6 焦燥
始まりは、きっと何気ない気づき。自分が少年から青年へと成長していく中で、けれど成長期がなかなか来なかったあいつの外見に、内面に、俺は女を見た。見て、しまった。
そいつの名前は悠里。俺の幼馴染で、俺の悪友で、気心知れた友人だった。
体育の着替えの際にさらされたレフ板のような白い上半身前部が生々しかった。ちらりと学ランから除く首筋や、開襟シャツから除く鎖骨や袖口からちらりと見える脇が、女性のそれにしか思えなくて。
気になって、けれど自分が彼のことを気になっているという事実に、吐きそうだった。
実際に何度も吐いた。
けれど、そうすればするほど、意識すればするほど、俺の中で悠里の存在は大きくなっていった。
俺のもう一人の幼馴染である花蓮が俺を避けるようになってからは、抑えていた思いが急激に膨れ上がった。気づけば俺の周囲には異性がいなくて、同性の友人の中に混じった花は、香り高く俺のことを誘惑し続けた。
些細な身体接触に心揺さぶられ、そつない手助けに赤面した。
そうして、俺は認めた。
俺は、悠里のことが本当に好きなのだと。
好きだと、そう思えばもうあふれる思いは止まらなかった。
一緒にいたい、名前を呼んでほしい、手をつないでみたい。中学生男子がおよそ異性に抱くべき感情のすべてを、俺は悠里に向けていた。
そして、そんな自分が気持ち悪かった。
周囲の皆は、女子たちの名前を挙げては、誰々がかわいい、あの子が好きかもしれない、手が触れて頭が真っ白になった――そんなことを語っていて。
俺はその中で、ひどく自分が浮いているように思えた。
実際に、俺は異分子だった。異端だった。
きっと俺が男が好きかもしれないとそう言えば、彼らはそんなものかと軽く流してくれただろう。それくらいの関係は築けている自身があって。
けれどもし、彼らが俺に対して「気持ち悪い」などを言ったら。そんな可能性が万に一つでも存在するのなら。彼らの口から、俺が男が好きだという情報が広がったとして、笑われたら。
俺は、耐えられないと思った。
だから隠した。俺は自分の恋を秘め、周りに同調するように、空虚な言葉を並べ立てた。その中で、時折花蓮のことを口にすることもあった。一番近い異性のことは、簡単に名を挙げることができた。ただ、ほんの少し花蓮のことが気になるとでもいえば、仲間たちは楽しそうに俺に根掘り葉掘り聞き、俺を仲間の一人として受け入れた。
俺は、ありふれた存在の一人で。
けれど仲のいい友人たちに秘め事をしていて。隠し事の存在は、仲間たちへの裏切りのように思えた。
友人たちを裏切って。虚飾で塗り固めた気持ちの悪い言葉を繰り返した。
そんな自分が、俺はすぐに嫌になって。
けれどやめることなどできなかった。
ああ、俺は、最低な人間だった。
中学三年生の頃、友人の一人が「告白はしないのか?」と聞いてきた。
何のことだ、と思った俺に対して彼は、花蓮への思いを伝える気はないのかと、恋人関係になりたくはないのかと繰り返した。
俺は愕然とした。
俺のとってつけたような嘘は、俺の本心を隠すための言葉は、彼らの中で確かに降り積もっていた。
友人たちの中で、俺は花蓮が好きなことになっていた。
怖かった。俺は、彼らをだましている。
もしもその時、素直に「今はもう好きじゃない」とでもいえば何かが変わったかもしれない。
けれど俺は、それを言えなかった。悠里を隠すために実に都合のいい「花蓮が好きだ」という嘘を、手放せなかった。
ああ、自分の屑さが嫌になる。
そうして俺は嘘で塗り固めた罪に背中を押されて、花蓮に告白をするために、中学三年生にとっての最大のイベントである修学旅行で花蓮を探して、見つけた。
そこには、俺の親友であり好きな人と楽しそうに話をする、花蓮の姿があった。
楽しそうに笑みをこぼした悠里。盛り上がる話。
見せつけられているのだと思った。正しいあり方を、突きつけられているように思った。
二人はひどくお似合いで。
それは、俺の初恋の終わりと、花蓮への嘘の崩壊を意味していた、はずで。
だが、俺の存在に気づいた悠里は、俺のことを手で読んで、その輪の中に入れた。盛り上がる会話の最中にも周囲へと気を配れる悠里のありようがたまらなくいとおしくて、俺はわずかに早足で二人の間に割って入った。
そこには、変わらない日々があった。
かつてあった、仲のいい親友同士の何気ないやり取りが、時間があった。
俺は、そのぬるま湯のような時間に浸って。
そして、心の中で響いていた友人の「告白はしないのか?」という言葉に蓋をした。
悠里と花蓮と同じ高校に進学したのは、偶然であり、半ば必然だった。家から近く、学力レベルとしてもそこそこ高い高校。同じ中学の者も実に三割ほどが例年進学を決めており、俺たちもそんな生徒の一人だった。
無事に受かった高校で、悠里は生徒会役員として活動を始めた。
俺は中学で行っていた陸上を続けることにした。花蓮は、部活に入らなかった。
やっぱり、俺たち三人は別々のグループの人間として活動していた。俺と悠里と花蓮の時間は交わらなくて。
悠里のことを遠くから眺めるだけの時間が続いた。
そうしている間にも思いは成熟していって、俺はもう、自分の中に広がる思いを押し殺せなくなっていた。
悠里が好きだった。
いつだって、どれだけ大勢の中にいても一目で悠里のことを見つけたし、いつだって目で追っていた。悠里の何気ない動きの一つ一つに心揺さぶられ、仲間内で笑う悠里の笑顔が自分に向いてほしくて、笑顔を向けられる相手が妬ましくて、頬を紅潮させて悠里のことを見つめる女たちが怖かった。
俺の悠里を取らないでくれと、心の中だけで彼女たちに願った。
願って、恐怖して、祈って、そして、俺は決意した。
俺は、悠里に告白をする。
俺は悠里のものになり、悠里は俺だけのものになる。
悠里の隣に、俺が立っていたい。
けれどそう簡単に覚悟は決まらなかった。
もし悠里に否定されたら?悠里が、俺のことを嫌悪感をもって見てきたら?そうしたら、俺はきっと生きていけない。
狂っている俺は、けれどすぐにでも身の内で暴れる思いを吐き出したくて。
だから俺は、悠里が好きだということを、花蓮に暴露した。
暴露して、そして、俺は、自分が大きな過ちを犯したことを悟った。
これまで俺にほとんど関わることもしなかった花蓮が、急に動き出した。
悠里と一緒に俺の家の前で会話をして、悠里との関係を見せびらかしてきた。
悠里とは恋人などではないというために、妹すら抱きこんで家に上がり込んできた。
花蓮が、気持ち悪かった。
花蓮が、許せなかった。
どうして、そんな軽率に行動できる?
俺がどれだけの覚悟をもって、お前に告白したと思っているんだ。
男が好きだという告白に対して、どうしてそんなふざけた行動ができる?
なぁ、教えてくれよ。どうして、俺をあざけるような行動を繰り返すんだよ。
俺は、図書館の中をさまよう花蓮の背中を、入り口の陰から追い続けた。
あてもなくぶらつくその足取りは、後を追う俺のことをもてあそんでいるようで。
そして、目指すべき先を見失った迷子のように思えた。
後ろ姿しか見えない花蓮が何を思っているのかが、俺にはわからない。
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