第14話 一触即発

「べ、ベル様!?」


 いつの間にか帰宅していたベル様にがっつり見られてしまった。


 テーブル越しに向かい合って座っており、指を絡めて、顔まで近い。

 こんなところを見られて誤解されない方がおかしいだろう。


「どーして下僕くんがサンちゃんとイチャイチャしてるのかなー」


 あ、圧が怖い……。


 ベル様がこんなに怒っているのは初めてな気がする。

 サタン様は怒っている時空気や建物が震えていたが、ベル様の怒りは息が苦しくなる感じがある。


「やぁベル。お邪魔してるよ。それと、せめてサタンちゃんにしてね。タを忘れないでよー?」

「そんなことはどうでもよくてさ。アタシの下僕くんから離れてくれない?」

「え~、どうしよっかな~」


 サタン様がさらに指を絡めてこようとしたので、反射的にほどいてしまった。


「あらら」

「ベル様……! こ、これは──」

「下僕くんは静かにしててね。後でゆーっくり、お話するから」

「はい」


 普通に怖い。この後どうなってしまうんだ僕は。


「それで、アタシの下僕くんを盗ろうとした言い訳を聞こっかな」

「聞いたよベル。まだ正式に使い魔じゃないって話じゃない。だったらアタシが貰ってもいいんじゃない?」

「ダメに決まってるでしょ? 下僕くんはアタシのものなんだから。正式じゃなくても関係ない」

「ム、ムチャクチャ言うねぇ。でも、ベルがそんなに誰かのために鬼気迫るのは、初めて見たかも」

「遺言はある?」

「へぇ、やる気なんだ」


 や、やばい……。

 まさに一触即発。

 この雰囲気をどうしたら解消できるのか。

 僕できること、それは──。


「す、すみませんでした!!」


 2人の前で土下座並みに頭を下げること。これしかなかった。


「サタン様。先ほどのお誘い、大変光栄ですが、お断りさせていただきます」

「へぇ、理由を聞こうか」


「ベル様の仰った事と、殆ど同意です。正式でないとはいえ、自分はベル様の使い魔です。返しても返しきれないぐらいの恩もあります。確かにベル様は、少しだらしなくて危なっかしいところもあるけど、そんなことが気にならないくらいとてもお優しく、聡明で可憐で唯一無二な方だと思ってます。何より、ベル様に仕えている今が、自分はとても幸せです。だから、先ほどの誘いはお受けできません」


「ふーん」


 そして、僕はベル様の方に向き直った。


「ベル様。先ほどはお見苦しい姿を見せてすみませんでした。今サタン様に宣言した通り、自分はベル様の元から離れる気はありません。こんな自分ですけど、どうか、どうかお傍においてください……!」


