第三章 こんにちは、波乱の日々よ③



 カーキベリル領の滞在たいざいは一週間の予定だ。


 トリアとラウはりをしたり、乗馬をしたり、身分をかくして近くの町や村を散策さんさくしたりと、おだやかな時間を過ごしていた。帝国のことをもっと知りたいと言えば、ラウは歴史や文化などをわかりやすく、懇切丁寧こんせつていねいに教えてくれた。


 幸運なことに、三日の間でラウが暗殺者あんさつしゃおそわれることは一度もなかった。


 四日目の夜。トリアは単身、カーキベリル侯爵こうしゃく本邸ほんてい招待しょうたいされていた。


「私のむすめがぜひ陛下へいか婚約者こんやくしゃ、トリア様とお話ししたいと申しておりまして、もしよろしければ今夜女同士で夕食などいかがでしょうか?」


 招待を受けること自体は特に問題なかった。だが、皇帝こうていであるラウを差し置いて自分一人が行ってもいいのだろうかと考えていると、


「行ってくるといい。私は公務に関わる書類をいくつか確認しておきたい」


 とラウが背中を押してくれたため、夕食に呼ばれることにしたのだった。


 ドレスに着替えることなくいつも通りの服装で、剣だけ軍人に預けてカーキベリル侯爵の屋敷やしきおとずれる。何故か出迎えたのは侯爵の娘ではなく息子むすこの方だった。


 今年二十歳はたちになる息子はトリアの姿を見て一瞬いっしゅんまゆをひそめたものの、すぐにさわやかなみを浮かべる。その目が顔、むねこし周りをめるように観察したのを見た瞬間しゅんかん


(うん、わたしの大嫌だいきらいな性質の人間ね!)


 トリアの中で侯爵家の息子への第一印象いんしょうは、最底辺となった。


「お会いできて光栄です。皇帝陛下の婚約者の方が、まさかこのように凛々りりしい佳人かじんとは思ってもおりませんでした」


 にこにこと笑う青年の背後では、にやにやと笑うカーキベリル侯爵の姿がある。


「おまねきいただきありがとうございます。侯爵のご息女そくじょはまだ来られないのですか?」


「ああ、申し訳ございません。娘は体調をくずしておりまして、代わりに息子を、と。食事はただいま準備しております。しばらく息子と話でもしていていただければ」


 明らかに裏のある笑顔で酒やつまみをすすめてくる相手に、表面上はにこやかにしつつも内心では警戒心けいかいしんを強くする。ララサバル男爵だんしゃくでは酒類がきつく禁止されていたので、とさらっとうそを言いながら、強引に押し付けられた果実酒を押し返す。


(わたしをかいしてラウに取り入ろう、ってこと? いえ、それとももっと他の意味が?)


 うながされてソファーにこしを下ろすと、すぐ真横に青年が腰かけてくる。トリアはさり気なく相手と距離きょりを取った。


「トリア様はノエリッシュ王国のご出身でしたね。僕は王国に非常に興味がありまして、近い内に訪問する予定なんです」


「そうですか。王国への入国許可を取るのは大変だったんじゃありませんか?」


 王国の人間が帝国に入るのが大変なように、逆もまたしかり。特に貴族や軍人ともなれば、早々に許可は下りない。無論王国の安全を守るための措置そちだ。


 青年の胸元むなもとで金色の光がきらめく。タイピンに付けられた大きな宝石が、照明をびてきらきらと金のかがやきを発している。


「ええ、ええ、トリア様のおっしゃる通り、入国許可を取るのはとても大変でしたね」


 そばでこちらの様子をうかがっていた侯爵が、鼻息あらく大声で割り込んでくる。


「実は私には王国内で懇意こんいにしている方がおりましてね。その方のご尽力じんりょくで、今回息子の訪問が決まったんですよ」


「……カーキベリル侯爵は素晴すばらしいご人脈じんみゃくをお持ちのようですね」


滅相めっそうもないことでございます。私の人脈などまだまだ……」


「もしかして、わたしも知っている方でしょうか?」


「ええ、まあ、トリア様もよくご存じでしょうが、名前はご勘弁かんべんいただけますと」


 相手の方に迷惑めいわくがかかると大変困りますので、と続けたカーキベリル侯爵は意気いき揚々ようようとした顔を浮かべている。それほどまで彼にとって重要な人物、ということだろう。


