第四章 二度目ましての婚約破棄②
「
浮かべている
相変わらず見る者を
理由は明白だ。青みを
どう見てもちゃんと
「申し訳ございません、
「どんなことであれ、勝手な判断は必要ない。すべては
「はい、陛下のご命令の通りに」
「カーキベリル
「かしこまりました、すぐに」
トリアに軽く頭を下げてから、ギルバートは足早に城へと去っていく。
「部屋まで送ろう」
「……どうも」
半歩先を進む背中に続き、トリアも歩き出す。
(うーん、どうにも気軽に話しかけられない
本当は口から出したい言葉は大量にある。だが、周囲に流れる重苦しい
(それに、どうしてもあのことが頭をよぎってぎくしゃくするというか)
また
(と、とにかく、あのことは後回しにしよう。まずは訓練について話してみないと)
どう話しかけようか迷っていると、ラウが前を向いたまま声をかけてくる。
「……その髪、切ったんだな」
「え? ええ、毛先が焼けていた上に、魔術で切られちゃった部分もあったから」
そうか、と続いた低くくぐもった声には
「この髪型が似合っていない?」
「そういうわけじゃない。短い髪も君に似合っている、と思うが」
「じゃあ、髪の長い
「そんなわけがないだろう」
ラウは足を止めて振り返る。すまなそうに眉を落とす顔を見て、ようやくトリアはラウの心情を察することができた。
「もしかして、自分のせいでわたしの髪が短くなったとか考えている? それで、わたしに対して顔向けできない、心苦しいと思っているとか?」
答えは戻ってこない。それでも、わずかに下がった視線を見れば
(わたしの髪なんて、皇帝にとってはどうでもいい、
ラウがずっと気にかけてくれたことが、
トリアはラウの正面に歩み寄ると、にっと
「わたしはこの髪型、すごく気に入っているの。あなたを
長い髪も
これから髪が伸びていく
「だが、せっかく炎のようにきれいだった髪が……」
「髪はまた伸びる。あなたを助ける
「君は時々驚くほどに
小さく
(色々聞きたいのは山々だけど、軍人がいる状況では聞ける内容に限りがある)
ラウの一人称は「私」になっている。ここにいるのは皇帝の彼だ。
トリアが本当に話をしたいのは本来のラウ、「俺」と自分のことを呼んでいる彼だった。
歩みを再開したラウの隣に並び、軍人たちに聞かれても差し
「カーキベリル領での一件は片が付いたの?」
「大体は。
「彼に協力していたかもしれない人物がいるってことね」
「
言葉を
(火事はあらかじめ計画していたのかもしれない。だけど、ラウが来ることは領主ですら知らなかったはず。いえ、実は知っていたのかも)
表向きは
(だとしたら、ラウがカーキベリル領に行くことを知っていた人間の中に、今回の件に協力した人間がいるってことね)
「――陛下! お願いいたします、今一度お考え直しを!」
聞き覚えのある声だ。背後を振り返れば、すこし離れた位置にカーキベリル侯爵の息子の姿があった。両脇を二人の軍人に押さえられながらも、必死の
「
ちらりと見たラウの横顔は
「父が陛下を殺そうとするはずがありません! 長年
これは
背後には二人の女性の姿がある。カーキベリル侯爵夫人と娘だろう。血の気の一切ない青白い顔からは生気が失われ、うつろな目がぼんやりとどこか遠くに向けられている。
夫人たちは
「ヴィンセント・ハイリッシュ」
ラウが
「知っている名前だろう?」
「い、いえ、聞いたこともございません」
「ヴィンセントはユニメル領に店を持つ
ラウが言葉を重ねる
「ユニメルの領主に協力してもらい、ヴィンセントの
「
一気に血の気が引いていく。自分が
「ああ、確かにヴィンセントの顧客情報にカーキベリルの名はなかったな。だが、お前が薬を用意させた男はすでにユニメルの領主が身柄を確保し、金で
「そ、それだけでは、確たる
「私がカーキベリル領を訪問する一週間ほど前、ベラルガが使用人に命じて灯油を大量に買い込み、
