第二章 はじめましての新生活③



 国境こっきょうを出発して十日目。

 ようやく帝都の帝城に辿たどり着いた。


 トリアをむかえたのは、扇子せんすを片手に品定めするような眼差まなざしを向けてくる相手、としの頃は四十なかば程度と思われる女性だった。


 丁寧ていねいみ込んだ群青ぐんじょうかみい上げ、はなやかな装飾そうしょくほどこされたあわい紫色のドレスをまとっている。一見して地位の高い貴族の婦人だとわかる。


(ものすごくきれいな女性ね)


 逆三角形のほっそりとした顔に、遠目でもわかる二重のひとみき通るような白いはだが目を引く美女だ。小柄こがらだが背筋せすじを伸ばし、あごを引いて立つ姿には洗練せんれんされた空気がある。


 吹き抜け構造の大広間には天窓がいくつも設置されている。そこから差し込んだ陽光を受け、女性の首飾りがきらりとかがやく。


(うわ、大きな宝石……。ララサバルの家でわたしが持っていたドレスと宝飾品ほうしょくひん、全部まとめてもあの宝石の方がはるかに高いな。小さな家なら余裕で買えそう)


 金色のきらめきを放つ宝石に目を奪われていると、ぱしんと大きな音が鳴る。女性が手にしていた扇子を閉じた音だった。


「本当にその娘が皇帝こうてい陛下へいか婚約者こんやくしゃですの?」


「は、はい、間違いありません、セシリナ様。国章の刻まれた腕輪、陛下が身に付けていらっしゃった金の腕輪をしております」


 正門から城まで案内してくれた若い軍人が、礼儀れいぎ正しく丁重ていちょうに、しかし、どこか緊張きんちょうした口調で答える。


 女性はちらりとトリアの右腕、そこにある腕輪を見やる。その視線にはき通った水に張る氷のまくのように、美しいがさわることをためらってしまう冷厳れいげんさが宿っている。


「確かにそちらは陛下が前皇帝から贈られた腕輪ですわね。わたくしはセシリナ・ライラ・ラナムネリと申します。現皇帝の叔母おばですわ」


 なるほど、とトリアは納得する。

 目の前の美女には、おそろしいほど整った美貌びぼうの持ちぬし、ラウと通じる部分があった。


(特にすずしげな目元がそっくりだな)


 みずからも名乗ろうとしたトリアへと、冷や水のごとき声がぴしゃりとかぶせられる。


「あなた、ノエリッシュ王国の男爵だんしゃくむすめでしたかしら?」


 セシリナは扇子を再び開くと、優雅ゆうがな仕草で口元をかくす。


「そんな家出身の娘が皇帝の伴侶はんりょになるなんて、分不相応ぶんふそうおうだと思いませんの?」


 頭のてっぺんから靴先くつさきまで検分したするどい目が、きたならしいものを見るように細められる。高みからトリアをにらみつける紫の瞳には、明らかな敵対心が浮かんでいる。


 身長はトリアの方が十五センチ近く高い。しかし、大広間の中央にある階段から現れたセシリナは、下まで下りきることなく三段目の位置で足を止めた。そのため、トリアを上から見下ろす構図となっている。


 セシリナは冷え切った声音こわねをさらにつむぐ。


「王国出身で地位が低いというだけでも問題ですのに、加えて淑女しゅくじょとはほど遠いその身なり。あなた本気で皇妃こうひになるつもりですの?」


 細いまゆがぐっと深く寄せられる。


 トリアの現在の格好かっこうといえば、令嬢れいじょうらしいドレス姿ではなく、王国を出たときの動きやすい格好かっこうのままだ。しかも、国境からここにたどり着くまでに、『想定外の事態』に巻き込まれてしまったため、あちこちどろだらけの状態だった。


 できる限りよごれを落とし、整えたつもりだ。が、横目に見える髪はぐちゃぐちゃ、化粧けしょうもしていない。端的たんてきに言ってしまえばみすぼらしい。汚い。令嬢とはほど遠い姿だ。


 帝城にたどり着くことを最優先にしたため、身なりまで気にしていられなかった。


(まさか、立て続けに二つも想定外の事態に巻き込まれるとは、全然思ってもいなかったし……。うん、さすがにあれは大変だったなあ)


 思い出すと、ちょっと遠い目になってしまう。


「皇妃となれば、それは帝国という国の国母こくもとなるということですわ。生半可な気持ちでなれるものではありません。そもそも皇妃は代々由緒ゆいしょ正しい帝国貴族の者が……って、ちょっと、あなた! わたくしの話を聞いておりますの!?」


 反応の薄いトリアにしびれを切らしたセシリナが身を乗り出してにらんでくる。勢いがつき過ぎてしまったようで、細い体ががくりと前のめりにかたむく。


 階段三段分の高さとはいえ、受け身を取らなければ怪我けがをする。小柄で華奢きゃしゃな女性ならばなおのこと。


 ななめ後ろにいる軍人や、セシリナの背後にひかえていた従者たちが「あ!」とあせった声を出す。だれよりも早く一歩をみ出したトリアは、両手を広げて落ちてくる体を受け止める。