「実はぜひともララサバル男爵家の方とお知り合いになれればと思っておりまして、この度トリア様を夕食に招待させてもらいました」


「ララサバル家といえば、帝国内でも非常に有名ですからね」


 父親から言葉を引き取った息子は、再び爽やかすぎる笑顔で話し始める。


(……わたしはもう、ララサバル男爵家とはえんを切っているのに)


 王国のことから始まり、次は自分のこと、運動が得意だとか今後軍に入って幹部かんぶ候補こうほになるんだとか、いわゆる自慢じまん話が続いていく。ぐいぐいと自分を売り込もうとしてくる相手に、ようやくトリアにもカーキベリル侯爵の真意が見えてきた。


(ラウは関係なく、わたしに取り入ろうとしているってことか)


 今はまだ婚約者とはいえ、今後皇妃こうひになるかもしれない人間に対して自分の息子を差し向けるとは、なかなか大胆だいたんなことをする。


(皇妃の愛人にさせよう、とか? でも、そんな感じには思えないな)


 こういう貴族同士のやりとりもいやで家と離縁したのに、結局のところまた愛想あいそ笑いを浮かべて腹の探り合いをしている。トリアはげんなりとしてしまった。


 お約束と違いますので帰ります、と席を立ってもいいのだが、一応身分上は皇帝の婚約者だ。自分勝手な行動をするのは気がとがめる。


(騎士としても、主人であるよわよわ皇帝の胃に穴が開くような事態はけたいし、ね)


 いかに早くこの場を切り上げるか、と大真面目おおまじめにトリアが考えていると、若干じゃっかん距離きょりめてきた青年がにこりと微笑ほほえみかけてくる。幸か不幸か、息子は父親には外見は似ていないらしい。中身は不明だが。


「そもそも陛下にはノエリッシュ王国第一王女との婚姻こんいんが持ち上がっておりましたのに、何故トリア様を選んだのでしょうね。トリア様がお美しかったから一目惚ひとめぼれなさったのでしょうか。お気持ちは僕もよくわかります」


「……あの、すみません。第一王女との婚姻とは、どういうことか聞いても?」


「ああ、ご存じなかったのですね。二月ほど前に第一王女との婚姻の話が王国側から提案されまして、顔合わせのため陛下は王国を訪問していたんですよ。帝国にお戻りになり、てっきり王女と婚姻を結ぶことにしたと発表するのかと思っておりましたら、晩餐会ばんさんかい見初みそめたあなたを婚約者にするとおっしゃってみな驚きました」


 ラウがあの日王国を訪問していたのは外遊ではなく、第一王女との婚姻の話が出ていたからなのか。第一王女との結婚ならばラウにも利益は大きい。いまだみぞの存在している二国間の友好を手っ取り早く深めるためには、最善の方法かもしれない。


 トリアなんかよりも、ずっとラウに相応ふさわしい相手だ。


 ぺらぺらとしゃべり続ける青年の声を聞いていると、もやもやした感情がき出てくる。


(何だろう、このもやっとした気持ち……ああ、わかった。目の前の相手に苛々いらいらしているからね。どこかルシアンにも似ているし)


 自分の中に生まれた言いようのない感情は、苛立ちが原因なのだろうと結論付ける。


「下世話な話かと思いますが、トリア様は陛下とはどこまでのご関係でしょうか?」


「……本当に随分ずいぶんと俗な話題ですね」


 突然振られた最悪な質問に、口の端がぴくりと痙攣けいれんする。隠しきれなかったトリアの苛立ちを察したのだろう。青年があわてた様子で釈明しゃくめいする。


「申し訳ございません、不愉快ふゆかいな思いをさせてしまい……。その、トリア様がもし陛下との婚約を解消された場合、王国へと戻るつもりなのかが知りたかったものでして」


