第三章 こんにちは、波乱の日々よ①



 口の中でくだけた瞬間しゅんかん、バターの芳醇ほうじゅんな香りと砂糖の甘さが広がっていく。さっくりとした生地きじを食べ進めていくと、ほどよい塩気が甘味と混じり合って絶妙ぜつみょうな調和を生み出す。

 甘すぎない後味はさらに一枚、もう一枚と、どんどん口へと運んでしまう魅力みりょくがある。


 帝城に滞在たいざいし始めておよそ二週間。

 トリアは帝城の中庭に設けられたガゼボで、セシリナとのお茶会を楽しんでいた。


「……あなたはいつもいつも、美味おいしそうに食べますわね」


「実際すごく美味しいですから。あ、こちらの焼き菓子がしもいただいても?」


「ええ、好きなだけお食べなさいな」


「ありがとうございます!」


 皿にられていたもう一種類の焼き菓子にも手を伸ばす。


 先ほどのホロホロした食感とは違い、今度はんだ瞬間かりっと小気味良い音が鳴る。しょうがとシナモンによる香ばしい味わいを、蜂蜜はちみつやわらかな甘さが包み込んでくれている。刺激的しげきてきな風味にはくせになる美味しさがあった。


 音を立てて焼き菓子を頬張ほおばるトリアを、テーブル越しに座ったセシリナ、そして彼女の侍女じじょたちが見守っている。最初はあきれが感じられたものの、五回目となるとどこか和やかな空気がただよっている。


「王国でも似たような焼き菓子などたくさんあったでしょう」


「もちろんありました。ですが、食べる機会がほとんどなかったんですよね」


 三食の食事はきちんともらえていた。ただし、甘やかされていたクローディアとは違い、トリアがケーキや焼き菓子といった嗜好品しこうひんを口にできることはほぼなかった。


 ごくまれに晩餐会ばんさんかい舞踏会ぶとうかいに参加したとき、美味しそうな料理やデザートを食べる絶好の機会はあった。しかし。


(大きな大きな弊害へいがい……そう、コルセットよ! あれのせいで、毎回食事を楽しむ余裕なんてなかった)


 ルシアンと同じくらいコルセットは大嫌だいきらいだ。


「あなたの家は男爵だんしゃくですもの、贅沢ぜいたくができなくても仕方がありませんわ」


 優雅ゆうがな仕草で紅茶を一口飲んだセシリナは、そばひかえている侍女に声をかける。


「確か帝都で評判になっている菓子店のケーキがあったでしょう。すぐにこちらへ」


「先日セシリナ様のご指示を受け、トリア様のために買い求めた品ですね」


 ぱっとセシリナの顔がまる。年かさの侍女はしまったという顔をした。


「わ、わたくしがそのようなことを言うわけがないでしょう! たまたま知り合いの貴族からいただいた品ですわ!」


「た、大変失礼いたしました! すぐに持って参ります!」


 あわてて走り去る侍女をしかめっつらで見送ったセシリナは、取りつくろうようにもう一人の侍女へと指示を出す。


「わたくしと彼女に紅茶のおかわりを」


「はい、すぐに新しい茶葉でご用意いたします」


 黒髪くろかみに黒いひとみの小柄な侍女は、無表情のまま一礼して茶器に手を伸ばす。


 最初は、


「助けてもらったお礼ですわ。わたくし、借りはすぐに返す性分ですの」


 ということで、渋々しぶしぶといった様子で誘われたお茶会だが、五回目の今では、


めずらしいお茶菓子をいただいたから、あなたにも分けて差し上げますわ」


 と笑顔で誘ってもらえるようになった。


(セシリナ様は表向ききびしく見えるけど、内面は面倒見が良くて世話焼きな方よね)


 帝国にくわしくないトリアに「面倒ですわ」とか「そんなことも知りませんの」と文句もんくや苦言を口にしながらも、丁寧ていねいにあれこれ教えてくれている。


「どうぞ、新しい紅茶になります」


 侍女がソーサーに乗ったカップをテーブルの上に置く。その際、がちゃっとカップが音を立てて大きくれる。ソーサーに紅茶が少しだけこぼれてしまった。


「も、申し訳ございません! すぐにれ直しますので」


「ちょっとこぼれただけですから、これで大丈夫ですよ」


 右手を伸ばしかけた侍女を制し、トリアは紅茶を口にする。


「すごく美味しいです。ありがとうございます」


 侍女は深く頭を下げ、急いで後退する。


「わたくしの侍女が粗相そそうをしてごめんなさいね。最近入ったばかりの新しい侍女ですの。まだ仕事に慣れていないこともあって、先日も庭の掃除そうじ中に転んで左肩ひだりかた怪我けがをしてしまったんですのよ」