 相手の体重が軽かったこともあり、しっかりとき止めることができた。


「大丈夫ですか? お一人で立てますか?」


 こしに右腕を回し、もう一方の手で背中を支えながら問いかける。落ちたことに驚いたのだろう。セシリナは呆然ぼうぜんとした面持おももちで、深みのある紫の目を大きく開いている。


「……わ、わ、わたくしは平気ですわ!」


 視線が重なると、セシリナははっと意識を取り戻す。ずかしさからか、ほおを赤くめている。あわてた様子で一歩下がると、トリアと距離きょりを取った。


「許可なくれたことをおびいたします。ですが、お怪我けががないようでよかったです」


 トリアが笑いながら言えば、セシリナは上目うわめづかいに睨んでくる。


「わたくし、用事を思い出しました! 部屋に戻りますわ!」


 セシリナはくるりときびすを返す。早足で、しかし、決して気品を失うことなく歩き出す主人に、使用人たちが困惑こんわくの様子を浮かべつつも付き従う。


 四歩ほど歩いてから、あわい紫色のドレスがふわりと宙をい、セシリナが振り返る。


「……助けてくださったこと、感謝いたしますわ」


 その一言を最後に、今度こそセシリナは廊下ろうかの奥へと歩き去ってしまった。


 暴風雨ぼうふううが一気にけ抜けていった感じがする。嵐の後の静寂せいじゃくが広がる場に、おだやかな音色ねいろが届けられる。


「おむかえが遅くなり、大変申し訳ございません」


 先ほどまでセシリナがいた階段から下りてくる人物の姿がある。


 紺色の髪を首の後ろで一つにまとめ、白いシャツと藍色あいいろのベスト、黒のパンツ。堅苦かたくるしすぎない服装ふくそうは、手足の長い体躯たいく柔和にゅうわな顔立ちによく似合っている。


「ギルバート様!」


 所在なげにたたずんでいた軍人の顔に明るい表情が浮かぶ。それだけで、ギルバートと呼ばれた男性、二十代なかばと思われる人物がしたわれていることが見て取れる。


「ここは私が引き取ります。君は担当たんとうの持ち場に戻ってください」


「はい、失礼いたします」


 軍人は深く一礼し、きびきびとした足取りで城外へと去っていった。


「私はギルバート・カルル・ラナムネリと申します。この帝城にて諸々もろもろの雑事を取り仕切っております」


「わたしはトリアです。よろしくお願いします。あの、お名前から察するに、もしかしてセシリナ様のご親族の方ですか?」


「セシリナは私の母ですが……。まさか、母がこちらに来ておりましたか?」


「ギルバートさんがいらっしゃるほんの数秒前までいましたね」


「申し訳ございません、もっと早く来るべきでした。もし母が無礼ぶれいな言動をし、不快な思いをさせてしまっておりましたら、重ねておびいたします。母は前皇帝の妹に当たりまして、それゆえだれに対しても人当たりの強い部分がありまして」


「謝る必要はありませんよ。とてもおきれいで、しかも可愛かわいらしいお母様ですね」


「……え? か、可愛らしい、ですか? ええと、あの母が、ですか?」


「はい。あ、不躾ぶしつけな物言いでしたらすみません」


「いえ、そんなことは……。トリア様は不思議ふしぎなお方ですね。さすがあのラウが、いえ、皇帝陛下が選んだお方なだけあります」


 ギルバートは見る者を安心させるみを浮かべる。母親は気高く、人を容易よういに寄せ付けない雰囲気ふんいきだったが、息子は正反対らしい。


 最低限の社交にしか出してもらえなかったトリアは、皇帝の顔を知らなかった。当然、血縁けつえん関係についても情報はゼロだ。ラウの叔母も従兄弟いとこも、ここに来て初めて知った。


到着とうちゃくしたばかりで恐縮きょうしゅくですが、皇帝陛下があなたの来訪らいほうを心待ちにしております。ご案内いたしますので、こちらへどうぞ」


 先導せんどうして階段をのぼり始める背中に声をかける。


「ギルバートさんは皇帝陛下と仲がよろしいんですか?」


「いくらか年齢が離れていたこともありまして、昔は弟のような存在でした」


 思わずラウ、と名前を呼んだことからも、今もきっと仲がいいのだろう。


 広い帝城をギルバートに続いて歩いていく。同じような通路、同じような階段、同じような広間が多数ある。部屋の扉もどこも似た色と形をしていた。迷路のように作られているのは、ひとえに侵入者しんにゅうしゃ対策なのだろう。


 質素というほどではないが、きらびやかで派手はでとも言えない。高価な絵画や壺、色鮮いろあざやかな花々で無駄むだに飾り付けられていた王国の城とは、明らかに雰囲気ふんいきが違う。見栄みばえよりも機能性を重視しているようだ。


