くらい予感
主神様助けて、なんて声が届くとは思っていませんでした。
だってここは極北から遠く離れた下賎の地。
失敗したのは私の責任。
ですから私は一人で愚かな行為の報いを受けることに、なる筈でした。
しかし、目を覚ました私が見たのは、明るく輝く水晶の天井。
「……起きたね。」
そばで優しい声がして、次の瞬間、私は思わず涙をこぼしていました。
「主神様……っう、ごめんなさい、私……」
「泣かなくていい。
お前は知らなかったのだね。私達が諱を隠す理由を。」
「ごめんなさい、ごめんなさい……」
「何をそんなに謝る必要があるんだ。
諱の扱いを教えなかったのは武神の責任だろう。」
「申し訳ありません。」
主神様とは別の低い声がして、私はハッと身を起こしました。
厳しい顔の父が、主神様の隣に立っておりました。
細い顔に吊り上がった目。勇ましいというより神経質そうな顔は、しかし確かに私と似た要素が多く、美の神である自分をうつくしいと認識するためにはこの男をうつくしいと受け入れなくてはならないのが一番の難点です。
せめてもの抵抗に、父が長髪であるので、私は襟足より髪を伸ばそうとしてこなかったのでした。
勿論首から下は、子供の私とは全く異なる武神に相応しい筋肉質な体つきをしているのですが、似たような体躯の雷神のように大らかというわけでは決してありません。
父は主神様に慇懃無礼な謝罪の言葉を返し、𠮟責するような目つきを私に投げて寄越しました。
主神様と違い、私の心配よりも自分の体面を気にしているかのような反応に、自然と嫌悪感が募ります。
「父上……いらしたのですか。」
「美の神。諱は誰にも漏らすなと伝えた筈だが。」
「……はい。」
「誰にも、には、精霊は含まないとでも?」
「いいえ……」
理屈では、そうなのですが。
正しいことを言われては、いるのですが。
やはりあなたの正しさは、厳し過ぎると思うのです。
「武神。そこまでにしてやれ。
そもそも諱の力を、私達も全て理解しているわけじゃない。
どれが駄目でどれが問題ない行為なのか、試すこと自体が危険すぎるからこうやって全て禁忌にしているだけだ。
それが説明できていれば、こんなことにはならなかった。違うか?」
「いや、主神様の言う通りだ。」
「なら、最初の犠牲者に掛けるのは叱る言葉じゃないだろう。」
主神様にそう言われて、父は眉間に皺を寄せたまま、私の頭を撫でてきました。
「……美の神、無事で良かった。」
ええ、どうも、ありがとうございます。
素直なフリだけは、お上手なのですね。
私は父に無言で微笑んで、それから主神様の顔を見ました。
もう、絶対に父の方を向いてやるつもりはありません。
「主神様が、助けて下さったのですか?」
私の問いに、主神様は少し困った顔で父を見たあと、曖昧に頷きました。
主神様の説明によると、私の声を拾ってくださった主神様が、地神に指示して音楽の精霊を抑え、ご自身の精霊の加護を一時的に与えて守ってくださったそうです。
おんぶにだっこではありませんか。
嬉しいやら恥ずかしいやら。
私は赤面してうなだれてしまいました。
「初めての名の交換で神名や大精霊を相手取った締結を行わせたのが間違いだったのだろう。私も、武神達も生まれつきの長命種ではなかったから……。
君で試すようなことになってしまい、悪かったね。」
主神様のお声はなおも優しく、私に𠮟責されるべき咎はないと言葉を重ねてくださいます。
