第一章 深窓の令嬢にさようなら④
冷えた
「――うぎゃあっ!」
と明らかに
「……うぎゃあ?」
「し、失礼いたしました。けん、お、いえいえ、つい驚きで悲鳴が」
(……やっぱり、ただの一般人が
ここは
なけなしの理性を総動員し、どうにか悲鳴を上げるだけに
若き皇帝は
(落ち着け、わたし、ここはまず深呼吸よ……ふう。えーと、この人が二年前に皇帝の座に
相手が皇帝ならば、ルシアンの態度にも納得がいく。いくらこの国の第二王子でも、
「君にとって、決して悪い申し出ではないだろう。私はあそこにいる青二才よりは地位も経験もある。言うまでもなく金銭的な面でも
足元の
トリアが生まれ育ったノエリッシュ王国は、
商業が
ただし、豊かで恵まれた国だと言われる反面、
広大な領土を有するキールストラ帝国は、王国の西側に位置する。高い山々に
王国と帝国は現状では良好な関係を
「不自由な生活は絶対にさせない。私にできることならば、君のために何でもしよう」
皇帝とルシアンは共に十九歳。同じ
「ですが、わたしは先ほど第二王子から
「破棄したのだから何の問題もないだろう。私ならば、あの見かけ以上に中身の小さいぼんくらなんかよりも、君の価値を正しく判断できる」
ぼんくら呼ばわりされたルシアンの顔は、もはや常の美しさは
「第二王子の妻よりも皇帝の妻、
ラウが軽く首を傾げると、シャンデリアの
トリアは無言で
「何が目的ですか?」
「目的? さて、どういう意味だろうか?」
「あなたはわたしのことをヴィットーリア・ララサバルではなく、トリアと呼びました。先の
「わたしはもうララサバル
ふっと、ラウの口から
「わたしと
ララサバル男爵家の令嬢のままだったとしても、利益は一つもない。
「
ラウがぐるりと周囲を見渡せば、広間にいる人間のほとんどがぐっと押し
「わたしの質問に答えてもらえますか?」
「そうだな、君は
「信じません。先に断っておきますが、運命とか前世とかもくそくらえ、ですね」
「命の恩人だから、でもダメか? 自分のために戦う姿に心打たれた、とかは?」
「どちらもダメですね。そんなもので自分の妻、帝国の皇妃となる人間を選ぶんでしたら、わたしにとってはあそこにいるぼんくらと同じです」
目の前からはっきりとした笑い声が放たれる。口元に手を当てて笑う姿は、耳にしていた数々の
(……実の父親を殺して皇帝の座を
王国内での若き皇帝に対する心証は非常に悪い。彼が即位して間もない頃、青二才と
噂を噂のまま信じるつもりはない。トリア自身が妹によって流された悪意のある噂に長年苦しめられてきたのだから。やれ裏ではか弱い妹をいじめているとか、やれ実際は
「はは、
ラウは
「私には君が必要だから。君でなければ私の妻にはなれないから。それが理由だ」
まったくもって意味不明だった。
問い返そうとしたトリアの行動を
「君にも私が必要だろう?」
トリアの内心を
「私の妻となれば、そこのぼんくらに対する
開く途中だった口を固く引き結ぶ。トリアは両目を閉じた。そして、力強く開くと、もはや作り慣れた
「皇帝
「そうだ、子どもは何人欲しい?」
「……は?」
愛想笑いがぴしりと固まる。
「ああ、すまない。その前にまずは
ぞわっと、握られた手から全身へと鳥肌が広がっていく。
「私は最低でも三人、できれば五人は欲しいと思っているんだが」
「…………」
「
ラウは一人で楽しそうに話し続ける。対するトリアは
「最初は男の子、いや、女の子でもいいな。君に似れば、とても活発で明るい子になるだろう。ああ、今から楽しみだ」
いくら絶世の
振り上げた右足のかかとを、
だが、面食らった様子の相手に
息を
トリアは勢いよく頭を下げる。
「ご
顔を上げたトリアの前で、水をかけられたラウは
「出会ったばかりで婚約もしていない、
黒髪から水が滴り落ち、
(顔のいい人はすごく得だな……って、そんなことを考えている場合じゃなかった)
第二王子に暴言と暴行を加えた
(つい頭に血が
冷静に考える前に、
しばしの重い
「ああ、その通りだ。君の言うことが正しい」
トリアは驚いてラウを見る。そこには想像していたような
「あまりにも
一国の頂点に立つ男が、ただの小娘の言動に頭を下げて謝る。もはや
ぽかんと口を開けるトリアの前で、ラウは水を吸った前髪をかき上げると、色気が何割増しにもなった顔に笑みを
「許して欲しい。君と結婚し、幸せな家庭を作りたいという気持ちが強すぎたようだ」
まったく心が動かなかった、といえば
とはいえ、トリアに結婚する意思などない。
もう一度
「……何でよ」
声の
「どうしていつもあんたの方が認められるのよ! お兄様たちもお
悲鳴のような声が放たれる。ここでようやく、トリアは妹の真意に気付いた。
(クローディアが本当に欲しかったのは、兄や
近くのテーブルにあったナイフを
トリアにとっては逆上した妹の
だが、一つだけ
(まずい、この体勢だと……!)
クローディアはもはやすぐ
迷ったのはほんの一瞬、トリアは痛みと
(刺されるとしたら右の脇腹。
武器はテーブルナイフ。刃渡りは短く、切っ先も
こんな男に関わらずとっとと
その表情に疑問を
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