第二章 はじめましての新生活①



 ララサバル男爵だんしゃくは代々優秀ゆうしゅう騎士きし輩出はいしゅつし、歴代の国王や王族、そして国を守ることを使命として、武力によってさかえてきた家系である。


 当代の主人は言うまでもなく、ララサバル家に生まれた男児はほぼ全員が騎士としての道を選ぶ。女児の場合も、騎士にならずとも最低限の武術は必ず教え込まれるのが慣例だ。


 一族の人間は身体能力にすぐれている。正義感が強く血気盛けっきさかん、がったことがきらいな性質の者が多い。また、だれかを守ることに喜びと充足感じゅうそくかんいだく。騎士はまさに天職だった。


 ノエリッシュ王国は領土りょうどを接する国が多い土地柄、武力が必要不可欠。代々の当主が団長をつとめる王立騎士団は大陸最強の呼び声が高く、長年最前線で国を守り続けてきた。


 与えられる地位も名誉めいよも断り、金銭にも興味を示さない。ただただ愚直ぐちょくなまでに騎士として邁進まいしんし続ける。それが今までのララサバル家の生き方だった。


 トリアの父、アルヴァンス・ララサバルが現当主の座にくまでは。




 晩餐会ばんさんかい騒動そうどうから三日後。


 こしまで伸びた赤髪あかがみを一本にい上げ、飾り気のない白のシャツと細身の黒い上着、耐久性と伸縮性を重視した白の長ズボン、足元にかわ長靴ちょうかいたトリアは、念願の高いかかとで足音を立てながら廊下ろうかを進む。荷物は小さなかばん一つと、腰に差した剣のみだ。


 重苦しい空気がただよ屋敷やしき内に人気はない。とびらが固く閉められた執務室しつむしつ、静まり返った談話室、そして人の気配が微塵みじんも感じられない妹の部屋の前を通り過ぎる。

 かつかつと、重圧感のある美しい靴音が鳴りひびく。


「――トリア!」


 正門を通り抜けてすぐ、前方から声をかけられる。視線を向ければ、よく見知った相手が足早に近付いてくる姿があった。


「ロイク叔父おじさん! え、どうしてここに?」


可愛かわいめいっ子の見送りに来たに決まっているだろうが」


「仕事がいそがしいんだから、わざわざ来なくてもいいのに」


「何言ってんだ。仕事よりお前の方が大事だっての」


 ヒールのおかげで、いつもよりも近い位置にある顔がにっとみを浮かべる。


 百八十を超える身長に、筋肉質のがっしりとした体躯たいく精悍せいかんな顔立ちと短く切りそろえた赤茶色の髪が印象的いんしょうてきなロイク・ララサバルは、かなりの強面こわもてだ。


 太いまゆり上がった目元、いかつい面持おももちで頑固がんこそうな風貌ふうぼうの反面、さばさばとした性格の持ちぬしでもある。あごに残った無精髭ぶしょうひげでながら笑う姿は愛嬌あいきょうがある。明るく面倒見がいいこともあって、一度会話した人間には好かれる人でもあった。


「わたしが今日出発するってよくわかったね」


「お前のことだ、あんな状態の家からは一日も早く出たいだろうと思ってさ」


「さすが叔父さん。それで、あの人の処分は決まったの?」


「一応な。屋敷も財産も、土地もすべて没収ぼっしゅう爵位しゃくい、当主の座も取り上げられる」


 何もかもを失う。父だけでなくララサバル夫人も、そしてクローディアも。


 表向きはおとがめなしだが、実際は謹慎きんしん処分中のクローディアが一番つらい立場に置かれるかもしれない。あんな経緯けいいで第二王子から婚約こんやく破棄はきされ、挙句あげく隣国りんごく皇帝こうていを傷付けている。加えて家も財産もすべてを失う。将来はかなり絶望的だろう。


 とはいえ、家と離縁りえんする立場のトリアができることはない。今後は彼らが少しでも真っ当に、人様に迷惑めいわくをかけず、つつましやかにらしていくことを願うばかりだ。


「じゃあ、次の当主はロイク叔父さん?」


「まさか、冗談じょうだんじゃない。俺は当主なんてがらじゃないさ」


 ロイクは分厚い筋肉きんにくのついたかたをすくめ、楽しそうなみを日焼けした顔にきざむ。


前代未聞ぜんだいみもんのことだが、当主は親父、お前の祖父じいさんが再度ぐことになった」


 祖父はよわい七十。十年ほど前に王立騎士団の団長をめ、同時に爵位を長男にゆずったが、騎士としてはまだまだ現役だ。


「ララサバル男爵家は絶賛ぜっさん貴族連中からの笑い者だぞ。信用も評価も底辺だ」


 重い内容とは裏腹に、ロイクは非常に楽しそうだ。からからと笑い声が放たれる。


 ロイクは兄のアルヴァンスとは十歳以上離れており、現在は三十なかば。王立騎士団の副団長をつとめるかたわら、王太子の護衛ごえいになっている。武術にすぐれた豪傑ごうけつで、トリアにとって剣術や体術全般ぜんぱんの師に当たる。


「お祖父様も最初からあの人に爵位を譲らなければよかったのに」


「そういうわけにもいかないだろ。あんなんでも一応長男だからな」


「でも、騎士でもなければ、王立騎士団の団長でもない」


 当主には相応ふさわしくない、と続ければ、ロイクは苦笑しながら太い眉を下げる。


 アルヴァンスは歴代の当主とはまったく違う。騎士へのほこりなど一切ない。お得意の口八丁くちはっちょうで王族や他の貴族に取り入り、挙句のてにはララサバル夫人と結託けったくし、二人のむすめを使ってさらなる地位と名誉めいよ、金を求めようとした。


「時間はかかるだろうが、いずれ本来のララサバル男爵家の姿に戻るはずさ。で、諸々もろもろ落ち着いたら、お前の兄貴のどっちかに当主をがせる予定だ」


 トリアには年の離れた兄が二人いる。二人とも騎士だ。一番上の兄はあやしい動きが見られる北方の国境こっきょう付近へ遠征えんせい中。もう一人は留学中の第三王子の護衛ごえい役を任されている。


 二人は父とほぼ絶縁ぜつえん状態だが、トリアに会うため頻繁ひんぱんに屋敷へと足を運んでくれていた。今回の件で手紙を出しておいたが、それぞれの手元に届くのは時間がかかるだろう。


 ロイクは不意にみを消すと、真剣な面持おももちでトリアを見る。


「本気で帝国に行くつもりなのか?」


「ええ、他に行く当てもないからね」


「トリアは一度こうと決めたら頑固がんこだからなあ」


「そんなことないよ。結局、深窓しんそうのご令嬢れいじょうあきらめちゃったし」


「お前は十分頑張がんばった。シンシアさんもわかってくれるさ」


 八歳のとき、実の母がくなった。父のことを頼むと、そう死にぎわに頼まれた。だから、父の望む通り深窓の令嬢として生きようと頑張った。


 その一方で、騎士の道をあきらめることもできなかった。


 母が亡くなるまではトリアも武術の訓練を受けていたが、父が現在のララサバル夫人と再婚してからは固く禁じられた。しかし、トリアは父たちの目をぬすみ、ロイクからずっと手ほどきを受け、一人で訓練を続けてきた。


 腰に差した剣のつかに手を伸ばす。ロイクがトリアのために用意してくれた剣だ。父たちには見付からないよう必死にかくしてきた。


「わたしは騎士になりたい」


 令嬢として家のために結婚するのではなく、家柄も性別も関係なく、大切な人を守れる人間でありたい。


 なめし革が巻かれた柄をにぎると、自然と背筋せすじがぴんと伸びていく。


「だから、経緯けいいはどうあれ、まずは帝国で騎士として頑張ってみようと思う」


 どうせ行くのならば前向きに、明るく過ごしていきたい。そして、理想とする騎士の姿に近付けるよう努力したい。

 自分らしくぐに、後悔こうかいのない道を歩めるように。


「まあ、皇帝こうてい婚約者こんやくしゃ、っていう肩書きがもれなく付いてくるのは困りものだけどね」


 冗談じょうだんめかしてそう続ければ、強張こわばっていたロイクの表情が幾分いくぶんやわらぐ。


「お前なら絶対にいい騎士になれる。師匠ししょうの俺が保証してやるよ」


「ありがとう、ロイク叔父さん」


 おそらく帝国側は、トリアが本気で騎士になろう、と思っていることなどまったく予想していないだろう。


(あの場限りの適当な言葉だったのかもしれない。でも)


 言質げんちは取ってある。加えて条件も出した。もしトリアが騎士であることを否定ひていする言動を皇帝がしたら、迷わず婚約こんやく破棄はきすればいい。


「それに、帝国に行くことは『あれ』を調べる千載一遇せんざいいちぐうの好機になるでしょ」


「皇帝の婚約者という立場なら、王国の人間でもかなり自由に動けるはず、か」


「ええ。叔父さんとお祖父様には色々気にかけてもらって、本当に感謝している。だから、やれることはやってみるよ」


「正直なところ、お前の申し出はありがたい。だが、絶対に無理だけはするな」


「心配しないで。どうしようもなくなったら、一目散いちもくさんげるつもりだから」


 勝機が見つからない場合は、とにもかくにも撤退てったい。それもロイクの教えだ。


「何かあればすぐ戻って来い。俺も親父も、ずっとお前の味方だからな」


 ロイクが差し出した大きな手を、トリアは両手でにぎり返す。ごつごつとした無骨ぶこつな手はとてもあたたかい。トリアの手を優しく包み込んでくれる。


 無言で見つめ合うこと数秒、固く結んでいた手を離す。


 ロイクが用意してくれていた馬に乗り、トリアは長年住んだ屋敷を後にした。一度も振り返らず、街道を進む。


 目指すは国境こっきょう。そして、夜の精霊せいれいの国と呼ばれるキールストラ帝国だ。

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