 細心の注意を払って主人の前にも紅茶を置いた侍女は、恐縮きょうしゅくした様子で「失礼いたします」とテーブルから離れていく。よくよく観察すると、左腕ひだりうでかばっているようだ。


おそらく彼女のき手は左手。怪我をした左肩を庇い、慣れない右手で作業をしているみたい。だから、余計手際てぎわが悪くなってしまっているのね)


 左肩、と頭の中でつぶやきつつ、トリアは紅茶をのどの奥に流し込む。


「回復魔術で多少良くはなったようですけれど、まだ痛みが残っているみたいですわ」


「もしかしてセシリナ様も魔術師ですか?」


「ええ、皇族こうぞくはみな大なり小なり魔力を持っております。わたくしは回復系の魔術を少しだけ使えますわ」


「気になっていたんですが、回復魔術は病気や大怪我も治せるんですか?」


「そこまで便利なものじゃありません。自己じこ治癒ちゆ能力を多少高める程度ですわね」


 セシリナの答えにトリアはくちびるを固く結ぶ。どれほど自己治癒能力が高くなったとしても、あそこまで深く切られた傷が跡形もなく消えせるとは考えられない。


(……ラウの傷は魔術で治したわけじゃない?)


 それならば傷は何故消えてしまったのか。疑問の答えは出ないままだ。


 皇帝こうてい騎士きしになったとはいえ、常にラウのそばにいるわけではない。王国出身という立場上、公務や謁見えっけんに立ち会うことはない。無論、視察にも付いていけず、就寝しゅうしん時間程度しか一緒にいない状況だ。

 政務や軍事に関われない状態では、結局一人で訓練でもしているしかない。


きらいじゃないとはいえ、日がな一日ずっと訓練しているのもなあ)


 意外にも帝国内でのトリアへの風当たりは強くはない。れ物あつかいされている部分も確かにあるにはあるが。


 城に来た翌日よくじつ、トリアのお披露目ひろめ会が開かれた。貴族や重鎮じゅうちんなどに紹介しょうかいされたのだが、大抵たいていの人は好意的だった。形だけかもしれないが、祝福をべてくれる者が大半で、特に同じ年代の女性、ラウの結婚けっこん相手として選ばれそうな女性たちからは「頑張がんばってくださいませ!」となぞ応援おうえんをたくさんもらってしまった。


 相手が誰であれ、とりあえず皇帝こうてい結婚けっこん相手が見つかった、ということで多くの人々がほっとしているのかもしれない。


 また、良い意味でも悪い意味でも、初日に素手すでで矢をつかみ取った件で、重鎮や軍人からは一目置かれるようになった。特に軍の中では、ララサバル男爵家といえば化け物の集まり、という認識を元々されていたようなので、ある種畏怖いふすらされている状況だ。


叔父おじさんたちなら化け物って言われるのも納得ね。ただしわたしに対しては過大評価だな。まだまだ騎士として力不足だもの)


 王国出身のトリアをよく思っていない人間もいるだろう。だが、今のところはラウが危惧きぐする事態にはならないように感じられた。


(できればもっと騎士として行動したい。でも、まだ信用がないから難しいか。せめて少し外に出られないか、ラウに相談してみようかしら)


 ついつい考え込んでしまっていたトリアへと、落ち着いた声音こわねがかけられる。


「その様子から察しますと、陛下とは上手うまくいっておりませんのね。まあ、当然といえば当然ですわね。あなただけでなく、あちらにも問題が大ありですものね」


 問題、というのはラウの本来の姿のことだろうか。恐らく身内であるセシリナは、ラウが普段皇帝の姿を演じていることも知っているのだろう。


「セシリナ様はラウ、皇帝陛下へいかのことがお好きじゃないんですか?」


大嫌だいきらいですわ。わたくしの弟、みずからの父親に手をかけた疑いがあるんですもの」


「皇帝の座をお父上から簒奪さんだつした、といううわさは王国でも耳にしています。でも、噂はあくまでも噂ですよね。実際、確たる証拠しょうこは何もないようですし」


 あのラウが、父親を殺せるとは到底とうてい思えない。


「さあ、どうでしょうね。何を聞いても本人が否定ひていしませんもの」


「……くなったお父上以外に、陛下のご家族はいらっしゃらないんでしょうか?」


「母親や弟たちは十年以上前にくなっております。次期皇帝になる予定でした四歳上の兄は五年前に……のろわれているんですのよ、あの男は。あなたがしているその腕輪、本来であればあれの兄が受け取るはずのものでしたのに」


 呪い、とトリアは声にはせず口中でり返す。


(うーん、呪いか。魔術を否定ひていする王国では、呪いなんて考えは皆無かいむだったからな)


 紅茶を飲みしたセシリナは、自らの内心を示すかのごとく、乱暴らんぼうな仕草でカップをソーサーに置く。がちゃんと、陶器とうきのぶつかり合う甲高かんだかい音がひびく。


「ギルバートの方がよほど皇帝に相応ふさわしいですわ。あの子も回復魔術が使えますが、わたくしよりもずっと優秀ゆうしゅうです。優しく人当たりもよく、なおかつ人望もありますもの」


