第三章 こんにちは、波乱の日々よ②



 帝都から馬車で半日。


 自然にあふれたカーキベリル領は、皇族こうぞくや貴族の保養地として重宝ちょうほうされている。帝都から近いこともあって、別荘べっそうを保有している者も多いらしい。


 領主りょうしゅのベラルガ・カーキベリル侯爵こうしゃくは、五十なかばほどの小太りの男だ。突然訪れたトリアたちに驚愕きょうがくしつつも、満面のみをこぼしながら歓迎かんげいしてくれた。


 一見するとこしが低く、態度のやわらかな好人物に感じられる。しかし、眼鏡めがねしに向けられる視線、トリアを女だと見下している姿を見れば、内心は容易よういに察することができた。


 表向きはラウに対しても従順で友好的だが、自分よりもはるかに若い皇帝こうていをよく思っていないことも一目瞭然いちもくりょうぜんだ。魔術耐性がないのか、ラウと話すときの笑顔には青白さがにじんでいる。ひたいに浮かぶ脂汗あぶらあせ頻繁ひんぱんにハンカチでぬぐっていた。


 ぜひ別邸べってい滞在たいざいしてくださいと、カーキベリル侯爵に案内されたのは三階建ての立派な屋敷やしきだった。トリアの実家よりも一回り以上大きい。川沿いに建てられており、周囲を草原にかこまれた静かな立地が印象的いんしょうてきだ。


 別邸には季節の樹木じゅもくで整備された広い中庭がある。特に圧巻あっかんなのが中庭の半分近くをめる噴水ふんすいだろう。もはや噴水というよりは大きな泉といった様相ようそうである。軽く見ただけだが、水深もかなりあるようだった。


 客室のいくつかが改装中ということで、トリアは三階の南側、ラウは同じく三階の北側の部屋に案内された。


 警備けいびの面を考えて、


せまくても同じ部屋の方がいい」


 と主張するトリアだったが、


「だ、大丈夫だ! ぼ……いや、私は一人で問題ない!」


 とすぐさま拒否きょひされてしまった。


 帝城では一応同じ部屋で就寝しゅうしんしてはいる。が、おたがいの寝る場所は壁のはしと端で、間には木製の衝立ついたてがどんと置かれている。衝立のこちら側には絶対に入らないようにと、何度も何度もくぎされた。


 普通それを言うのは自分の方じゃないのか、とちょっと思ったものの、まあ、いいか、とトリアは流すことにした。


 屋敷に着いて早々、


「君は何かやりたいことはあるか?」


 と問われたトリアは迷うことなく、


りがしたい」


 と答えた。予想していた答えの中には存在していなかったのか、ラウはやや面食らった顔をしたが、すぐにカーキベリル侯爵に頼んで釣り道具を用意してくれた。


 んだ水がゆっくりと流れていく川縁かわべりに並んで座る。別邸近くを流れる川は川幅かわはばが広くはないが、それなりに深さがあり、底を見通すことはできない。時折魚と思われる黒い影が移動していく様が確認できた。


「君は釣りが好きなのか?」


「ええ、好きよ。家族には内緒ないしょでよくやっていたの」


「そうか、意外だな」


「その意外って言葉は、のんびり釣り竿ざおを振る人間には見えない、ってことかしら?」


「あ! いや、その、悪い意味じゃないんだ、本当に!」


 あわてて否定ひていする声が、水の流れる音と混じり合う。

 トリアたちの周囲には人気ひとけがない。警護けいごをしている軍人はかなり離れた場所にいる。


婚約者こんやくしゃと二人きりで静かに過ごしたい」


 だから、護衛ごえいは離れた場所にいてくれ、と続けたラウに、おそわれる危険性を考えて軍人たちはしぶい顔をしていた。とはいえ、そこは軍人。皇帝こうていの命令にそむくことはなかった。


