第一章 アウヅ
うつくしい神
私が生まれた時に贈られた
アウヅ。
意味は富、持ち物。
転じて、人が平等に持てる唯一のもの、すなわち死の運命。
恐らく父、武神の座を冠するあの男が名付けたのでしょう。
あの男は短命種の救済にこだわり主神様を蔑ろにする馬鹿な男です。
ですので、息子の私に俗な名を。
いえ、死という運命はうつくしいので、不満があるわけではないのですが。
でも、今日でその名とはお別れです。
私は今日、主神様から神の座を戴きます。
主神様をはじめとする神々が私のために考えてくださった座です。
それがどんな役であろうと、私は立派に果たしてみせるのです。
何故ならそれが、幼い姿で固定されてしまった不幸なあの方にお仕えする者の、当然の責務だと思うからです。
私は一族の中で初めての純血の長命種でした。
それ故、どのくらいの早さで大きくなるのか、いつ大人と見做すのか、誰にも分からなかったのだと母はいつも言い訳していました。
構いません。私が生まれて三百年。もう、そんなことで拗ねるような子供ではありません。
背丈は確かに父の臍、母の胸元までの高さしかありませんが、短命種の中には私と同じくらいの大きさの大人もいるようです。
だから、私は自分が自身で子供ではないと納得していれば良いと思っておりました。
それでも、やはりおおやけに大人の仲間入りが出来る今日のことは、ずっと心待ちにしていたのです。
「公子様、準備は出来ましたか?」
混血の小間使いに部屋の扉越しに声を掛けられました。
長命種同士と比べて、長命種と短命種の間には子がよく生まれるようです。
この狭い果ての地の大半が、混血の人達の居住区でした。
いえ、不服があるわけではありません。
ただ彼らの中に入り友人を作れと父母に言われるのは納得のいかないものがあります。
あなたがたは主神様と仲良くしないのに、どうして私に寛容であれと指示する権利があるのか。
主神様を悪く言う口で、友を語る権利があるのか。
短命種であったことのない私には、よく分からないのです。
ですから、私は友ではなく主人として彼に返事をします。
「もうとっくに出来ているよ。外の方こそ、私を迎える準備は出来たの?」
「ええ、ですのでお呼びに上がりました。」
「そう。なら、行かないとね。」
最後の確認にと鏡を見ます。
極海のように黒く輝く私の瞳と目が合いました。
目尻は父譲りの形に吊り上がり、常に眉を上げて微笑んでいないと怖がられることがあります。
私達の一族特有の、黒く艷やかな髪。まっすぐ襟足までに切り揃えて、ひとつも乱れはありません。
化粧の類はしていません。母が、しなくても十分うつくしいから大丈夫だと言うのです。
果ての地の陽射しは弱く、ここから出たことのない私の肌の色は雪のよう。まぶたは少しだけブラウンがかり、睫毛は重たいほど長く、唇はちょっと恥ずかしいくらい鮮やかなピンクです。
化粧をさせてもらえるなら、こんな目立つ顔でなくす方向にもっていきたいものです。
ですが、ええ、今日は仕方ありません。
新しい神として歓迎されるために、この容姿も最大限に活用しなくては。
襟元のフリルを少し直して、膝が出てしまっていないかロングチュニックの丈を確認し、鏡の前を離れます。
私は今日から神様です。
主神様にお仕えして世界を回すお手伝いをする者です。
本当に、輝かしくて、楽しみで……
今だけは、作り笑いではない本物の笑顔が、頬の上で弾けるようでした。
神々が住まう十字塔の最上階に、物心ついてから初めて登頂しました。
ここ果ての地は、全ての北が集まる場所。
外は吹雪いていましたが、この塔はいつでも快適です。
きっと神々が精霊達を使役召喚し、住みやすい環境を維持しているのでしょう。
水晶の壁に外が透け、暖かな日差しがきらきらと、大広間を照らしておりました。
今日は夏至の日。太陽が沈むことはございません。
まるで、主神様の管理を世界が祝福しているようでした。
大広間には父と母をはじめとする神々の姿、そして最奥にましますのが、今や私より少しばかり大きいだけの。
「いらっしゃい、私達の愛し子。」
母が得意気に私に声を掛けてきました。
衆目の前で諱を呼ぶことは禁忌です。
アウヅと呼ばれなくとも、私は自分のことだと理解しました。
ええ、私は母を愛しておりませんが、母は私を愛しているようなのです。
私は笑みが消えないよう気をつけつつ、母に頷いてから大広間をゆっくり歩き出しました。
一歩踏み出すごとに、カン、カンとかかとが甲高い音を立てます。
少しずつ、主神様の方へ。
主神様が私を見る表情は、相変わらず無のままです。
歓迎、されていないのでしょうか。
いいえ、お役に立つ神になると約束した時、主神様は確かに笑顔を見せてくださったのです。
単に、他の神々の居る場で、厳粛な空気を壊さないようにしているのでしょう。
私は少しでも主神様を疑った自分を恥じながら、彼の前にひざまずきました。
「武神〈
仲間。
仲間とは、なんでしょうか。
仲間とは、味方のことでしょうか。
それであれば、ここから追い出すべき者がおります。
そして、私こそを、あなたのおそばに。
あなたの光が一番当たる場所に、置いてください。
「そなたの座は、美の神。神名、
光……?
私が、光なのですか。
あなたではなく?
「神名、謹んでお受けいたします。」
私が返答すると、主神様が右手に持つ宝玉が青く光り、精霊の力が貯められていくのが分かりました。
これが、美の神の宝玉。
あなたに与えられた私の座。
拝領して、胸元に飾り立ち上がると、背後から神々の拍手の音が聞こえました。
しかし肝心の主神様は、胸を張る私に対しても無表情。
やはり、期待されていない……。
胸がきゅうと痛みました。
「よろしい。世界をより良くするために、父母や先達をよく見て学びなさい。」
その言葉は、社交辞令ですか?
私はどうすれば、あなたのお役に立てるのですか。
いいえ、今は取り乱す時ではありません。
美の神として。
「ご期待に、必ずお応えします。」
まっすぐに主神様の目を見てそうとだけ伝え、神々の方へ振り向き、芝居がかった優雅な礼をしました。
母の顔が綻ぶのが見えました。
父が満足そうに頷くのが見えました。
あなたがたは、それでいいのですか?
今まであなたがたが主神様のことを悪しざまに話していた時、私は良い子で黙って聞いておりましたけれど、これよりは私も神の一員です。
美の神である私は、うつくしい方を選びますよ。
主神様よ、どうぞ、ご照覧あれ。
私こそはただ一人務めを果たし、
あなたのために在らんとする者。
これより果ての地をうつくしく。
私があなたの背を抜くもう百年、
いいえ、あなたに捧げる千年を、
果ての地でともに生きましょう。
だから、いつかもう一度、私に微笑んでください。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます