第三章 こんにちは、波乱の日々よ④



 一目彼女を見た瞬間しゅんかん、炎のようだと思った。


 みずからをしばりつけるくさりを焼き切るんだ声音こわね、強い意志の熱を宿した黄色のひとみこしまで伸びたかみは燃えさかる炎そのもののあざやかな赤で、裸足はだしりんと立つ姿はただただまぶしかった。


 暗闇くらやみの中で光りかがやく炎のようだと、そう感じたときには声をかけていた。


 ノエリッシュ王国第一王女との婚姻こんいんの話が、二月ほど前に急に持ち上がった。そこに王国側の意図、婚姻により両国間の結び付きを強くし、帝国側を少しずつ、徐々じょじょに王国へと取り込んでいこう、という画策かくさく秘密裏ひみつりられていることはすぐにわかった。


 そんなかくされた意図いとを察知しても、ラウは表面上は友好的に振る舞い、王国の申し出を喜んで受け入れた。


 外遊という名目で王国をおとずれ、たがいの真意を隠したまま行われた顔合わせは、結局のところ失敗に終わった。理由は言わずもがな。


 第一王女がラウを見初みそめ、彼女の強い希望で進められていた婚姻だが、彼女がラウのそばにいることに耐えられなかった。王国の人間はだれしも大なり小なり魔術耐性がある。最初はごく普通の様子で話す彼女に期待をいだいたものの、十分ほどてばたちまち顔をさおめ、その場にくずれ落ちてしまった。


 何の成果もないまま帝国に戻るのも腹立たしく、興味本位で男爵だんしゃく主催しゅさい晩餐会ばんさんかいもぐり込んだ。運良く王国の貴族連中に関する情報が手に入れば上々と、その程度の軽い気持ちで、男爵家のむすめに求婚するつもりなど微塵みじんもなかった。


 だが、ぐに見つめてくるひとみや、物おじせずつむがれる言葉、何よりもみずからを守って戦う姿がまばゆいばかりの輝きを発していて、気付けば結婚を申し出ていた。


 そこには打算があったのも事実だ。彼女ならば自分の傍にいても大丈夫。彼女ならば――巻き込んでもきっと自らの身を守れる、と。


(だが、そんなことはただの建前で、俺の本心は……)


 彼女ならば『本当の自分』を支えてくれるかもしれないと、あわい希望を抱いてしまったから。


 本物の炎の中にいてもなお鮮烈せんれつに輝く炎のごとき女性は、四方から容赦ようしゃなく手を伸ばしてくる火をかいくぐり、椅子いすしばられたラウの元へと走り寄ってくる。


 かみはあちこち焼けて縮れ、すすよごれた顔や手には火傷やけどをしたと思われる赤い跡が多々ある。水をかぶってきたのか、全身にれた形跡けいせきがあるものの、すでに乾いて服はじりじりとげ始めている。


怪我けがは? うん、なさそうね、よかった。それで、何でしばられて……ああ、この突然の火事もあなたをねらった犯行ってことね」


 説明せずとも状況を素早く把握はあくしたトリアはこしに手を伸ばし、けれど、そこに本来あるべき剣がないことに気付いてまゆを寄せる。


「あー、急いでいて剣を持ってくるのを忘れた。ちょっと待って、すぐにほどくから」


 ラウの右足付近にしゃがみ込んだトリアは、きつく結ばれたロープをはずそうとする。だが、かなり固く結ばれているのか、なかなか解けそうにはなかった。


 その間にも、炎は確実に部屋を、屋敷やしきを焼いていく。

 トリアの登場に吃驚きっきょうし、思わず固まってしまっていたラウはあわてて口を開く。


「どうして君がこんなところにいるんだ!?」


「どうしてって、あなたを助けに来た以外に理由があると思うの?」


「助けなど必要ない! 君は今すぐにここから出るんだ!」


「ええ、あなたと一緒にすぐに脱出だっしゅつするつもりよ」


「だから、俺に助けは必要ない! どうせ死んだところで生き返るんだ!」


 右足のロープを解いたトリアが顔を上げる。黄色のひとみと視線が重なり、ラウは自分が失言をしたことに気が付いた。


「『俺』に『生き返る』、ね。聞きたいことがたくさんできた。でも、今は脱出が先ね」


 炎が間近にせまっているというのに、トリアにあせった様子は微塵みじんもない。左足のロープへと手を伸ばす相手に、ラウは苛々いらいらとした口調をぶつける。


「俺はここで死んでも生き返る。これまで何度も死んで、その度に生き返っている。だから、君が俺を守る意味などない」


「生き返るって、魔術の一種? そうだ、あなたの魔術でこのロープは切れないの?」


「夕食にしびれ薬と、一時的に魔術を使えなくする薬がられていた。大分体の調子は戻ってきているが、動くのも魔術を使うのも無理だ。だが、生き返るのに魔術は関係ない」


 だから、君は一人でげろと続けるが、トリアがそれに従う気配はない。


「すぐにロープを解いて、わたしがあなたを背負って脱出すればいいってことね」


「頼むからちゃんと話を聞いてくれ。俺はのろわれているんだ。ここで焼け死のうが、窒息死ちっそくししようが、どうせ元通りになる」


「呪いって、誰の呪い?」


「……夜の精霊せいれいだ」


「え? 夜の精霊って本当にいるの?」


「ああ、いる。かなり魔力の強い人間でなければ姿は見えず、声も聞こえない。だが、昔からずっとこの国に存在し続けている」


 苦々しい表情を浮かべるラウの背後へとトリアが移動する。いつの間にか左足のロープがはずれていた。後ろ手に縛られたロープが解ければ自由になる。


「あなたが生き返るってこと、他の人は知っているの?」


「誰も知らない。知っていれば、暗殺などするはずもないだろう」


 場合が場合なだけに明かしたが、本当はトリアにも言うつもりはなかった。


「秘密にしてくれ。他の人間は俺が魔術によって致命傷ちめいしょうを治したり、危険を上手うまけたりしていると考えている。真実が知られると困る」


 もはや残された時間は少ない。すでに室内はかなりの高温となり、息をするのさえ苦しい状況になっている。おそらく酸素さんそも少なくなってきているのだろう。

 すべてを飲み込み燃やしくす凶悪きょうあくな炎が、すぐそこまでせまっている。


 げほげほと、背後からき込む声が聞こえてきた。トリアの呼吸があらくなっている。


くわしい説明は後でちゃんとする。今は君が逃げるのが優先だ。君の身体能力ならば、三階から飛び降りても大事はないだろう」


 返事はない。荒れた呼吸音だけが戻ってくる。


(俺は死んでもいい。だが、彼女だけは絶対に死なせることはできない)


 ラウとトリアは違う。彼女の命はただ一つ。死ねば、次はない。

 母や妹、弟たち、兄、そして父のように、死ねばもう二度と会うことができない。


 ――失ってしまえば、どんなに願ってももう取り戻せないのだから。


 どうにかして説得しようとするラウの動きを、「よし!」という場違いなほど明るい声がさえぎる。


「ロープは全部外れた。さあ、脱出といきましょうか」


「もう無理だ。頼むから、君一人で――」


「嫌よ。たとえ生き返るとしても、わたしは誰かが死ぬのを見過ごすことはできない。それはわたしの騎士道に反するもの」


 ラウの前に戻ってきたトリアは、荒い呼吸を隠すようにみを浮かべる。彼女の手がラウの冷えた手を包み込む。無理矢理ロープを外したせいで血がにじみ、皮膚ひふがぼろぼろになってしまった手は、強く、そして優しくラウの手をにぎりしめる。

 手袋越しでも、そのぬくもりをしっかりと感じることができる。


「わたしを信じて。あなたを必ず守るから」


 こんな最悪の状況なのに、目の前の相手はこれまで見せた中でも一番の笑顔を向けてくる。煤と汗で汚れ、髪の毛はぐちゃぐちゃで、服も焼け焦げた状態だ。うそでもきれいとは言いがたい姿なのに、誰よりも美しく、気高く、見惚みとれてしまうほどに輝いている。


 その瞬間しゅんかんいやでも理解してしまう。


(俺は、彼女にかれている。彼女の持つその輝きに、手を伸ばしたくなってしまう)


 それは、くら闇夜やみよを照らす炎。周囲にあるすべてを燃やし尽くす炎ではなく、凍える人を温め、迷い人の道を照らす、優しい炎だ。


 どうして、と声にならない言葉が口中で溶けて消えていく。


 きっと理由などない。助ける相手が誰であるかも関係ない。彼女が彼女だからこそ、この道を選ぶのだ。


 トリアは反応できずにいるラウの両腕をつかむと、力の入らない体を背中に乗せて歩き出す。なかば引きずるような形ではあったが、ラウを背負って窓へと近付いていく。


 女性の中では背が高く、きたえているため体格もしっかりしているものの、ラウよりもずっと細くて小さな背中だ。


 それなのに、とても大きくしなやかで――とても温かい。


「ねえ、高いところから落ちるのは好き?」


「……大嫌だいきらいだな。三度、高所から落とされて殺されている」


「そっか。まあ、今度は死なないから多めに見てよ」


 トリアはふっと短い息をく。右足を思い切りり上げてまど硝子ガラスたたき割る。新鮮しんせんな空気が入ってきたことにより、炎が急激きゅうげきに勢いを増す。


 ほとんど爆発ばくはつに近い衝撃しょうげきを背に感じるよりも早く、トリアはラウを背負ったまま躊躇ちゅうちょなく三階の窓の外へと身を投げ出した。

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