 正直なところ、ラウの警備に関してはトリアも思うところがある。


 トリアが帝城に来てから、知っているだけでラウは三回も命をねらわれている。一回は言わずもがな、初日に矢で狙われたことだ。後の二回は食事に毒が入れられたり、頭目掛けて上から大きな壺を落とされたりした。どちらもトリアがふせいだものの、おそらく知らないだけでもっと命を狙われている気がする。


(三回とも犯人をらえられなかった。警備を厳重げんじゅうにするのが一番なのに)


 だが、いくら進言してもラウがみずからの警備を増やす気配はない。今回の旅行もそうだ。護衛が明らかに少なすぎる。しかも訪問先の領主にすらおしのびだった。


 帝城の留守るすを任せてきたギルバートにも、自分の行き先は相手がだれであろうと絶対に明かすな、と厳命げんめいしていた。ラウの旅行先を知るのは一緒に来た軍人や使用人。あとは重鎮じゅうちんのぞけばセシリナぐらいだろう。


「……あ!」


 竿に当たりが来る。急いで力一杯いっぱい引き上げると、そこには――。


「……はあ。またくつか」


 釣り糸の先に引っかかっていたのは茶色の靴だ。トリアの横には、同じような片方の靴が何足もころがっている。


「あ」


 ラウの竿にも当たりが来たらしい。あまりやる気のなさそうな動作で引き上げると、その先には大きな魚が元気よく飛びねている。彼の横には同じような魚が何匹も入れられた水桶みずおけが置かれている。


 トリアが大量の靴を釣り上げる一方、釣りが初めてのラウは大量の魚を釣り上げていた。


「君は釣りが得意なんじゃないのか?」


「好きと得意は違うでしょ。わたしはいつも魚以外のものしか釣れないの」


「……それは、釣りをする意味があるのか?」


「わたしが釣りをするのは魚のためじゃなくて、自分自身と向き合うためよ」


 無心になりたいときは体を動かすが、考え事をしたいときには釣りをするようにしていた。ロイクにさそわれて始めた釣りは、いつの間にか数少ない趣味しゅみの一つとなっている。


 川縁りにはすずしい風が吹いている。トリアは降りそそぐ太陽を見上げた。時刻じこくはお昼過ぎ。しかし、青空に浮かぶ太陽はすでに西へとかたむきつつある。


(話に聞いていた通り、帝国って本当に昼の時間が短いのね)


 朝日がのぼるのは遅く、夕日が沈むのは早い。太陽の出ている時間がかなり短い。

 最初は日の短さに驚き、どうにも体の調子が整わなかったりもした。最近になってようやく夜の長さに慣れつつある。


(この国への侵攻しんこうを考えた場合、夜の時間が長いことは攻める側にとって不利となる。この国の人間は他国の人間より圧倒的に夜に強い)


 夜目が効き、夜間の活動に慣れている。暗闇くらやみでの戦闘せんとうになった場合、土地かんがあり、なおかつ少ないあかりで活動できる方が有利なのは自明のことだ。


(王国が攻め入るとすれば、西の国境こっきょう。でも、十中八九とりでを落とすのに時間がかかる。その間に帝国は防衛ぼうえいを固めてしまう。多数をおとりにし、少数精鋭せいえいで攻め込むのが得策かしら)


 だが、キールストラ帝国は広大だ。もし帝都までひそかに侵入しんにゅうする場合、ほぼ夜間での活動になる。夜は距離をかせげず、時間がかかれば囮にした方が壊滅かいめつしてしまう。


 日照時間が短いことには欠点もある。作物が育ちにくく、日差しをびる時間が少ないため体調をくずすこともあるかもしれない。だが、国を守るという点から考えると、利点も数多くあるのだろう。