「先のことはまだ考えておりません。ですが、そのときは他国をあちこち見て周りたいと考えています」


 引きつりそうなほお懸命けんめいゆるめ、本心である「あなたに答える義務はない」という言葉を飲み込む。令嬢れいじょうめたとはいえ、一般常識ぐらいはわきまえている。


 トリアだけならば悪口を言われようが、後ろ指を指されようが全然構わない。だが、ラウに迷惑めいわくはかけられない。彼にはじをかかせるなど論外だ。


「それは素晴すばらしい! トリア様と僕は相性が良さそうですね」


 どこがどう相性がいいのか不明だが、トリアはとりあえず浮かべているみを崩さないようにつとめた。一度顔面が崩壊ほうかいしたら最後だ。


 これはもう、具合が悪くなったから帰ります、とでも言うべきだろうか。どんな食事が用意されているのか気にはなる。しかし、到底とうてい美味おいしく食べられる状況ではない。


 トリアがソファーから立ち上がろうとした瞬間しゅんかん、バタバタと走る足音が廊下ろうかから聞こえてくる。音を立ててとびらが開け放たれた。

 飛び込んできたのはカーキベリル侯爵の私兵の一人だった。


「た、大変です、カーキベリル侯爵! 皇帝陛下のいらっしゃる別邸べっていが火事に!」


「な、何だと!? ど、どういうことだ!?」


 侯爵は挙動きょどう不審ふしんかつ大袈裟おおげさすぎる様子で大声を上げた。どこかぎくしゃくとした動きで立ち上がる。


(別邸が火事……え、待って、ラウは!?)


 反応が遅れてしまったトリアも、急いでソファーから腰を上げる。すぐに部屋から出ようとしたものの、隣にいた青年が腕をつかんで止める。


「あ、危ないので、トリア様は安全なこちらにいてください!」


「……手を離してもらえますか?」


「大丈夫です、落ち着いてください! すぐに自分たちが確認して参りますので」


「わたしはちゃんと頼みました。だから、これは手を離さなかったあなた自身のせい」


 トリアは「え?」と青年が間の抜けた声をもらすのを聞きながら、掴まれた腕を逆にひねり上げ、背をかがめてふところに入り込む。そして、青年の体を床に向かって背負い投げした。

 どんっと、床にぶつかる大きな音がひびき渡る。


 投げられた本人だけでなく、侯爵や私兵、その場にひかえていた侍女じじょや使用人が呆気あっけに取られている。トリアは今度こそ屋敷やしきの外へと走り出す。


 外につながれていた馬を勝手に拝借はいしゃくし、別邸へと全力でけ出した。屋敷が近付くにつれ、風に乗ってげくさいにおいがただよってくる。くらい空へと立ち昇る煙、ちらちらと光を放つ炎の気配が、どんどん大きくなっていく。


 トリアが別邸の前に着いた頃には、屋敷全体が橙色だいだいいろの炎によって包まれている状態だった。別邸の一角が燃えている程度ではなく、すべてが完全に燃えている。

 馬から飛び降り、おろおろとした様子で屋敷をながめている軍人の一人に声をかける。


「ラウは!? 外にげたの!?」


「い、いえ、あの、陛下はまだ中にいらっしゃると……!」


 助けに行こうにも火の回りが早すぎて、と途切とぎれ途切れの言葉が続く。軍人や使用人たちが燃えさかる屋敷を呆然ぼうぜんと見上げている中、トリアは噴水ふんすいへと走る。

 途中で見付けた水桶みずおけで噴水の水をなみなみとすくい、躊躇ちゅうちょなく頭の天辺てっぺんから水を浴びる。


 あわてて追いかけてきたらしい軍人が驚愕きょうがくの表情を浮かべている。トリアは気にせずもう一回頭から水をかぶり、全身びしょれの状態にする。


(大きな布を水で濡らして被ってきたいところだけど、探している時間がもったいない!)


