2話 脱兎のごとく

 暗い洞窟を逃げ続ける、背後には激怒したミノタウロス。 さらに恐ろしいことにこの逃走劇には明確なゴールが存在しない。 何故ならば、俺は出口に向かって走ってるのではなく、奥へ奥へと洞窟を駆け抜けているからだ。 狭い通路で奴の横をすり抜けるほどの身体的能力も度胸も俺は持ち合わせていない。


 さて、現状だ。こんな俺がミノタウロスを振り切れるはずもなく、奴は俺の首に死の斧を掛けている……なんてことは、我ながら意外なことに無かった。


 俺もダンジョンを深くまで潜ったことは知らなかったが、どんどんと道が狭くなっていくみたいだ。 奴の巨体では、腰を曲げて走らざるを得ないほどには窮屈な道。 さらに仲間が死んで絶望的だと言うのに、どうしてか俺の身体は軽い。 今までにないほどに快調。逆に言えばここまでの好条件が揃っても、俺と奴との距離は縮まりも遠ざかりもしていないというわけだ。


 ギルドに貼ってあったダンジョンの地図を思い出す。確か洞窟エリアである一層から二層へと降りる通路は全部で五つあったはずだ。


 鞄の中には地図があるのだが、あいにくその鞄はミノタウロスと遭遇した時点で置いてきてしまった。だが打つ手無しという訳でも無い。


 この『龍頭の迷宮』と呼ばれるダンジョンは、共和国の中、いや人類国の中で最も開拓が進み、最も初心者向けとされているダンジョンだ。それゆえ、壁には先達の冒険者が残した印が多く描かれており、その印に従って進めば二層への通路、その印を逆に辿れば出口に到達することが出来る。


「グォォ゛ォォ!!!!」


 魔導列車のようなミノタウロスの雄叫び、奴が地を蹴る度に天井から降る小石、それら全てに背筋が凍る。背後にぴったりとくっつく死の匂い。


 こんな思考を放棄したくなるほど絶望的状況でも、俺が正気を保ってられるのはさっきから壁に赤で描かれてある矢印と文字のおかげだ。


 『この先、二層』と、矢印しか描かれていないがそれでも心の支えになる。それに道も狭くなる一方だ。このままなら逃げ切れる! そう俺が勝利の可能性にほくそ笑んでいると、途端に後ろが静かになった。


 ミノタウロスが立ち止まったのだ。


 なぜ!? 諦めた? 俺が走りながら後ろをチラチラと振り返って伺えば、なぜ奴が立ち止まったのか理解出来た。もう奴が入れるほどの広さは無いんだ。


 気付けば、洞窟の天井は俺の頭スレスレぐらいにまでなっており、巨体の奴にとっては俺は決して届かない高嶺の花になっていた。

 だが、それでも奴はどこまでも狡猾で、それでいて俺の思考の外の存在だった。


「はぁっ!?? 」


 俺は奴が次に取った行動に目を疑い、それどころか驚きが声に出てしまう。だがそれも仕方ないだろう。諦めたと思っていたミノタウロスは、突如魔法陣を眼前に展開し大振りに斧でくうを思いっきり斬ったのだ。


 空振り!? ってか魔法? 魔物が? 魔法ってことは空振りじゃなっ……


 思考が慌てて加速する最中迫り来る斬撃の衝撃波、その到達点に気付いた瞬間、一気に血の気が引いていくのが自分でも分かった。


 この狭い狭い洞窟の天井に勢い良くぶつかった衝撃波は亀裂を生む。その亀裂は力を逃がすかのように、真っ直ぐにこちらに延び続ける。


 そう、奴の狙いは崩落による生き埋めだ。


「それは、ダメだろぉぉぉ!!!!」


 全 力 疾 走走らなければ死ぬ!


「スキル<逃亡>! スキル<疾走>! スキル<軽量化>!」


 俺が持っている情けないスキル、そのすべてを多重発動させる! 後のことなんか考えてられるか! 今、全てを使い果たす!


 三つのスキルの効果のおかげで、さっきよりも3倍ほどの速さで洞窟を駆け抜けることが出来る。が、それでも崩落の速さから逃げるにはギリギリだ。このままならこっちの体力が先に尽きる。


 が、勝利の女神は最後にこちらへ微笑んだ!壁の『あと十五歩ほど右、二層への穴あり』という文字が目に入る。


─── 勝った!


 勢いもそのままに誰かが残した赤い矢印に従って、人ひとりがギリギリ通り抜けられる程度の穴に飛び込む。


「はぁっ、はぁっ……くそっ、危なかった……」

 

 俺のつま先が完全に穴に入ったのとほぼ同時に、崩落した天井が穴の入口を塞いだ。あと数コンマ秒遅ければどうなっていたことか。信心深くない俺も珍しく女神様に感謝する。


 穴の中は滑り台のような構造で、ズルズルとゆっくり下に落ちていく。


 この道からは一層に戻れなくなった以上、二層を探索して一層に戻る道を探すしか無いが、二層の魔物はCランクとは言え、厄介な特性を持つものが多い。毒消しが入っているカバンを置いてきたことが、俺を憂鬱にさせた。


 だが、生き残った。ミノタウロスから俺は生き残ったんだ。

 下へ下へと降る穴を滑り落ちながら、俺は生きていることの喜びを噛み締めていた。

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