第二章 はじめましての新生活④
トリアが室内に足を
「ようこそ、キールストラ帝国へ」
「お
「他の人間がいても私に敬語は使わなくていい。君が出した条件については城の人間に周知させている」
室内には
「君がなかなか帝城に
「ご心配をおかけして申し訳ご、いえ、心配をかけてごめんなさい」
「謝らなくていい。大切な
細められた紫の目に宿っているのは、砂糖のような甘さだけではない。そこには間違いなく甘さ以上の苦味と
「キールストラ帝国では皇帝でも一夫一妻制が基本。一人の妻をずっと大事にする」
王国でも一般人は一夫一妻性が基本だ。ただし、王族や貴族となれば話が違う。
「だから、妻がいるのに外で愛人を作ったり、隠し子を作ったりは絶対にしない」
父やララサバル夫人に関する情報はすべて帝国側には
現在のララサバル夫人は、父の長年の愛人だった。最低なことに、二人の関係はトリアの実母と結婚する前からのもので、結婚した後もずっと続いていた。
二つ年の離れたクローディアは、いわゆる隠し子というやつだ。再婚する際に存在が明らかとなり、長年続けられていた
正直、大好きだった母の
(敵を知る上で、情報収集は基本中の基本だものね)
「私は君だけを愛するつもりだ。安心して欲しい」
間違いなく、普通のご
しかし、トリアは例外、十人中の一人だった。
「あー、ええと、その……どうもありがとう?」
言うべきことが見つからず、とりあえず礼を言ってみた。
(いや、だって、正直なところ、出会って
非の打ち所のない笑みが
場の空気を変えるように、ごほんとわざとらしい
「ところで、君が城に来るまでの
「それでは、お言葉に甘えて一つお願いしても?」
「欲しいものがあるのならば、何でも
「今からわたしがすることに、ただ一言『許す』と言ってもらえれば大丈夫よ」
「わたし、トリアはこの場にて、我が剣を陛下に捧げることを
謁見の間がしんと静まり返る。
「この身を
数秒か、もしくは数分か。長い
「……許す」
張り詰めていた空気がふっと
正式な騎士の
それに、これはあくまでも『仮』の
トリアは床から立ち上がり、剣を腰へと戻す。
「水を差すようで申し訳ないが、騎士の誓いまで立てる必要はないんじゃないか? 私としては君にずっと帝国にいて欲しいと思っている。だが、君はこの先帝国を出て行く可能性がある。むしろそうするつもりだろう?」
「正直に言うと、わたしはまだ今後のことは全然決められていないの。だから、正式な騎士の誓いはできない。
騎士として人生のすべてを捧げる相手に、ラウのことを選んだわけではない。そんなに簡単にただ一人の主人は選べない。
だが、どんな形であれ、ラウはトリアに『騎士として生きる道』という
「助けが必要なときは迷わず呼んで。あなたのことを必ず守るから」
「……守る? 君が、私を?」
「ええ、わたしはあなたの騎士だもの」
「君が騎士として振る舞うことを止めるつもりはない。だが、私のことは守らなくていい」
「それは、騎士としてのわたしは必要ないってこと?」
「違う、そういう意味ではない」
ラウはゆっくりと首を横に振る。
窓から
トリアは
「私の命は君の命よりもずっと軽い」
「逆じゃないの? 皇帝であるあなたの命の方が重いでしょ」
「いいや、君の命の方が大切だ。だから、私を守る必要はない」
「本当に?」
「ああ」
「あなたを守る必要はない?」
「そうだ」
「……これでも?」
トリアの言葉に呼応して、ラウの頭へと一直線に飛来してくるものがあった。
――矢だ。
バルコニーから飛んできた矢が、ラウのこめかみへと
「ラウ!」
ギルバートの悲鳴にも似た大声が
ラウか、もしくは他の
「このナイフ、ちょっと貸して」
トリアは空いている左手で、近くにいた軍人が腰に付けていたナイフを取ると、バルコニーの方角に向かって思い切り投げる。窓を飛び出したナイフはバルコニーにいた相手、黒いローブを
まさか矢を掴まれた挙げ句、ナイフを投げ返されるとは
肩に
(逃げる判断が早い。土地
脇目も振らずに木を下りていく姿から、事前に逃走経路を確保していたことがわかる。
「すぐに追いかけて捕獲を! 警備人数を増やし、出入り口の
ギルバートの指示を受け、軍人たちが
先ほどナイフを借りた軍人に「これ、お願いしてもいい?」と掴んでいた矢を手渡すと、その顔は明らかに引きつっていた。
「……トリア、君は飛んできた矢を取れる、のか?」
「うーん、時と場合によるかしら」
今回は風に含まれるかすかな気配と殺気を感じ取り、矢が飛んでくることが予測できていた。完全に
「普通、時と場合によっても
「え? わたしの周りの人たちは矢ぐらい簡単に取れるよ」
「
目の前からだけでなく、あちこちからいくつものため息が吐き出される。感心や
変わった様相をした王国の小娘、といった風に見ていた目が明らかに変化した。
「き、君の家、ララサバル
「少し運動神経が高い程度で、別に超人ではないよ」
魔術を使える方がよほど超人に思える。
「いやいや、少し運動神経が高い程度で矢が取れるはずがないだろう、絶対におかしい」
「きちんと
「普通……普通って、一体何だろう。だが、最強と名高い王立騎士団を支えるには、そのぐらいの芸当ができないとダメなのか、そうなのか……」
ぶつぶつと小声で
(危うく頭に矢が突き
声にも態度にも余裕があり、表面上は感情を見せても内面は
「と、とにかく、君に怪我は?」
「飛んできた矢を取ったぐらいで怪我はしないよ」
「……そ、そうか。いや、でも、
ラウは
(……あれ? 右手が……)
ある程度の毒には耐性があるから大丈夫、という言葉を飲み込んだトリアの耳に、ギルバートの落ち着いた
「ラウ、落ち着いて。ここは『皇帝』のいるところだよ」
「! ああ。すまない、ギル」
ラウの表情が
「ギル、ここの処理は任せてもいいか? 私は彼女を部屋まで案内してくる」
「はい、お任せください。
「今後の話を彼女としたいから大丈夫だ」
「かしこまりました、皇帝陛下」
ラウはトリアを
「これからよろしく、わたしのご主人様」
一度ぴたりと止まった足が、
「それとも、わたしも皇帝陛下と呼ぶべきかしら?」
あの
「……私のことはラウと呼んでくれ」
「わかった。よろしくね、ラウ」
困ったように息を
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます