第二章 はじめましての新生活⑥



 微妙びみょう沈黙ちんもくがトリアたちの間を流れる。


「……ん?」


 まゆを寄せると、ラウはあわてて説明を付け加えてくる。


「僕は魔術を使えるが強い魔術師ではない。ただし僕の魔力は生まれ持って闇の属性に大きくかたよっている。夜の長いこの国で生活する内に偏りは大きくなり、そばに近付くだけで影響えいきょうを与えてしまうほどになった。大半の人は僕の傍に近寄ると気分が悪くなるようだ」


 他国では皇帝こうていであるラウの圧倒的な威圧感いあつかんを受けて体調をくずしてしまう、という話になっているらしいが、実際のところは根本的な体質の問題らしい。


 これまで幾度いくどとなく帝国内で婚約こんやくの話が出たものの、どの家の令嬢れいじょうもラウに近付くと具合が悪くなってしまう。気絶するだけならまだましだ。最悪の場合痙攣けいれんし病院にかつぎ込まれる事態におちいっていた、とラウは自嘲じちょうみと共に話す。


 以上のことから、帝国内でラウの妻に相応ふさわしい家柄、年齢の女性は皆無かいむとなった。


「でも、ギルバートさんや、さっきの軍人の人たちは問題なさそうに見えたけど」


「ある程度きたえている人間、元々魔力に耐性のある人間ならば、傍にいる程度は問題ない。見合いをした令嬢の中にも、傍で話す程度ならば大丈夫な女性は何人かいたんだが」


 皇帝の妻となれば、傍にいられるだけでは不可能。身体的な接触せっしょくけられない。


「王国の人間は耐性を持つ者が多い。その中でも、君には強い魔術耐性がある。君個人のものなのか、君の家特有なのかはわからない。でも、君しかいないと思ったんだ」


 ララサバル男爵だんしゃくの人間は、ずっと騎士きしとして最前線で戦ってきた。無論帝国とも、そして魔術師とも。

 長い年月の中、戦いを重ねる内に自然と耐性が付いたのかもしれない。


 トリアは大きな歩幅ほはばで四歩進み、ラウとの間にあった距離きょりを一気に詰める。驚いたラウは背後へと下がろうとする。だが、右手をつかむことで強制的に止めた。


「……うん、確かに違和感いわかんはある。ただずっとれていると気にならなくなる程度ね」


 つながった手からむずがゆいような、静電気が生じたような、ほんのわずかな居心地いごこちの悪さを感じる。ただ、数十秒てば違和感は溶けて消えていく。何度もラウに触れていれば慣れて、いずれ何も感じなくなる気がした。


「わ、わざわざ手をにぎって確かめなくても、いいんじゃないかと、思うんだが……!」


「不快にさせたのならごめんなさい」


「いや、その、いやなわけではない! が、手を離してもらえると助かる、というか」


 言いよどむラウの右手から重ねていたおのれの手を離す。ほっとした様子で、ラウは再びトリアと距離を取るべく後方へと二歩下がった。


(……間違いない。あるはずのものがなくなっている)


 こほんと、気を取り直すようにラウから空咳からぜきが一つ放たれる。


「僕はこの国にとって相応ふさわしい皇帝になりたい。みなが望む皇帝として生きていきたい。そのためにも、僕を支えてくれる伴侶はんりょが必要だと思った」


 落ち着きなく動いていた視線が、すような強さをともなってトリアを見つめてくる。


「君ならば、僕のとなりに立ってくれると思ったんだ」


 ぐにそそがれるその目には、トリアが映っている。

 男爵だんしゃくむすめでも、深窓しんそうの令嬢でもない。紫のひとみに映るのはトリア自身だ。


 ――ラウはただのトリアとして見てくれている。


 ふうと、トリアは長い息を一つく。


「今のところわたしはあなたと結婚けっこんするつもりはまったくない」


「わかっている。無理いをするつもりはないから安心して欲しい」


「でも、わたしはあなたの騎士きしになった。だから、まずは騎士として守りたいと思う」


 ラウがぱちりと目をまばたく。


婚約者こんやくしゃとしてどうするかは、あなたやこの国を知っていく中で答えを出したい。それでもいい?」


「あ、ああ、もちろん! ありがとう、トリア」


「あと一つ。わたしの前では無理に皇帝を演じなくていいよ。二人きりのときはあなたが過ごしやすい姿で構わない」


「え? いや、でも、それは」


「望んでもいない姿を演じるのがつらいこと、わたしもよく知っているもの」


 本当の自分をかくし、だれかの理想の姿を演じ続ける。


(それがどれほど辛く苦しいのか、わたしは誰よりも理解している)


 ラウは少し考える間を置いてから、静かにうなずく。その顔には安堵あんぞの色が広がっている。


「……よかった。妻になる女性に、うそき続けるのは心苦しかったんだ」


 眉尻まゆじりを下げた姿は氷のような美貌びぼうが完全に溶けて消え、親しみやすい雰囲気ふんいきがある。


(ひとまず、今日話すのはこのぐらいかな)


