ALF-RAIN

@pu8

第1話 RAIN


 夜が明けて二十七歳になったあの日、一つの国が滅んだ。

 叩きつけるような雨は私の何かを隠すように降り続き……情けなくも生まれて始めて“生きている”と実感した。


 ◆


 生まれながらにしてこの阿呆らしい戦に巻き込まれている私が出来ることは一つしかない。

 五歳から始めた盗人暮らし。七つの国を跨ぎ二十一年。八つ目の国ソリオスへ辿り着いた私は、呆気にとられていた。


 朝食を盗ろうと街へ繰り出すと、浮浪者が一人もいないことに気がついた。

 大陸最小国ソリオスは、大戦と呼ばれるこの戦の中で唯一兵を持たない。

 資源は乏しく兵も無いこの国を落としても利益がない為、今日まで生き延びている訳だが……

 他所から奪う選択肢が無いこの国で何故浮浪者がいないのか……況してや──

 

「お兄さんお腹空いてるの? 私のお家においでよ!」

「……あぁ、お邪魔しようかな」


 因みに私は女だ。

 髪は短く背が高い為、皆男として私を見ている。まぁ、そのおかげで存えた日もあるが……


「今作るから待っててね」

「……」


 年端もいかない少女が見知らぬ人間に飯を作り施す。この家も彼女の身なりも……決して裕福には見えない。

 それなのに何故……皿いっぱいの馳走を出してくれるのだろうか。


「はい、お兄さんどうぞ」

「…………アンタは食べないの? 言っちゃなんだけど飯食ってるような身体に見えないけど」

「私はいいの。お兄さんソリオスに来たばっかりでしょ? せっかく来てくれたんだもの、ソリオスを好きになって欲しいな。ふふっ、とってもいい街なんだよ?」


 彼女の名はナタレインと言うらしい。

 歳は十一。父親は炭鉱で働いていたが落盤事故で死亡。母親は畑仕事をしているそうだ。


「お兄さんの名前は?」


 数えれば切りが無い。生きていく為に必要な分だけ名前はあった。

 有るか無いかで言えば有る。しかし考えるのが面倒になったので、有るから取って『アル』と最近は名乗っている。


「……アルと呼ばせているが、本当の名前なんて持ってないよ」

「そうなんだ…………ねぇ、私が名前考えてあげる!」


 今度ちょろまかす時の名前に使えるかと思い、そのまま流されることにした。

 歳の割にはしっかりしているがやはり語彙が少ないのだろう。両手を組みながら頭を抱えている。家畜に付けるような名前しか浮かんでこないようだ。


「ナタレインってあまり聞かない名前だけど、この辺りじゃよくある名前なの?」

「ううん、私だけ。生まれた時はナタって名前だったけど、お父さんが死んじゃった時にこの指輪と一緒に名前を受け継いだの。それは『レイン』。遠い遠い国で雨って意味なんだって。だから私はナタレインって言うの。ふふっ、格好良いでしょ?」

 

 首にぶら下げた指輪を嬉しそうに自慢してくる。親指でも大きさが合わないらしく、早く大人になりたいと背伸びしながら笑っていた。

 

「アル……アル……あっ! ねぇ、『アルフ』はどう? うん、格好良いよ。ね、アルフ?」

「……まぁいいんじゃない? 好きに呼んでくれ」

 

 日が暮れて、彼女の母親が帰ってきた。

 男手が足りないらしく、明日畑仕事を手伝ってくれと頼まれた。見知らぬ者が家に居るというのに、何故こうも平然としていられるのだろうか。

 まぁしかし……私は女なんだがな。


 夜が明ける前、抜け出そう。

 これ以上深入りしても面倒なことを随分と昔に学んだ。


 ◇


 家畜の納屋で寝ると言ったが、ナタレインに随分と気に入られてしまったのか彼女の部屋で寝ることになってしまった。

 仕方ない。蝋燭の灯が消えるまではここにいるとしよう。


「ねぇ、アルフはどこから来たの?」

「……ここに来る前はドンセル。その前はターニア。ソリオスで八カ国目だ」

「へぇ……アルフは旅人?」

「まぁそんなところだ」


 干し草の布団の上で足を揺らしながら、彼女は目を輝かせていた。


「私、ソリオスから出たことないの。他の国ってどんなところ? ふふっ、ソリオスより素敵な国はないでしょうけど」

「……」


 真実を話せば彼女の輝きと蝋燭の灯は消えるだろう。二食一晩の恩はここで返させてもらうことにした。


「……他所は退屈だった。だからここまで来たんだ。それよりこの国について教えてくれない? この国は……アンタみたいなお人好しが多いの?」

「ふふっ。それはね、この国の王様がそうしようって決めたことなの。ソリオスに来たらお腹いっぱい食べさせてあげて、楽しく踊って……笑顔にさせてあげなさい、って。大戦?とか貧困?とか難しい話はよく分かんなかったけど、ソリオスは皆んなのお家なんだって。だからここはあなたのお家だよ、アルフ♪」