 頭をこれでもかと下げる。


 先ほどまでの殺伐とした空気とは打って変わって、静寂が訪れる。


 こ、怖くて頭があげられない……。


「……くくっ」

「……へ?」


 笑い声が聞こえてきたので、思わず顔をあげてしまった。

 サタン様が顔を背けて、笑いをこらえていたのが見えた。


「あはははははっ! ごめんごめん。冗談、冗談だって」

「じょ、冗談……」

「そ。まぁ、ベルがあれだけ言うぐらいだから気になって総司くんをちょっとからかっただけ。ベルもそんな感じでしょ?」

「アタシは冗談じゃないけど?」

「あれー?」


 ダメですやん。

 これはもうダメだ。グッバイ人間界。

 と思ったが、ベル様はふぅとため息をついて、髪をいじりだした。


「ま……下僕くんがアタシの事どう思ってるか聞けたから、許したげる」


 よ、良かった。

 どうやらベル様も矛先を納めてくれたようだ。


「ベル。いい使い魔を持ったね」

「……うん」

「でーも。元はと言えば、私がわざわざ人間界に来たのにベルがいないのが悪い」

「えへへ。ごめんごめん。これを買いに行ってたからね~」


 そう言ってベル様は黒い靄のようなものを出現させたかと思いきや、そこに手を突っ込んで紙袋を取り出した。


「っとと。これ重くて大変だったんだからね」

「おぉ~!! こ、これはぁ……!!」

「アタシのお願い聞いてくれたお礼。これぐらいあれば十分でしょ?」

「うんうん! ありがとうベル! 大好きっ!」

「きゃっ。も~、ほっぺすりすり禁止ぃ~」


 先ほどまでの険悪な雰囲気はどこへやら。

 すっかり仲直りできたみたいで良かった。


「何なんですか、それ」

「これはね……じゃーん!」


 豪快に紙袋の中を見せてくれた。


 ビール。

 ウイスキー。

 純米大吟醸。

 テキーラ。

 黒霧島。


 ありとあらゆるお酒がテーブルに並べられた。


「お酒ですか」

「そうそう! 私好きなんだよね~、人間界のお酒。燃えないし爆発しないし溶けたりしない、何より美味しいし!」


 魔界のお酒は燃えたり爆発したり溶けたりするのか……。なんて恐ろしい……。


「というかこれ、メチャクチャ高かったんじゃないですか?」


 コンビニで買えるようなものではないことは一目見て分かった。ラベルや瓶からして高級感が漂っている。


「いーの。これぐらいあげても足りないぐらい、サンちゃんには感謝してるってこと」

「……ありがとうございます。ベル様」

「にひひ。なんのことかな~」


 そうとぼけて言うが、ベル様の顔はとても嬉しそうだった。


「早速飲もう! 総司君もどう!? お酒飲める!?」

「す、少しだけなら」

「ちょっと、アタシの下僕くんなんだからね。無茶な飲ませ方しないでよ?」

「しないしない。お酒は個人個人で適度に飲むのが一番おいしいんだから!」


 そう言って早々にサタン様は開いたマグカップにお酒を注ごうとしたので、慌ててグラスを取ってきた。


「はいっ、総司くん!」

「あ、ありがとうございます」

「ベルはホントにいいの~?」

「いいの。お酒苦手なの知ってるでしょ」


 そう言うベル様の手元には両手でマグカップが握られている。

 うん、ベル様とお酒の組み合わせはあまり想像がつかない。


 サタン様からお酒を受け取ると、ぎゅっとベル様が袖の端を握ってきた。


「べ、ベル様?」

「気を付けてね? サンちゃん、酒癖悪いから」

「そうなんですか?」

「うん、いっぱいベロベロしてくるし」

「ベロベロしてくる!?」

「おいそこー。聞こえてるからね? そんなことしないって」


 ベロベロ……。されると言っているので、酔いつぶれるというより、物理的に舐められてしまうのか……。


「それじゃ、かんぱーい!」

「か、かんぱい」


 サタン様がぐいっと豪快に飲むのを見て、僕も日本酒に口を付ける。


「んん~っ!!! うまいっ!!!」

「ほんとだ……美味しい」


 やはり値段相応というか、安いお酒にはない上品な味わいを感じる。それにのど越しが良く、とても飲みやすい。


「いや~、ホントありがとねベル~」


 そう言ってサタン様はさっそくグラスを空にしていた。


「はやっ!? あぁ、僕が注ぎますから……」

「ほっといていいよ。ああなったサンちゃんに付き合うとずっと注ぐことになるよ?」


 ベル様の言った通り、サタン様は次々とお酒を注いでは飲み、注いでは飲みをひたすら繰り返していた。


 自分も一杯飲み終わり、ふぅと一息ついた。


 多少なりとも飲み会を経験した自分にはわかる。

 飲みやすい、というのは危険だ。

 どんどん飲んでしまい、いつの間にか自分の許容量を超えてしまう、なんてことにもなりかねない。


 ここは一杯でキープしよう。


「あんれ、下僕くん、もうのんらの?」

「はい──ってベル様? なんか顔赤くないですか?」

「ん~? そんらころないらよ」

「いや、呂律も回ってないですよね……ちょっと失礼しますね」


 マグカップをちょうだいし、匂いを嗅いでみる。


「これ……カルーアミルクじゃ……」


 ミルクはミルクでも、普通にお酒である。

 一口、二口しか口を付けていなかったはずだが、まさかここまで酔うとは……。


「ベル様、もうやめときましょう」

「なぁにぃ下僕くん……あらしののみらかったの……?」

「いやそうじゃなくて……メチャクチャ酔ってますベル様。これ以上は危険ですよ」

「よってらいもん!!!」

「酔ってる人の常套句じゃないですか……。ほら、とりあえず横になりましょ」

「んひひ……エッチする気だぁ」

「しませんって……」

「なんでぇ!?」

「なんでぇ!? いや、もうほんとに寝ましょうベル様。ベロベロになっちゃってますって。ほら、失礼しますね」


 ベル様をお姫様抱っこで抱きかかえ、ソファにまで運ぶ。

 その途中、ベル様は首に腕を回してぎゅっと抱き着かれた。


「にへぇ……抱っこすきぃ……下僕くんすきすきぃ……」


 ぐはぁっ……!! は、破壊力がヤバイ……!!