 知りたいことはまだ数多くあるが、すべてをいっぺんに教えてもらうのは無理だろう。

 トリアはソファーから立ち上がる。


「そろそろこのよごれた服から着替えてもいいかしら?」


「す、すまない、気が利かなくて。主寝室はこっちで、他に客室が五つほどある。かぎもかかるようになっているから、好きな部屋で過ごしてもらって構わない」


「わたしは今後、あなたと一緒にこの階で過ごすってこと?」


警備けいびの関係上、ここにいてもらうのが一番安全なんだ。気が詰まるかもしれないが、君を守るためだと理解して欲しい」


 トリアを守るため。それも嘘ではないだろう。

 でも、きっとそれだけではない。


(多分、わたしを監視かんしする意味合いも含まれているんだろうな)


 いずれにせよ、同じ空間にいることはトリアにとっても利がある。


「わかった。できれば寝るのはあなたと同じ部屋でもいい?」


「……え!?」


 ぎょっと瞠目どうもくした後、ラウのほおが一気に赤くまる。


「あ、あの、でも、それは、ちょっと、いや、かなり問題があると……!」


「寝る場所は別々ね。でも、同じ部屋ならばあなたがおそわれた際に対処できるでしょ?」


「あ、ああ、まあ、そう、かも……」


 赤くなった頬が今度は一気に元の色へと戻っていく。皇帝のときはあまり表情に変化がなかったが、本来のラウは表情が豊からしい。


謁見えっけんの間でも言ったように、僕のことを守ろうとしなくていい。君は君自身のことを一番に考えてくれないか」


「あなたが相応しい皇帝になりたいと願うように、わたしも理想とする騎士になりたいの」


 覚悟かくごが伝わるようにラウの目を見据みすえ、一言一言、気持ちを込めてつむぐ。


「だから、そばにいる限りはあなたのことを守る。それだけはゆずれない」


「……わかった。ただ、僕が君を守ろうとすることも、否定ひていしないで欲しい」


「ええ。だけど、知っての通り飛んでくる矢をつかめるような女よ。普通のご令嬢のように守るつもりならば必要ない」


 たくさんの護衛ごえいを付けられても逆に困ると伝えれば、案のじょう、そうするつもりだったらしいラウの顔に苦々しい表情が浮かぶ。


「護衛は付けない。だが、しばらくの間は帝城内で過ごすようにしてもらいたい。民の中には王国の人間に対して良くない感情をいだく者もいるから」


「了解。落ち着くまでは城から出ないようにする」


「何か必要なものがあれば、ギル、ギルバートに伝えてくれ。僕は一度謁見の間に戻るから、君はここでゆっくりしていて構わない」


 立ち去ろうとしたラウは、何か思い出したかのように足を止める。


「言うのが遅くなってしまったが、その格好かっこう、君によく似合っている」


「ありがとう、大分汚れているけどね」


「その汚れは勲章くんしょうのようなものだろう。じるものじゃない」


「……あなたはわたしがこのくつ、ヒールの高い靴をくのはいやじゃないの?」


「何故だ?」


「わたしの身長がより一層高くなることを、ルシアンはすごく嫌がっていたから」


 クローディア同様、ルシアンも現在謹慎きんしん処分中らしい。

 溺愛できあいする息子むすことはいえさわぎの一端いったんにない、また王太子の強い意向もあって国王が処分を決定したと伝え聞いている。


 ラウは長靴ちょうかで身長が高くなったトリアを見て、微笑びしょうの混じった吐息といきをこぼす。


「身長の高低など僕にはどうでもいいことだ。君が好きで身に付け、そして似合っているのだから最高じゃないか」


 再び歩き出したラウは、肩越かたごしにトリアを見ながら続ける。


「私的には最初に出会ったときのドレス姿よりも、君に似合っていると思う」


 何気ない口調で告げられた言葉に、トリアは一瞬いっしゅん反応に詰まる。

 ぐっと、のぞの奥で変な音が鳴る。心臓しんぞうが一度大きく拍動はくどうした。


(ゆ、油断した! もう、皇帝に戻るときは戻るって言ってくれないかしら)


 ずかしさを誤魔化ごまかすため、突然皇帝の姿へと戻った挙げ句に歯が浮くような台詞セリフを吐かないでよね、と立ち去る背中へと小声で悪態あくたいく。


 数秒とはいえ胸が高鳴ってしまったのは、完全な不意打ちだったからだ。


(きれいなドレスよりも、汚れた姿の方が似合っている、なんて)


 普通の令嬢ならば、間違いなく侮辱ぶじょくだと怒るだろう。だが、トリアは違う。


うれしい、とか、そんなことを思うはずない、絶対に)


 演じていた部分があるとはいえ、初対面で子作りの話をする人間だ。

 ときめくなんてあり得ない。


 頬の熱を消し去るため軽く頭を振ると、トリアは握ったラウの右手を思い出す。


「……あのときクローディアが付けた手の傷、一体どこに消えたの?」


 謁見の間で手を握られた際、そしてつい先ほども確認した。傷跡すらなく、傷そのものが明らかに消えていた。まるで最初から何事もなかったかのように。


 二週間程度で完治する傷ではない。もしかしたら、魔術の中に傷を一瞬で治癒ちゆするたぐいのものがあるのかもしれないが。


「不老不死の死に戻り皇帝、か。まさか……ねえ」


 ぽつりとつぶやいた声は、誰にも届かないまま消えていく。

 トリアの中で言いようのない疑惑ぎわくだけが徐々に、大きくふくらんでいくのだった。

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