本当に……どうしてあなたのような方が蔑ろにされているのか、私には理解できません。
地神は中立です。私の母は仕事こそすれ、真っ向から主神様に反発しています。私の父はご覧の通り従すれど不敬。雷神はどちらかというと母寄り。水神は地神よりやや主神様と距離をとっているようです。炎神は父と近く、正義とやらにご執心です。
主神様のおそばには、誰もおりません。
だから私がそこに入り、お支えしようと思っていたのですが……。
不甲斐ない自分に腹が立ちます。
「助けてくださり、ありがとうございます。
もう大丈夫です、再度出立いたします。」
「待ちなさい。音楽の精霊の扱いについてまだ話していない。」
主神様は性急な私を諫めるような口調でも、言葉の中身はあくまで冷静です。
「……申し訳ありません。教えてください。」
「良い子だね。
君は諱を用いて彼と名を交換した。
その代償は、恐らく神の力ではなく君の生命力を消費した使役召喚だ。
神の力というものは、神名によって定義され、その宝玉に蓄えられる。
逆に言えば、その宝玉以上の出力は出せない。
しかし、生命力の上限は、本当に君の命数に等しい。
精霊側の器の大きさにもよるだろうが、下手に強い大精霊と交換してしまっていたら、恐らく今よりも酷い影響を受けていただろう。
そういう意味では、相手が音楽の精霊で……大精霊のうちでは無害な方の相手で良かった。
彼はいたずら好きだけれども、力を得て何かをしようという類の志向は持ち合わせていない。」
「では、私が意識を失ったのは……」
「ただのいたずら、ということになるね……。
とはいえ、相手は君の諱を握ってしまっている。契約に漕ぎつけて無理をさせないように縛ってしまうか、かの精霊よりも強い精霊をなるべく早くに見つけて自衛するか、だ。」
「契約……?」
父が訝しげな声を上げるのを尻目に、私は得たりと頷きました。
父に私だけが知っている主神様の情報を渡したくはありません。
勿論何をすればいいかなんて見当はついていないのですが、
まずはかの精霊を呼び出して、話を付ける必要がありそうです。
┼ ┼ ┼ ┼ ┼ ┼
私は再びメティエ山の頂に移りました。
他の精霊がいないというのは、今は好都合だからです。
「呼応。其は軽々たる音楽の精霊。集結。言の葉重ねて価値と成す。収斂。名を識る者に幸いあれ。現前せよ、ミリヤラ。」
「随分大層な詠唱だねぇ……はぁい、呼ばれたよー!」
「いちいち文句つけないと気が済まないの?」
「おやぁ、そんな態度で良いのかな?
僕がその気になれば……あれ。」
「詠唱文ちゃんと聞いてた?
君は今話すことしかできないし、名を識る私に危害を加えることはできないよ。」
「ははあ、わざわざそのためにフル詠唱をねぇ……」
ミリヤラは首を傾げながらも笑顔のままで、気を悪くして帰られることを危惧していた私は内心安堵しました。
「いやぁ、アウヅは面白いね!
ちょっと名前呼ばれたくらいでねんねしちゃう赤ちゃんなのに、僕と話をしたいから頑張って考えたんだ?」
私は何を言われたのか一瞬理解できず、驚いてミリヤラを見ました。
ああ、馬鹿にされたのかと理解してからも、腹が立つとは思いません。
そもそも精霊は生命そのものではなく、赤子や大人という区別も無いのです。
彼がそれに言及したとしてもただの後天的な学習によるもの。
何故ヒトが怒るのかを本質的には理解できないまま口にしているのでしょう。
「面白いのは君もだよ、ミリヤラ。赤ちゃんなんて単語よく知っていたね?
