第5話 ハルヒについて

 ライトノベルの超名作『涼宮ハルヒの憂鬱』。これは1巻だけで作品として完成しているし、シリーズ全体でSFでラブコメでジュブナイルで青春小説でライトノベルの頂点にある作品だと思う。


 作品論を展開するわけではない。二次創作をするわけでもない。ここは自分用の雑記帳なんで自由な考えを羅列しようと思う。この分析を自作に生かしたい。その意味では自分限定創作論かな。


(1)いうまでもなく、ボーイミーツガールである。

 全てのラブコメはボーイミーツガール、BMGだ。物理的BMGと心理的BMGがあるのだが、ハルヒが嫉妬感情を露わにするところが心理的BMGだ。どう見てもハルヒとキョンは両片想いなんだが、ラブなムードにはあまりならない。成就するとラブコメは終わる。最近終わらないラブコメ多いけど、ハルヒの場合は終わってしまう。大学生になってからの二人を示唆するシーンがシリーズ後半で出てくるが、大学生編はあり得ない。


(2)終わらない日常

 エンドレスエイトで重要なのは「終わらないこと」ではなく、終わることだ。不満足だから続いていた。ハルヒは高校生活の行事一つ一つをキョンとの思い出として確実に消化しないと気が済まないように見える。だが、日常は終わる。卒業式の日、高校生は知る。高校生活が、「日常」が終わるのだと。もう二度と制服を着ることはない。中学卒業とは違う。中学という名の「日常」の上位互換としての高校入学がセットなのが中学卒業だ。大学は高校とは違う。はたしてハルヒはそれを受け入れるのか? 受け入れた結果の大学生活はすでに「平凡」な「日常」でありそれはハルヒが求める「日常」なのか?


(3)長門有希=夢邪鬼、あたる=ハルヒ、ラム=キョン(BD)

 『消失』をどう考えるか。長門有希=夢邪鬼、あたる=キョン、ラム=ハルヒという分析は普通にあると思う。検索してないけど。だけど自分は「長門有希=夢邪鬼、あたる=ハルヒ、ラム=キョン」と思う。そしてこれは『憂鬱』からは改変されたセカイセンなのではないかと思う。メタな言い方だが、『消失』は現実のハルヒシリーズをも改編した。原作が20年かかっても完結しない理由。それは『消失』の出現であり、キョンの願いである。キョン=男性読者、ハルヒ=作者、なのかもしれない。これがキャラクターが走り出した、物語が自らを語り出す、ということなのかもしれない。キョンの本名が出てこないことが示唆的なのかもしれない。キョンの考察はいろいろあるけど、それこそこのシリーズの読み手としての醍醐味。味わいたい。


(4)エンタメ、ラブコメ、ラノベとして

 単純化すれば「キョンに恋する涼宮ハルヒ。彼女が長門有希や朝比奈みくるに嫉妬して大暴れ。さて、キョンは誰を選ぶ? その時世界はどうなる?」なんだろう。でもこれは多分大間違い。消失以前と以後では異なる。

 では消失以後はどう考えるのか? 自分なら「ハルヒのいない世界=物語の収束を物語が拒んだ。どうする?」とするのだろう。ハルヒ的高校生活。ハルヒを満足させつつ、卒業へ向かって物語を描く。普通のラブコメに収束するであろう物語を妨害する様々なキャラ。新キャラは物語に次々と設定を打ち込み、物語を拡散させていく。『第三世界の長井』におけるアンカーのようなものだ。それを既存のキャラクターが粉砕するしかない。鶴屋さんがキーパーソンになるのは必然と言えた。


(5)で? 自作にどう生かすの?

 とりあえず……キャラやな(笑)。キャラが世界を引っ張る、作者を助ける。物語VS作者になったときにね。ま、あくまで私の解釈であり自作創作のヒントとするための考察なので。ツッコミは無用ということで。

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