「…………そうか」

「うん! お休みなさい、アルフ」

「あぁ……お休み」


 ◇


 蝋燭の灯は消え……次の日を迎えた。

 何故ここに留まったのか自分でも理解出来ない。朝から皿いっぱい馳走を用意されたので、三等分し畑仕事を手伝った。


 畑から戻ると、ナタレインが手を振りながら笑顔で出迎えた。

 走り駆け寄り抱きついてきた彼女は何故抱き返さないのかと怒っていたが、土まみれの手を見せると、笑いながらその手を握りしめ家まで引っ張って行った。

 用意された相変わらずの馳走に、口が出る。


「リーシャ、気持ちは有り難いがこれ以上馳走はいらない。私はいいからナタレインに食べさせな」

「……あの子の気が済むまでやらせてあげて? 理由は分かるでしょ?」

「……飢えても知らないからな」

「ふふっ、あなたがお腹いっぱいなら満足よ?」


 相変わらず理解出来ないが……もっと理解出来ないのは私自身だ。気が付けば三週間はここに居座っている。

 転々と流離い盗み生きてきたのに……今更こんな真っ当なことをしてどうしろと言うのだろうか。


 市場へ行けば先々で手招きされ飯と酒を貰い、陽気な曲に合わせ踊り歌う。

 見知らぬ私にそうし、見知った後でさえ変わらずにいる。気が付けば、皆が私をアルフと呼んでいた。


 ◇


「アルフ、気をつけてね! しっかり稼いでくるんだよ?」


 月に一度、隣国ドンセルとの国境で行われる市場へと収穫した野菜を持っていく。

 どう計算してもここへ戻るのは日が変わる頃。

 …………そういうことか。

 生まれた日など知る由もないが、生きる上で必要な数字だったので適当に考えたその日が明日だった。ここへ来て二日目にはナタレインに答えたのでそれを覚えていたのだろう。


 朝から馬を牽き、昼前には国境へと辿り着いた。このまま売り捌いた金を持って逃げればいいものの……私は何をやっているのだろうか。


「おっ、兄ちゃんソリオスから来たのか! 随分と男前な面だな。どうだい、恋仲も多そうだしドンセルの土産でも」

「……」


 鉱石を砕き磨いた装飾品……こんなものを買ってどうしろというのか。

 

【ふふっ、早く大人にならないかなー】


「…………この小さな指輪をくれ」

「あいよ! 随分華奢な彼女なんだな」

「いや………………家族だ」


 ◇ 


 帰路道中、星は陰り小雨が舞い始める。

 手綱と共に……指輪が転げ落ちた。

 遠くにあるソリオスが明るく見える理由なんて、考えたくもなかった。


 この世の常、奪うか奪われるか。


【ようアルフ!! ソリオスには慣れたか? ほれ、今朝採れた果物だ。腹いっぱい持っていきな。両手が塞がってる? 待ってな、今切って口に運んでやるよ。ハッハッハ、何を遠慮してんだアルフ。ここは──】


 なのにここの連中は……


【おっ、アルフいい所に来たな。スピカ産の旨い酒が手に入ったんだ、一緒に飲もうぜ。えっ? 三月分の食費はくだらないって? じゃあこれで三月分アルフと距離が縮まったな! あぁ? 訳解んないだと?! こっち来い。三月分語り合おうじゃないか!! おーい皆んな、アルフが来たぞー!! ハッハッ、遠慮するなアルフ。ここは──】


 無条件に……何でもかんでも……


【アルフ、その……ど、どんな女性があなたは好み? べ、別に私がどうとかじゃなくて…………これね、綺麗なお花を摘んだの。あなたの部屋に飾ってね♪ 今日はアルフの好きな肉の香草包み焼きだよ。どうして分かるのかって? ふふっ……アルフの顔を見れば分かるよ。だってアルフは私の──】


 空っぽだったのに……わざと空っぽにしたのに……こんなにいっぱいにしやがって……クソッ……


【【アルフ、ここはお前の家だ】】


 ……私はまだ何もアンタ達に与えてないじゃないか。


【ふふっ。だって、アルフは私の家族だもの】


「ナタレインッ!!!! どこだっ!!!」


 雨は降り始め、土埃の匂いが漂う筈なのに……

 遠い昔に感じてしまう程……散々嗅ぎなれた家と家畜と……人の焼ける臭いに街は包まれていた。

 何でこんなことに……こいつ等は何も奪ってないだろ……こんなの……


「こんなのおかしいだろ!!! なぁ!!!?」


 崩れかけた……私の家。サーシャだった……サーシャだった何かが裸体のまま上半身が潰されて転がっている。

 瓦礫を掻き分けると……香草に包まれた料理が散乱し……色とりどりの花が泥に塗れて雨粒に打たれていた。

 微かに動く何かを見つけ、祈るように瓦礫を退けた。

 

「ナタレインッ!! ナタレインッ!!!!」

「…………っ……」 

  

 ……まだ息をしている。どうすれば……どうすれば助けられる?隣の町か?いや、あそこには碌な医者は居ない……国境を越えて──


「…………アル……フ?」

「ナタレイン!! 喋らなくていい。今助けてやるからな」

「……これ…………あげる……」

 

 震える指先で、首に掛かっている指輪に触れた。


「馬鹿なこと言うなよ……そうだ、ナタレインに指輪を買ってきたんだ。ナタレインの瞳と同じ藍色の鉱石が使われてる。ほら…………ピッタリだろう?」

「……ふふっ…………アルフ……ごめん……ね……」

「なんで……なんで謝るんだ?」

「……あなたを……一人に…………させちゃうから…………」


 もう二度と出る筈のなかったものが、目から溢れて止まらない。


「これ…………受け取っ……て……」

「ナタレイン……」

「……アル……フ………………で…………う……」

「どうした?」

「……たん……じょうび…………おめで…………と……う…………」


 泥だらけの手のひらで彼女を抱きしめると、その灯火は私の胸の中で次第に消えていった。


 夜が明けて二十七歳になったこの日、一つの国が滅んだ。

 叩きつけるような雨は私の何かを隠すように降り続き……情けなくも生まれて始めて“生きている”と実感した。


 私の名前は……アルフレイン。

 

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