第二章 はじめましての新生活②



 国境こっきょうの手前で馬とは別れた。


 乗せてくれたお礼にしっかり丁寧ていねいに世話をしてから、身元の確かな人間にお金を渡し、ロイクのところまで連れて行ってもらう手筈てはずを整えた。


 物々しい警備けいびかれている国境に足を向ければ、案のじょうすぐに帝国の軍人に止められる。紺色の軍服をくずすことなくきっちりと着込み、短髪たんぱつ軍帽ぐんぼうかぶっている。


「名前と目的を。通行許可証があればすみやかに提示ていじしてください」


 石造りの堅牢けんろうとりできずかれていることからも、いかに国境の警備がきびしいかがわかる。

 厳格げんかくな警備は、過去両国間であった激しい戦争の名残なごりなのだろう。


 表向きは友好関係をきずいている。しかし、実際のところ二国間では人の流れが厳しく制限されていた。各国の作物や製品などの輸出入にも規制がかけられている。


 だから、実家と離縁りえんするとはいえ、王国出身のトリアが皇帝こうてい婚約者こんやくしゃになること自体、異例中の異例でもあった。


「名前はトリア。目的は、えー、婚約者であるキールストラ帝国の皇帝に会うため?」


 上手うまい言葉が見つからず小首をかしげるトリアの前で、軍人の眉間みけんに深いしわが寄る。すきなくトリアを観察する目が、こしびた剣をとらえるとより一層厳しさを増す。


「くだらない戯言ざれごとを口にすると、たとえご婦人であろうとも――」


「ちょっと待って。これこれ、これが通行許可証の代わりになるかしら」


 トリアは右手にはめている腕輪を見せる。細やかな意匠いしょうの金の腕輪だ。帝国の国章、フクロウと三日月が刻まれ、色とりどりの小さな宝石がいくつも付いている。


 腕輪はラウから贈られたものだった。金色の装飾品そうしょくひんを身に付けるのは正直かなり気が進まなかったのだが、婚約のあかしであり、かつ帝国内での身分を証明するものだと押し切られてしまった。


 あの晩餐会ばんさんかいの日、笑顔で「では、一緒に帝国に行こう」と言われたのだが、トリアは間髪かんはつれずに「無理」と答えた。準備が必要だからと言えば、名残しそうな顔をしたラウは腕輪を渡し、「では、一月後に国境で」と国に戻って行った。


 引き留めようとする王国側の意思は完全に無視。しかも晩餐会に侵入しんにゅうした不審者ふしんしゃたちを問答無用で全員らえた上で。


 どうせ偽物にせものだろう。疑惑ぎわくにあふれた目で腕輪を確認していた軍人だが、まじまじと見ることおよそ一分。疑いはまたたく間に驚愕きょうがくへと変わっていく。


「ほ、本物……! 国章を身に付けられるのは、現在の皇帝のみということは……!」


 さあっと、目に見えて軍人の顔色が青く変化していく。


「も、申し訳ございません! 非礼をどうかお許しください!」


 直立不動の姿勢を取った軍人は、腰を九十度の角度にげて頭を下げる。周囲にいた数人の軍人もまた、体を二つに折ってお辞儀じぎをした。


 腕輪を見ただけでトリアの素性すじょうを正しく判断し、かつ、すぐに非を認めて躊躇ちゅうちょなく謝罪する。国境警備をしている軍人は一見したところ年若い者が多い。しかし、規律きりつ正しい上個々人の判断力も高く、加えて統制とうせいが取れていることもうかがえる。


 最近の帝国軍は飛ぶ鳥を落とす勢いで実力を付けているらしい。実際の帝国軍人を見ると、それも納得できる。


(しかも、帝国には王国にはない戦力、魔術まじゅつがある)


 王国には魔術の概念がいねんはない。魔術師という存在自体が皆無かいむだ。魔術なんて不可思議ふかしぎなもの認められない、という国民が大多数をめている。


 反面、帝国では魔術が一般的に広まっている。実際に魔術を使える者は多くなく、戦力として利用できる魔術師となるとさらに少数らしいが、過去、長年続いた戦争では王国は魔術師の存在に苦しめられてきた。


 現在の皇帝、ラウもまた魔術師らしい。


れられた際に感じたあの変な感覚、魔術が関係しているのかしら)


 トリアは魔術に対して悪い印象いんしょういだいていない。が、何分未知の存在なので、まずはどんなものなのか知りたい。可能であれば戦力として欲しい。


「今すぐに帝都までの送迎そうげい準備をいたします。きたない場所で恐縮きょうしゅくですが、砦の一室へご案内いたしますので、そちらでしばしお待ちいただければ」


「あ、大丈夫よ。わたしは一人で行けるから」


 軍人が「は?」と目を丸くする。表情がくずれると一気に若く見える。


 帝国を訪問する予定は晩餐会から一月後だった。だが、帝国側の予定に合わせれば、豪勢ごうせい送迎そうげいが用意されることは明白だ。だからこそ、早く国境を訪れることにした。


 とっととあの家を離れたかった、というのも大きな理由の一つではあるが。


(見世物にされるのは、あの晩餐会だけで十分だもの)


 しかも、供も迎えもいない状態ならば、城に向かうまでの間、自由に帝国内を見て回ることができる、という算段もあった。


「あそこにいる馬を一頭借りてもいい?」


「はい、馬をお貸しするのは一向に構いませんが……え、馬?」


 混乱する軍人の横を通り過ぎる。国境を越え、足早にうまやへと近付く。数十頭いる中で一頭、最初に目が合った白馬に決めた。


 あらかじめ帝国の地図は確認してある。国境から南西へと続く街道は、帝都バランジース、そして皇帝のいる帝城へと続いている。


 皇帝の婚約者が一人で現れ、しかも馬に乗って勝手に帝都まで向かおうとしているという突然の事態に、心身共にきたえられた軍人でもおろおろとあせっている。


「お、お待ちください! すぐに陛下へいかに連絡し、しかるべきおむかえを――」


「皇帝陛下には遅くても五日程度で城に到着とうちゃくするって伝えておいて」


「わかりまし、いえ、だからそうではなく! 帝都に続くこの街道は現在通行が……!」


 白馬にまたがったトリアは、あわあわしている軍人たちを横目にけ出す。さすが軍の馬、きちんと訓練がなされている。


 トリアは生まれてから一度もノエリッシュ王国から外に出たことがない。だから、これが初めての外国だ。初めて母国以外の国へと足をみ入れることになる。


 この機会に鍛練たんれんを積み、知識を深め、見聞けんぶんを広めていくことは、せまい世界で生きてきたトリアにとって得がたい経験になる。存分に利用させてもらおう。


「いけません、帝都には北の迂回路うかいろを……!」


 背後から聞こえてくる声は、馬を駆るトリアの耳を素通すどおりして消えていった。


 そして、トリアが帝都に辿たどり着いたのは五日後――ではなく、十日も後のことだった。

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