 超密着して耳元でそんなことを囁かれて内心穏やかではなかったが、ここ一番の理性を保ちソファに寝かせることができた。


「よし……ってうわぁ!?」


 一難去ってまた一難。

 いつの間にか背後にいたサタン様がのしかかっていた。柔らかな感触が背中にずっしりと感じる。


「いいなぁ総司くんのお姫様だっこ~。アタシもしてほしぃ~」

「サタン様まだ全然余裕そうじゃないですか」

「余裕じゃなかったら、してくれる?」

「ぐ……」


 この人もこの人でヤバイ。ベル様とは別ベクトルの破壊力が……。


「こぉらぁ!! あらしの下僕くんらぞぉ~!!」


 こんなに酔っててもそこだけは譲れないらしい。

 なんだかとても嬉しくなってしまい、思わずクスっと笑ってしまった。


「あ~あ、見せつけてくれちゃってぇ。こりゃ引き抜きは手強そうだなぁ~」

「はは……すみません」

「罰として……もう一杯! 付き合いなさい。物足りないけど、それで今日はお開きしましょ」

「……そうですね」


 物足りない……そう言うサタン様の足元には、5,6本の空の酒瓶が転がっていた。




 本当に一杯だけ付き合ったのち、サタン様はいい気分だから気持ちよく寝たいとのことだったので、寝室で寝てもらった。


 僕も机に座ったらいつの間にか寝てしまい、朝日が昇り始めるころに目が覚めた。


「ん……あぁ、朝か……」


 お酒が入ってふわふわとした気分で寝てしまい、少しふらつきながら起きるこの感覚。久しぶりだったが悪い心地はしなかった。


「あー、散らかしっぱなしだった……」


 せめて少しぐらい片付けようと思ったが、昨日は思ったより酔っていたみたいですぐに寝てしまったため、テーブルの上やら床やらは昨日のままだった。


「よし、パパっと片付けますか」


 机に突っ伏して寝たのも久しぶりな気がする。

 軽く伸びをして、片付けに取り掛かる。


 テーブルの上のおつまみやら、飲み物のグラスをキッチンに持っていき、一気に洗う。

 床に落ちている酒瓶は洗って指定のゴミ袋へ。次のゴミ出しの日にすぐに出せるようにする。


「片づけはこんなところかな……」


 ホントは掃除機もかけたかったが、ベル様もサタン様もまだ寝ているのでそれは後にしよう。


 パンとコーヒーはすぐに出せるようスタンバイ。

 これでいつ起きてきても大丈夫な部屋の状態にはもっていけた。

 僕はコーヒーを入れて椅子に座り、一息ついたころだった。


「ふぅ、こんなところかな」

「ふわぁ、おはよ~」


 さっそく寝室からサタン様が起きてきたようだ。


「サタン様、おはようござ……ぶっ! げほっ! げほっ!」


 思わず口にいれたコーヒーを吹き出してしまう所だった。それにはちゃんと理由がある。


「わわっ、どうしたの総司くん」

「いや……その恰好……!」


 そう、サタン様の格好は下着にワイシャツ1枚という刺激が強すぎる格好をしていたからだ。

 ボタンはほとんど止めていないため、今にも大きな胸がこぼれ出そうになっているし、パンツに至ってはモロ見えている。


「え? あ~、あはは、ご、ごめんね。昨日シャツ借りてそのまんまだった」

「いや、それはいいんですけど、そうじゃなくてですね──」

「返すね」


 返すね……? まずい……!!

 サタン様はボタンに手をかけようとしたので、一目散にサタン様に駆け寄り、両手を掴んだ。

 あ、危ない……! 絶対この場で脱ぐ気だったぞこの人、いや悪魔……!!


「お、お気持ちだけで十分ですので……!!」

「あ、そう? じゃあもうちょっと借りちゃおっかな」

「ひ、冷えるといけませんので」

「わお、気が利く」


 ブランケットを渡し、羽織らせた。

 先ほどよりかは幾分かは肌面積が減っただろう。ホントに僅かだが。


「うわぁ、もう片付いてる。さすがだねぇ」

「汚いお部屋にお客様を招くわけにはいきませんから。あ、飲み物飲みますか?」

「ありがと。じゃあコーヒーで」

「はい」


 コーヒーを入れ、カップにミルクと砂糖をつけてお出しする。


「……ふふっ。ホントに至れり尽くせりだ」


 嬉しそうに目を細め、サタン様はコーヒーを味わっていた。



 コーヒーを飲んで少しすると、サタン様は立ち上がった。


「それじゃ、私は帰るね」

「もうですか? ベル様はまだ寝てますけど……」

「あぁなったら昼まで起きないでしょあの子は。いや、お酒も入ってたし夕方ぐらいもあり得るかも……」

「はは……そうですね」


 二人して思わず笑ってしまった。


「ありがとう。久しぶりに良い息抜きになったよ」


 良かった。どうやら我が家が崩壊する危機は免れたらしい。


「満足いただけたなら何よりです。気が向いた時にいつでもいらしてくだ──」


 ください、と言い切る前に、スッと耳元まで近寄られ、囁かれた。


「今度はちゃんと準備してくるから、ね」


 ゆっくりとサタン様の顔が離れる。

 その顔は少し赤くなっており、妖艶な雰囲気を漂わせていた。

 何の準備ですか、なんて野暮なことは聞けなかった。


「それじゃ、またね!」


 そう言ってサタン様は黒い靄を出現させ、ここに来た時と同じようにその中に入って、消えてしまった。


「はは……すごい方だったな……」

「楽しそうに話してたねぇ、下僕くん?」

「っ!?!?」


 ベル様に見られなくて良かったな、なんて思った矢先であった。


「べ、ベル様……お早いお目覚めですね……」

「な~んか嫌な感じがしたからね」

「えっと……弁解をしてもいいでしょうか」

「ダ~メ♡」


 その後、アメとムチを巧みに使い、ねっとりとしたお説教にどっぷりだったのは言うまでもなかった。

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