 ぼんやりといだ川面を見つめていると、となりから静かな声音こわねが聞こえてくる。


「……君はすごいな」


「え? まさか靴が大量に釣れることに対しての賞賛しょうさん?」


「そ、そうじゃなくて、君は帝国に来て間もないのに、城の人間から好かれている」


「親切な人が多いから、他国から来たわたしのことを気にかけてくれているんでしょう」


「いや、気にかけてもらえることを君がしているからだろう」


「時間を持て余した結果、色々手伝わせてもらったのがよかったのかもね」


 侍女じじょや使用人にあれこれ手伝いを申し出たり、しつこい貴族の男に声をかけ続けられて困っている令嬢れいじょうを助けたり。最初は警戒けいかいされていたが、頻繁ひんぱんに話すようになればだれもがとても友好的で親切だった。


「あー、その、ここでの生活はどう、かな?」


「すごく快適よ。周囲の目を気にせず訓練ができるし、食事もすごく美味おいしいし……あ、でも、一つだけ不満があるな」


「何だろう? 僕にできることなら、すぐに対処するが」


「あなたと一緒にいられる時間が少ないこと」


 長い沈黙ちんもくが続く。

 数十秒の静寂せいじゃくをかき消すように、隣から裏返った声が戻って来る。


「え!?」


「ちょっと声が大きい。魚がげちゃうでしょ」


「す、すまない……その、ええと、さっきのはどういう……?」


「わたしはあなたの騎士きしよ。そばにいなければ守れないもの」


「あ、ああ、なるほど、そういう……」


 ぎょっと目をむいて赤くなった顔が、かたを落とすのに合わせて元の色に戻っていく。


「すまない。君を疑っているわけではないんだが、国政に関わるような場面に立ち会わせるわけにはいかないのが現状で」


「わたしの立場も、あなたがいそがしいこともわかっている。ただ本音を言わせてもらうと、こういう風に話せる時間が欲しかったから、今回旅行に誘ってもらえてうれしかった」


 顔だけ横に向けて笑いかける。ラウは一瞬いっしゅん息をみ、すぐさま視線をらしてしまった。そのほおは赤く見えた。


「君は本当に変わっているな」


「自分自身でもそう思うよ。だけど、わたしは今の自分が好き」


 父の顔色をうかがって、深窓しんそうの令嬢を演じていた自分は大嫌だいきらいだった。


「……自分が好き、か」


 消え入りそうなほど弱々しい声には、どこか暗鬱あんうつさが込められているように感じられた。しかし、問い返すひまはなかった。

 再び当たりを感じて竿を振り上げれば、またしても靴が釣れる。赤いハイヒールだ。


(ここの川おかしくない? こんなにきれいなのに、何で靴ばっかり釣れるのかしら)


 おかしいのははたして川なのか、靴ばかり釣り上げるトリアなのか。うーんとうなり声をもらしていると、もう一匹釣り上げたラウが針から魚をはずしながら話しかけてくる。


「ところで、君はどうして騎士を目指そうと思ったんだ?」


「それ、大分今さらな質問じゃない? あの晩餐会ばんさんかいで聞くべきことでしょ」


「いや、ええと、あのときはとにかく君に帝国に来てもらうのに必死で、正直そこまで気が回らなかったというか、気にしていなかったというか……」


「今は興味があるってこと?」


「当然だ。君に関わることならば何でも教えて欲しい」


「何でも、は難しいかも。でも、騎士を目指した理由なら答えられる。わたしが本気で騎士を目指し始めたのは七歳の頃、叔父おじ遠征えんせいに行くのにかくれて付いていったときね」


「隠れて遠征に付いて行く……おさない頃から大分行動的だな」


「まあ、到着とうちゃく直後に見付かって、叔父から大目玉を食らったけど」


 トリアは何年っても色せることのない記憶きおくを、ラウに語る。


 東の国境こっきょう付近で魔獣まじゅうが発生し、王立騎士団に討伐とうばつ任務が出た。トリアは補給品に隠れて遠征隊にまぎれ込み、初めて叔父が、騎士たちが前戦で戦う姿をの当たりにした。