「ギルバートさんにはわたしも本当にお世話になっています。ここでの生活が快適なのはギルバートさんのおかげですから」


 自分も仕事でいそがしいはずなのに、頻繁ひんぱんにトリアの様子を見に来てくれている。困っていることがないかと、毎日気をつかってくれていた。正直なところ、ラウよりもギルバートと一緒にいる時間の方が長い気がする。


「ええ、ええ、そうでしょう。あの子ほど皇帝に相応しい人間はいないと思いますわ」


 セシリナは自慢じまん息子むすこを皇帝にしたいと願っている。もしかしたら――現在の皇帝に害をなしてでも。


「あんな男、皇帝になる資格などありませんわ」


「あんな男、というのは私のことでしょうか? 叔母おば上」


 突如とつじょ入り込んできた第三者の声。セシリナや侍女がびくりと体をふるわせる。トリアは大きな反応はしなかったものの、直前まで気配に気付かなかったため、反射的はんしゃてきに剣のつかに手を伸ばしてしまう。


 視線の先にいる相手、ラウを認識にんしきした瞬間、肩から力が抜けていく。


(……あー、だめだ。長年の令嬢れいじょう生活で、あちこちまだなまっているみたい)


 令嬢をやめてから、毎日かさず基礎きそ訓練を続けてきた。ここ最近、ようやく体の動きや感覚が良くなってきた気がしていたのだが、まだまだ訓練が足りないようだ。

 柄に伸ばしていた手を静かに引き戻す。


(それにしても、普段ふだんの姿を見ていると『よわよわ皇帝』には到底とうてい見えないのよね)


 ラウの本来の姿を知っている貴族や重鎮は、ひそかに彼のことをそう呼んでいるらしい。悪意からではなく「仕方がないなあ」といった心情が込められているのだろう。

 その呼び名を聞いてからは、トリアも時々心の中だけでラウのことをそう呼んでいた。


「あら、誰かと思いましたら、皇帝陛下ではありませんか。女同士の語らいの場に許可なく足を踏み入れるとは、無粋ぶすいな人ですわねえ。ましてやぬすみ聞きなんて、皇帝のやることではありませんわよ」


「申し訳ございません。彼女に用があり、失礼ながら邪魔じゃまをさせてもらいました」


「わたしに用?」


 わざわざラウ自ら足を運ぶということは、緊急きんきゅうの要件なのか。身構えるトリアへと、予想のななめ上を行く言葉が降りそそいでくる。


新婚しんこん旅行に行くことに決めた」


「……は?」


「日程は三日後、場所はここから北にあるカーキベリル領だ」


「……ええ?」


 トリアは突然の提案、いや、確定事項に混乱してしまう。対して、セシリナはするど眼差まなざしでラウを見やる。


「カーキベル領? 何故あそこに……」


「何か気になることでも? ああ、そういえば、叔母上はカーキベリル侯爵こうしゃくと非常に仲が良かったですね。彼の動向に気になる点でもありましたか?」


「……いいえ、ありませんわ。用が済んだのならば早く去りなさい。邪魔じゃまですわ」


 皇帝に対して邪魔だと言い放つセシリナに侍女たちがやきもきしているが、言われた本人は特に気にした様子もない。二人は常にこんな関係なのだろう。

 ラウは現れたとき同様、あっという間に去っていく。


「新婚旅行、ねえ」


 結婚していないから新婚旅行ではない。正確に言えば、婚約こんやく旅行か。

 それにしても、何故こんな急に旅行などする気になったのか。あまりにも急すぎる。どうしても裏を探ってしまう。


 ラウの真意を考えるトリアの耳に、いつもよりも低いセシリナの声が届けられる。


「……くれぐれも気を付けなさい、トリア」


「え?」


 気を付ける? 何に? と首をかしげると、セシリナはあわてて言葉を付け加える。


「いえ、その……あなたを歓迎かんげいしない人間も多いんですのよ。淑女しゅくじょらしからぬあなたの姿を見れば、ますます敬遠けいえんされるかもしれませんでしょう。せいぜい気を付けることですわ」


「ご忠告ちゅうこくありがとうございます。ですが、帝国内のことを知る良い機会です。領地の方々にご迷惑めいわくをかけない程度に、勉強させてもらおうと思います」


 セシリナはトリアをどこか不安そうな、歯に物がはさまったような表情で見てくる。彼女の態度は気になる。だが、新婚旅行とかいう理由は抜きにして、久しぶりに帝城から出られることがうれしくて、疑問はすぐに消えてしまう。


 こうして新婚旅行、いな、婚約旅行に行くことが決まったのだった。

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