青白く
「トリア様! あなた様からもどうか陛下へとお口添えをお願いいたします!」
青年は深い水底に引きずり込まれる直前で、ただ一つ見付けた浮き具にすがりつくような声を
「僕とトリア様の仲ではありませんか、どうぞお
いや、あなたとわたしの間にはどんな仲もありませんけど、とトリアが冷静な突っ込みを返す前に、瞬時に横から移動したラウが青年の首を右手で
「言葉にはくれぐれも注意しろ。ふざけたことを言うようならば、今この場でお前の首をへし折ってやってもいいんだぞ」
隠すことなく放たれる殺気に、向けられる張本人だけでなくトリアや軍人たちまでも固まってしまう。が、ぼんやりと見ている場合ではない。
トリアは慌ててラウの横に並び、ぎりぎりと締め上げている腕に手を伸ばす。
「ラウ、それ以上やると本当に死んでしまう」
ふっとラウの腕から力が抜ける。首を解放され、青年が地面へと
「わたし、あなたを見ていると世界中で一番
トリアにとって世界中で一番大嫌いな男は、言うまでもなくルシアンだ。
「あ、一つ伝え忘れていましたが、夕食に呼んでいただいた際にあなたが付けていたネクタイピン、とても
「……は?」
「では、もう二度とお目にかかることはありませんね。さようなら」
トリアは帝城に向かって歩き出す。カーキベリル侯爵の息子たちを連れていくよう指示を出してから、ラウが足早にトリアの
「君には礼を言わなければならない。ユニメルの領主が協力してくれたのは、君が今回の件に巻き込まれたと知ったからだ。君のためなら、と
ユニメル領で人身売買を解決したことが、今回良い方向に働いたのだろう。
「お礼を言われるようなことはしていないけど、あなたの役に立ったんだったらよかった。あの場にいたカーキベリル侯爵夫人と娘は、今回の一件に関わっているの?」
「二人は一切関与していないようだ。だが、無罪放免というわけにはいかない。国外追放の処分でもかなり優しい方だろう」
ラウの表情が一瞬だけ
カーキベリル侯爵と息子は
うーんと小さく
トリアが
「君
「手紙? 誰から……あ、ロイク
見覚えのあるミミズ文字に、自然とトリアの口から明るい声が出る。
差し出された手紙を受け取り、しかし、
「あれ? 中身を確認していないの?」
王国からの手紙だ。当然、
「君を帝国に
一見するとトリアを
トリアはビリビリと
「はい、読んでみて」
「は? いや、私が読む意味はないかと」
「いいから、いいから。はい、声に出して読んでみて」
ラウは
「元気か? 元気だ。またな……って、まさかこれだけか?」
「見ての通り、ロイク叔父さんは字が
「必要最低限というか、これはもう必要最低限以下だろう」
「叔父さんは小難しいことが
「……それはどうだろうな」
内心を
「ねえ、それはそうと、ちゃんと
「ああ、問題ない。最低限の治療は受けている。それに、どうせ――」
トリアが無言で
どうせいずれすべて治る。すなわち、どうせ次に死んで生き返れば元通りになる、と言おうとしたのだろう。
(自分自身の
死んでも生き返る。それがどんなものなのか、想像すらできない。
だが、死んで生き返ることを
(わたしはそういう考え方、すごく
――生きていて欲しいから、笑っていて欲しいから、
七歳の頃に見た光景を思い出す。民を守るため
(そもそも死ぬときには痛みがあるはず。死に慣れるなんて、どう考えてもおかしい)
トリアはラウの目前に回り込み、彼の歩みを強制的に止める。
「ところで、火事のときわたしは騎士としてあなたのことを守ったでしょ?」
「ああ」
「自分で言うのもなんだけど、
「その通りだ。
「大丈夫。わたしが欲しい褒美にはお金は一切かからないよ」
明らかに何事かを企んでにこにこと微笑むトリアの眼前で、ラウは
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