 国民を守り戦うその姿が、ただただまぶしかった。叔父ももちろんだが、共に戦っていた騎士はみなかがやいて見えた。


「そのとき、わたしも誰かを守れる騎士になりたいと強く思ったの」


 与えられた力は誰かを守るために。そうやって戦う騎士たちに羨望せんぼういだいた。


「まあ、形ばかりは騎士になったものの、理想とする姿にはほど遠いかな。未熟みじゅくも未熟、もっと訓練をしていかないとね。カーキベリル領は自然が豊かで気候もおだやかだから、いつもより訓練がはかどりそう。その点でも今回の旅行に誘ってもらえてよかった」


「……ここに来た理由を聞かないのか?」


新婚しんこん旅行、いえ、婚約こんやく旅行でしょ」


「本当の理由だ。さとい君のことだから、おかしいと感じているんじゃないか?」


「まあねえ。じゃあ、聞いたら答えてくれるの?」


 沈黙ちんもくが答えだった。ぱしゃんと、どこかで魚が飛び跳ねた音がひびく。


 突然の旅行、セシリナのあの様子、そして、圧倒的に護衛が少ない、お忍びでの行動。何かがあるのだろうが、まだおたがいに信用も信頼もできていない状態では、たずねたところで答えてはもらえないだろうと思っていた。


(わたしにも明かせないことがある。隠し事があるのはお互い様だしなあ)


 靴ばかり釣れる状況にちょっと疲れてしまった。釣り竿を一度地面に置いたトリアは、「あ」と横に座るラウへと向き直る。


「そういえば一つ聞きたいことがあった。あなたは何か好きなことはないの?」


 突拍子とっぴょうしのない質問に、紫のひとみがきょとんと丸くなる。


「どうして突然そんな質問を?」


「前に言ったでしょう、わたしはあなたのことを知りたいって。わたしは釣りが好き。あなたは何が好き?」


「僕の、好きなこと……」


 深く考え込むような沈黙の後、ぽつりとラウの声が放たれる。


「母や妹たちがまだ生きていた頃は、星を見るのが好きだったな」


「その言い方だと、今は好きじゃないってこと?」


「ああ。今は夜が大嫌いなんだ。だから、星も見たくない。夜の精霊せいれいの国、なんて呼ばれている場所の皇帝失格だろう?」


「わたしはコルセットが大嫌い。あれを着けていると、苦しくて気が変になりそう。令嬢失格でしょ? というか、もう令嬢ではないし、コルセットを着けるぐらいなら令嬢失格でも全然いい。あ、加えて化粧けしょうも大嫌いね」


 ただし訓練での生傷やあざを隠すため、大嫌いでも化粧は得意になってしまった。


「前に訓練中受け身を取りそこねて、顔に大きな青痣を作ったことがあったの。しばらくの間、起きてから寝るまでばっちりと厚化粧をする羽目はめになって最悪だった。この先はそういうことも気にしなくていいと思うとすごく嬉しい」


 軽い調子で言えば、隣からふっと息がもれる音がする。そこには穏やかな微笑びしょうの気配が含まれている。視線の先で薄いくちびるがかすかにえがく。


「化粧はしなくてもいいが、怪我けが極力きょくりょくしないようにしてほしいな」


 不思議ふしぎと、ラウが笑ってくれるとトリアも嬉しくなる。作り笑いではなく、ラウ自身の本当の笑顔をもっと見てみたいと思う。


 理由はきっとラウが守るべき相手だから、だけではない。


「また君と一緒に釣りをしても?」


「いつでもどうぞ。あなたがいれば、魚料理をたくさん食べられそうだから大歓迎だいかんげいよ」


 帰ったら屋敷の料理人に調理してもらおう、と意気込むトリアの横で、ラウは小さな笑い声をき出す。その笑い声に合わせて、トリアもまた笑っていた。

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