ヒトの真似をして、ヒトの言葉を覚えて、そんなにヒトの暮らしが羨ましいの?」
「……ふぅん? 結構話せるんだね、オマエ。」
すう、とミリヤラの目が細くなりました。
私の言葉は思ったよりもミリヤラに刺さったようです。
それもそうかと思います。
彼は音楽の精霊。つまりヒトの業が生み出した存在です。
ヒトに対して何かしら思うところがあってもおかしくはないのでした。
「やめよう。私は喧嘩するために君を呼んだんじゃない。
私の諱を知ったなら、契約のことを教えてほしいんだ。
名前を交換したら教えてもいいと言っていただろう。」
「あー、言ったねぇ……。
契約のことかー。死が二人を分かつまで、って文句は知ってるかな?」
「うん。主神様から聞いたよ。」
「以上だよー!」
「〈言の葉重ねて価値と成す。〉」
約束が違うとはこのことです。
こうして召喚詠唱を復唱すると、詠唱文に違約しようとした相手に対して負荷を与えることができます。
ミリヤラは地面にへたり込み、頭痛でも我慢するかのようなしかめっ面で僕を見てきました。
「分かった分かった……怖い顔するのやめて?
美の神サマが台無しになっちゃうよ?」
「あれ? 私が美の神であること、君に教えたかな。」
「月光の精霊を呼び出す時に詠唱文に加えていたよ!」
「そうか。本当に君は厄介な精霊だ……」
「うふふ、アウヅが無防備過ぎるだけだと思うけどなぁ!
で、契約はねぇ。僕達が君達を気に入って、
〈君の力になりたい〉
と思った時に交わされる誓いだ。
君達が成すべきことは、名の交換以上のものは何もない。
名の交換以上のリスクを払わず、精霊の力を手に入れることができる!」
「本当に? そんなの、精霊が一方的に不利ではないの?」
「んー、利の問題じゃないんだよなぁ……。
僕達は星の端末。これは星に愛されるってことなんだよ!
あの子は、愛されている。
世界があの子を望んでいる。」
「……だから、あの方を管理者として固定したの?」
私の声が震えているのが分かりました。
そんなのは愛でもなんでもない、呪いです。
「それとは関係ないよ。
僕達も、気づいた時には、彼は固定されていた。
何が起こったのか、誰も知らない。
世界の記憶に残っていないんだ。
彼がどこから来たのか。
彼がなぜ固定されたのか。
彼が望んでいることは何か。
彼がいつからそこにいるのか。
分かってるのはひとつだけ……。
彼が、彼こそがこの世界の管理者だということ!」
そん、な。
だって、主神様は私達の一族の出で。
迫害から逃れるために極北を選び。
そこで大精霊と契約をしたのだ、と、
主神様は、おっしゃって…………
主神様がおっしゃったことが嘘か真実かは分かりません。
精霊が言うことが真実であるならば、主神様は世界から忘れられた、ということ。
忘れさせたのも主神様かもしれません。
「ねえ、ミリヤラ。精霊は嘘をつくかい?」
「うふふ、嘘だと思いたいのかな?
勿論、嘘はつくよ! 自分が優位に立てるように他を騙すのは生物なら誰だってやっていることさ。
でもねえ、僕はその中でも正直な部類の精霊だと自負しているよ!」
「力を奪わないと言いながら私の生命力を奪っていった君のことは信頼しているよ。反対の意味でね。」
「神の力は奪わなかったじゃないかー!」
誰のことも疑いたくはありません。
ミリヤラだって、ちゃんと私の希望を叶えて話をしてくれているのです。
彼を疑ってしまったら、もう誰からもヒントを得ることができなくなってしまいます。
私は彼のことを頼るしかないのでしょう。
「……主神様の精霊は、全部忘れていても、彼のことを愛しているの?」
「うーん、僕達にとっては記憶なんて些細なことだからね!
記憶が無くなっていても、契約している事実は変わらない。
だから、変わらず愛することができる。
……君達は違ったみたいだけど。」
「それって、どういう……」
「ヒト同士の絆なんて口約束。儚いね。」
ミリヤラは何かまだ知っている素振りでしたが、私はそれ以上のことを聞くのが怖くなりました。
主神様の過去を、主神様以外の口から聞くのは、なんだかとても後ろめたい行為のように思われたのでした。
「……私は大丈夫。私は主神様の昔を知らないけれど、だからこそあの方のおそばに、二心なくお仕えできる。」
「そう。そうだといいね、うつくしい子!」
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