「トリア様が無事に帝城へと到着なさって、とても安心いたしました」


「すみません。もっと早く到着する予定だったんですが」


「理由は存じております。エジンティア辺境領へんきょうりょうの街道で問題になっていた盗賊団とうぞくだん捕縛ほばくと、ユニメル領で多発していた人身売買の解決に尽力じんりょくしてくださった、と。どちらの領主りょうしゅも非常に感謝していると、つい先ほど帝城まで連絡がありました」


 通常であれば二日。どんなに寄り道しても五日程度。予定の日数より倍にふくれ上がったのには原因がある。


 今になって思い返してみれば、国境警備の軍人が『帝都には北の迂回路うかいろを』とさけんでいた。それはトリアが進んだ街道に、絶賛ぜっさん盗賊が頻発ひんぱつしていたためだったのだろう。

 忠告ちゅうこくを聞かずに進んだ結果、例にもれずトリアもまた盗賊団におそわれた。


(ちゃんと話を聞かなくてごめんなさい、国境警備をしていた軍人さん)


 その場は撃退げきたいし、特に被害もなかった。だが、なしくずし的にエジンティア辺境伯へんきょうはくに助力を求められ、彼の私兵と協力することに。さらわれた辺境伯のむすめの救出、及び盗賊団の捕縛にがっつりとたずさわってしまった。


 あれやこれやともてなそうとするエジンティア辺境領の人々に別れを告げ、全速力で帝都に向かう。その途中、今度はユニメル領で少女があやしい男たちに誘拐ゆうかいされそうになっている現場に遭遇そうぐう。言うまでもなく、反射的はんしゃてきに少女を助けていた。


 腕を見込まれ、ユニメル領主の依頼の元、不自然な失踪しっそうと誘拐の多発を調べてみれば、大規模だいきぼな人身売買組織そしきにぶち当たった。結果、壊滅かいめつまで手を貸すことになった。


(国に助けを求めるとか、帝国軍人を頼るとか、色々やりようはあったんだろうけど、どちらも緊急を要する事態だったから、ついつい手を出しちゃったのよね)


 前を歩いていたギルバートは足を止めて振り返ると、申し訳なさそうに眉尻まゆじりを下げて謝罪の言葉を口にする。


「トリア様の身を危険にさらし、かつ、解決までさせてしまったこと、国を代表して私から深くお詫びいたします」


「いえ、どちらもわたしがやりたくてやったことですから」


 偶然ぐうぜん関わり、成り行きで解決することになった。それでも関わることを決めたのは他でもないトリア自身だ。


「わたしの方こそ、国内の事情に勝手に首を突っ込んでしまい申し訳ございませんでした」


「陛下を始め、みなトリア様に感謝こそすれ、いかりなどいだくはずがありません。むしろ訪問して早々、我が国の汚点おてんをご覧に入れることになり大変遺憾いかんに思います」


「キールストラ帝国は、治安があまり良くないのでしょうか?」


「陛下が即位してからかなり良くなっておりますが、何分帝国は夜が長く、闇に乗じて悪事を働く者も少なくなく……。ですが、帝城付近は安全ですのでご安心ください。それから、謁見えっけんの際はそちらの姿のままで構いません」


「あの、ですが、さすがにこのよごれた姿では礼を失するのではないかと」


 トリアは気にしない。だが、トリア以外は気にするだろう。


「大丈夫ですよ。が国を助けていただいた結果、そのようなお姿になったのですから。剣もそのまま、お持ちになった状態で問題ありません」


「皇帝陛下とお目にかかるのに、帯剣していてもいいんですか?」


「あなたは婚約者であると同時に、陛下の騎士きしだと聞いております。騎士から剣を取り上げるのは失礼でしょう」


 まさかそんなところまで配慮はいりょしてくれているとは思ってもいなかった。トリアが礼を言うと、顔だけ振り返ったギルバートが目元をやわらげる。


「すべては陛下のご意向です。あなたが不自由なく生活できるよう最大限配慮はいりょしろ、と。陛下はあなたのことをとても大切に想っていらっしゃるようです」


 微笑ほほえましそうなギルバートに対して、トリアは複雑な表情を浮かべてしまう。


(大切も何も、そもそもどうして婚約する事態になったのか、全然わからない状態なのよね。わたしを選んだ理由を、今度こそちゃんと聞かせてもらわないと)


 ギルバートは帝城の内部構造や各施設かくしせつの案内に加えて、トリアが退屈たいくつしないように雑談もまじえて長い廊下を進む。謁見の間に到着するまで恐らく十分以上かかったのだろうが、ギルバートのおかげで長いとは感じなかった。


「ここが陛下のいらっしゃる謁見の間です」


 重厚じゅうこうとびらの両脇には、屈強くっきょう体躯たいくの軍人二人が警備けいびに立っている。ギルバートを見ると、両者共に小さくうなずいて扉へと手をかけた。


「どうぞ。陛下が心よりあなたのことをお待ちしております」


 ギルバートの声におおかぶさる形で、両開きの分厚い扉がぎしりと大きな音を立て、ゆっくりと押し開かれていった。

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