倒木更新――北カリフォルニアの暑い夏
香沢 久郎
序章 黄金とカメリアとチャノキと
アメリカ合衆国カリフォルニア州の州都であるサクラメント市の「市の花」カメリアはもともと現地に生えていたわけではない。その木が最初に同地に届けられたのは一八五二年二月七日だという。注文したのは当時サクラメントに住んでいた種子店主のジェームズ・ワーレンだが、それを送ったのは日本人だそうである。サクラメント・カメリア協会のホームページにそう書いてある(二〇二〇年五月五日に確認)。
だが届けられたという日付に注目してほしい。黄金がとなりのエルドラド郡で見つかったのが一八四八年一月二四日。というか黄金発見当時、現地はまだ「郡」ではなかった。後述のように数日間、合衆国領ですらなかったのである。だがすぐに合衆国となり、その次の年には六千人を超える人たちが黄金を探している――いわゆる「フォーティナイナーズ(四九年者たち)」である。
その当時、まだロサンゼルスには今のような影も形もなく、サンフランシスコにはようやく西洋からの人が住み着くようになっていた。問題の植物がサクラメントに届いたのは黄金発見から四年ばかり経ち、同地方と周辺がゴールドラッシュにわいていた頃である。
ペリー提督が浦賀に来航し、「鎖国中」の日本に威圧的に開港をせまったのが一八五三年というから、それより一年ほど前にサクラメントに届いたカメリアが『日本から送られた』というのは、何かの間違いであろう。実際、そのカメリアは日本とは地球の反対側のニューヨーク市を出発、パナマ地峡(運河はもちろん、まだなかった)を経由して、再び船に乗せられて、サンフランシスコに送られる。そこから船便でサクラメントに持って来られたそうである(ホームページ参照)。
サクラメントの姉妹都市は愛媛県松山市(一九八一年締結)で、同市の花はヤブツバキという。確かにヤブツバキは学名カメリア=ジャポニカといい、日本の花のようである。サクラメント市の花カメリアは、日本語で言えばツバキ(椿)なのである。
サクラメント・カメリア協会はたくさんのカメリアの花をホームページに載せていて、それがすべてヤブツバキという。いずれにしても同協会のホームページでは、サクラメントの最初のカメリアは日本から送られたことになっている。
さて、ツバキに似た花にサザンカ(山茶花)があり、学名はカメリア=サザンカである。しかし種子店主ワーレンがサクラメントに入れたかったのはそのどちらでもなく、学名カメリア=サイネンシスではあるまいか――つまりチャノキ(茶の木)である。
ワーレンはチャノキを求めたのに誰かが間違って、あるいは偽ってヤブツバキを送ったのかもしれない。でも、それは日本から送られたものではない――タイミングが早すぎるのである。
チャノキが本格的にカリフォルニアに持ち込まれたのは一八六九年六月、最初の日系人たちが入植のため会津若松からやって来た時とされる。しかし気候が合わず、持ち込まれたチャノキは枯れてしまう。会津若松から来た人たちには「乾いた夏」が想像できなかったのであろう。チャノキは日本の夏と違い、アメリカ西海岸のカラカラで水気のない夏には向いていなかったのである。
とにかく、どこからかヤブツバキがやって来て、乾いた夏に、それをよく知った地元の人たちに水をたっぷりかけられて、なんとか生き延びた。その後でチャノキが入ってきたのだが、乾期の夏を知らなかった者たちが育てようとして、カラカラに乾いた暑い夏に根づかなかった。
だから今、サクラメント地方ではヤブツバキ、つまりカメリアだけが生き残っているのであろう。
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