命輝時過

唯見生残滓

却我唱滅歌


 耳を塞いでいても視界が揺らぐような恐ろしく激しい魔力の奔流。

 塞いだ手を貫き通すほど力強いミリヤラの歌声。

 彼の言霊が滅びの呪歌となって獣達を襲ったのが分かりました。

 質量のある音が周囲で何重にも起こります。

 有翼の鹿達が命を奪われ地に墜ちる音でしょう。

 その時、


───歌不能殺獣


「!! アイツ僕の歌に返歌をっ!」


 夜の大精霊の呪歌を聞いて、何やらミリヤラの血相が変わりました。

 獣達の屍が溶けて闇の中で膨大な魔力の蠢く気配がします。


───闇不能生救


「まっ……ず、ごめん、逃げて!」


 ドン、とミリヤラから衝撃波が起こり、私は吹き飛ばされ。

 何が起こったのか分からぬまま。


───唯見刻絶生


「さよなら、僕の愛しい───」


 彼は皆まで言えず、


───我復唱殺呪


 空間が、彼の周りだけ圧縮されたように闇の魔力で黒く塗り潰されてゆきます。

 呆然とする私の前で、やがてその漆黒がどろりと崩れ、

 中から出てきたのは、元気な赤髪の彼ではなく。


「ふむ。存外食いでがあったな。」


 満足そうに微笑む、の姿でした。

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