 トリアは別邸の正面玄関げんかんへと再び全速力で戻る。深呼吸を数回り返す。


 屋敷内のあちこちが炎にかこまれている。ばちばちと燃える音、はだを焼く熱風。焼けげた臭いが火事の勢いを如実にょじつに示している。


 トリアの横に軍人が駆け寄ってくる。


「な、何をするつもりですか!?」


「ラウを助けに行くのよ」


「助けにって、そんな、無茶です! トリア様にも危険が……!」


「わたしはラウの騎士で、加えて婚約者よ。主人を助けに行くのは当たり前でしょ」


 騎士としての主人を、そして――もしかしたら、万が一の可能性だが、未来の主人になるかもしれない人を。


 はっとして目を見開く軍人を横目に、全身ずぶ濡れの格好かっこうで走り出す。ごうごうと燃え続ける屋敷に向かって。

 背後にいくつものさけび声を聞きながら、トリアは炎の中へと迷うことなく飛び込んだ。


 屋敷の内部は想像以上にひどい、まさに炎の海といった表現がぴったりの状態だった。まるで生き物のごとくいたるところで炎があばれ回り、大量の火のすすを舞い散らせ、煙と悪臭あくしゅうを放っている。


 濡れていた全身が一気に乾いていくほど、周囲は高熱で包まれている。肌を焼く炎の熱を感じる。だが、トリアはおくすることなく前へ、ラウのいる場所へと進んでいく。


 燃え盛る炎の隙間すきまをかいくぐり、どうにか三階まで階段を駆けのぼる。ばちばちと、物が焼かれていく凶悪きょうあくな音がひびき渡っていた。


(まずい、屋敷全体が焼け落ちるまであまり時間がない!)


 三階の廊下ろうかへと一歩み出したところで、背後から轟音ごうおんが発せられる。振り返れば階段の天井てんじょう部分が焼け落ちていた。階下へと続く道が、完全にふさがれてしまった。


(……脱出だっしゅつには別の道を探さないとダメね)


 高温と共に酸素さんそが薄くなっているせいか、一歩進むごとに意識がぼんやりとしてくる。


(しっかりしろ! ここでラウを守れなかったら、わたしは騎士きし失格だ!)


 弱気になりそうな自身を鼓舞こぶし、ラウの滞在たいざいしている部屋へと一直線に駆ける。


 三階は特に炎の勢いが強い。

 ラウは無事だろうか。もしかしたらもう、とちらりと浮かんだ考えはすぐに打ち消す。


(あなたはこんなところで死ぬ男じゃないでしょ、ラウ・ランメルト・キールストラ!)


 ――この国にとって相応ふさわしい皇帝になりたい。そう強い眼差まなざしで言った男が、易々やすやすと死ぬはずがない。


 熱を含んだ煙が目と鼻、のど容赦ようしゃなくおそってくる。トリアはかすむ目を右手で乱暴らんぼうにこすり、三階の廊下を必死に進み続けた。


 ラウの部屋の扉はすでに焼け落ちている。トリアは足元でくすぶっている火を気にすることなく、室内へと勢いよく飛び込んだ。


「――ラウ!」


 部屋の中央付近、椅子いすに座るラウを見た途端とたん、トリアは心臓しんぞうが止まりそうなほどの衝撃しょうげきを受ける。ぐったりとした姿に血の気が引いていく。しかし、わずかに身じろぎするのに気付き、心の底からき出た安堵あんど感が全身へと広がっていった。


(大丈夫、まだ守れる。守ってみせる、必ず)


 騎士としての役目だからではなく、トリア自身がラウを守りたいから。その想いの先につながる感情が何なのか、このときのトリアが気付くことはなかった。

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