夜のしじまに

kie♪

夜のしじまに

 道徳的に許されないことがあるとしたらこの夜の俺の行動はそれに当てはまるだろう。そしてそれはきっと彼女も……。


“眠らない街・東京”と呼ばれるこの街でもほんの一時だが静まる時間が存在する。終電が無くなり、人の流れが途絶えると表向き訪れる時間だ。その時間に俺と彼女は出逢った。

 スマホを上着のポケットから取り出し、時間を確認してから俺は嘆息する。日付が変わってからすでに数十分が経っている。俺はもう1度嘆息し、さて、これからどうしようかと思案する。家路に就くにしてもすでに最終電車は出てしまって久しいし、タクシーで帰るための費用も些か心許ない。そんなことをするくらいならネットカフェで夜が明けるのを待つ方がよっぽど賢明である。

 そんなことを考えているとふとすぐ近くに女性が小さくうずくまっているのが見えた。

「大丈夫ですか?」

 思わず声を掛けてしまったのは、彼女の頬に一粒の雫を見てしまったからだ。きっと先程まで泣いていたのがハッキリと分かる表情を浮かべて彼女は

「大丈夫……です」

 と声を絞り出す。

 とてもそんな風には見えない。事情は分からないが、泣いている女性をこのまま夜のとばりに放っておくわけにはいかないだろう。

「でも……。とにかくこのままじゃ風邪を引いてしまいます。どこか室内に入った方が……」

 そう言いながら辺りを見渡す。生憎だが辺りは寂れたファッションホテルしかない。

 不意に彼女の唇が動く。しかし消え入りそうな声だったので上手く聞き取れない。

「えっ? 何か言いましたか?」

 きょをつかれて訊き返すと彼女は少しだけ声を大きくしてハッキリと

「お願い、あの人のことを忘れさせて……」

 と言ったのだった。


 その場のなりゆきにお互い身を任せた結果、1軒の安っぽいファッションホテルに入ることになってしまった。普段の俺なら考えもしないことだが、見知らぬ女性とそういった場所に来るしかない状況ということが要因となって段々と正常な判断が出来なくなっていた。彼女の方も泣き疲れていたのか部屋に入ることに何ら拒否や反抗をしてこなかった。

 部屋に入ったら彼女はピンヒールを脱ぎ捨てた。俺はとりあえず風呂を沸かした方が良いかと思い、湯船に湯を注ぎ出す。ホテルの風呂場特有のカビ臭い湿った空間に湯気が立ち昇るのをしばし眺め、外にいるであろう彼女に声を掛ける。

「もうすぐ沸くと思うので良ければ先に入ってください」

「……ありがとうございます」

 と軽く頭を下げて風呂場へと消えてゆく。程なくしてシャワーの音がした。

 ここのホテルの風呂場は全面ガラス張りで透明の世界となっている。あからさまなエロティックな雰囲気作りには呆れてしまうが、仕方のないことなのだろう。

 しばらく部屋で待っていたが一向に彼女が出てくる気配がない。少し不審に思って様子を見に行くと頭からシャワーを浴びている彼女の姿が目に入った。彼女は俺が見ていたことに気付くと焦った顔をして出てきた。そんな姿が急に愛しくなった俺はまだ全身濡れて裸のままの彼女へと乱雑に口付けた。もう抑えることなんか出来はしない。深夜25時。こうして俺達は1つとなった。


 広いベッドに身を預け、俺の下で彼女は快楽に溺れていった。時々艶のある声の間に呟くように

「飛んじゃう……」

 やどこまでも淫ら落ちたようなセリフが出てくるようになってきた。俺も次第に余裕が無くなってきた。無意識にだが、彼女の奥深くへと自身を進めることに夢中になっていた。そして爆ぜた。爆ぜる瞬間、彼女の名前をまだ訊いていないことに気付く。しかしそんなことは大した問題ではない。俺と同じタイミングで彼女も身体をのけぞらせて果てる。そして俺達はしばらくぐったりとベッドの上で休んだ。こんなセックスは久々だ。彼女のことは何1つ分かっていない状況なのに、身体を重ねたことですこしだけだが彼女“らしさ”というものを知れたような気がする。例えば彼女が泣いていた理由。詳しいことまでは分からないが、恋人に振られたのだろう。だからこそ、俺に声を掛けられたときに“あの人のことを忘れさせてほしい”と頼み、セックスにも応じたのだ。忘れたいという気持ちと忘れるための身体。少しばかり自虐的な部分があり、強がっているがきっと根は弱い女性だ。“強い女性ヒトだから”と誤解されて別れを告げられたのかもしれない。しかし俺の前で見せた姿は儚げで美しいもので確かに輝いていて“本当の彼女”だった。


 外がほんのりと白み始めている。もうそろそろ始発電車が動き出す頃だろう。俺達は脱ぎ捨てた服を着直し、軽く身なりを整えて早朝の渋谷へと繰り出す。この寂れたファッションホテルを出た途端に元の他人へと戻っていく2人の姿を駐車場に設置された防犯カメラが映していた。

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