第55話 う◯ち泥棒


 静かな朝霧が揺れ動く都市<ボンペイ>の下町の風景。

 ゴツゴツした石畳の道を、人力で引く荷車の車輪の音だけが響き渡る。

 そこには、白い祭服を身にまとった女性たちが、一軒また一軒と民家の前で停まり、その扉を叩く様子があった。


 「おはようございます! ゴミ回収に参りました!」


 彼女たちが元気よく挨拶をすると、家の中から夫人が出てきて、大きなゴミ袋を手渡す。その袋を白い祭服の女性たちは、荷台に積み上げていた。


 「ご苦労様。いつも本当に助かっています」

 

 夫人はそう言いながら白鳥の形をしたようなおまるを渡し、新しい物と交換する。

 この活動はカミヒト教の信徒が各家庭を訪れ、ゴミやおまるを回収する公共事業であり、いつも通りの朝の光景であった。


 「ご利用ありがとうございます。ついでに”衛生グッズ”はいかがでしょうか?」

 「ちょうど切らしていたところなの……」

 「ありがとうございます。銅貨5枚です」

 「いつも安くて助かるわ、また利用させていただくわ」

 「はい、その際はよろしくお願いいたします。次の訪問は一週間後になります」


 釣銭と商品を受け渡し、次の民家へと向かおうとした―――時だった。

 

 「――――――!!!?」


 突如、物陰から現れる数人の怪しい男達。

 そして彼らは瞬く間に女性たちを取り囲んでいた。

 

 「な、なんですか……貴方達は……」

 「騒ぐな……」

 

 男の一人が荷車を奪おうと手を差し出すと、女性たちは必死に抵抗する。

 

 「やめて下さい!! 何をするのですか!!?」

 

 男達は乱暴にその女性達を荷車から引きはがし、突き飛ばす――辺りは揉み合いになっていた。


 「この女! 大人しくしないなら……容赦しねぇぞ!!」

 

 男達が懐から取り出した鋭い刃物。一瞬にして緊迫した雰囲気が漂い、反射する刃物の冷たい光が女性たちの顔に恐怖を映し出していた。


 その瞬間――。


 「おい! そこで何しているんだ!!? お前たち!!」


 どこからともなく響く野太い怒声。それは、この異変に気づいた兵士たちの声であり、重い金属音を立てながら近づいてきた。


 「やべぇ、領主の衛兵だ! 逃げるぞ!!」


 その怪しい男達は荷車の強奪を諦め、荷台の上のおまるを数点だけ抱え込み……。


 「泥棒! 誰かー!! その泥棒を捕まえて!!」

 

 そして、一目散に逃げ去ったのだった。

 

 

 

 

 ◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇


 


 

 <レサエムル村>の執務室。その密やか一室で俺とマリー、フィデスの三人は当の本人から事の一部始終を聞いていた。

 このような事件が同時期に異なる場所で複数発生していたのだった。

 

 「教祖様……申し訳ございませんでした……」


 被害者の一人である女性が涙を流しながら深く頭を下げる。

 

 (いやいや――)

 

 その光景に、俺は困惑させられていた。

 

 「……私が……もっと……注意していれば……」


 震える唇を噛みしめる。やっと手に入れた職場で取り返しのつかないことをしてしまったという雰囲気が漂っていた。

 

 「大変申し訳ございませんでした……」


 悲痛な表情を浮かべ泣き崩れる姿に思わずフィデスが寄り添う。


 「大丈夫です。これは決して、貴方のせいではないのですから……」

 

 きっと、第三者の視点から見ると、これは大事件の被害者のように見えるかもしれない。

 しかし、これは彼女がそこまで大袈裟にするような物ではないのである。

 

 「……でも、は……教主様の……大切な……」

 

 違う。断じて私の大切な物ではない。


 「やはり……私は解雇されるのでしょうか……?」

 「そんなこと、カミヒト様が仰るはずがありません……ね……」


 そうだ、その通りだ。

 だって……盗まれたのは人糞うんこだからね。


 「……聖神女様……」


 参ったな……。

 

 ただの人糞うんこがここまで重要視されるとは。

 

 まるで俺がどこぞの馬鹿な指導者みたいではないか。

 何か気の利いた言葉をかけなければ……。

 

 「兎にも角にも……君が大事なくて良かった……こちらは大丈夫だから、今日はゆっくり休みなさい」

 「ああ……教主様……こんな、わたくしめにもったいないお言葉を……」


 涙を浮かべながら感嘆の声を漏らす信徒。

 俺はその眉を顰める。

 

 本来、従業員たちの安全で安心な職場環境を整えるのも社長の責任である。そう、これはこちら側の過失であり、彼女には全く非がないのだ。ましてや、文句を言われてもおかしくない状況だが、この過剰な反応はどうだろうか。まるでブラック労働の末に完全に洗脳されてしまった社畜のような構図ではないか。


 「さあ……立ってますか? 皆さんのところに一緒に行きましょう」

 

 こうして、その場に項垂れる彼女をフィデスが支え、二人は「失礼します」と部屋を後にするのだった。

 

 扉が閉まり、俺は深くため息をつく。

 

 これは明らかにヴァセリオン教団の仕業であり、完全に私のミスである。


 まさか、教団がこれほどまでに強硬な手段を取るとは……私の考えが甘かった。

 各家庭への訪問販売を行う際、女性たちに接客を任せるべきだと人員を配置したのが完全に裏目に出てしまった。

 

 幸いな事に今回は酷い負傷者は出なかったが……。


(今後、従業員達に及ぶ危険が増えるかもしれないな……)

 

 私は古風ながらも荘厳な書斎の机に肘をつき、静かに隣に寄り添う漆黒の祭服を着た女性に意見を求めるのだった。

 

 「マリー……」

 「はい、すでにすべての公共事業、訪問販売は一時中止しております。念のため、アレク様率いる冒険者の皆様には旧スラム街で待機していただき、信徒たちの護衛をお願いしています。また、ティム様は領主様の元に戻り、都市内の警備強化と更なる兵達の連携を相談していただいております」

 

 実に迅速かつ見事な対応。

 俺はその声に感心しながら静かに頷く。


 (さすが彼女だ)

 

 マリーの話によれば、今回被害に遭った従業員たちの安全は確保され、その後の対応も協議されているとのこと。今後、ゴミ回収の公共事業を含むすべての事業には、私たちの村から護衛兵を同伴させるように指示が出されていた。

 

 各事業をおこなう従業員達の警備を強化する。

 未だ、村の警備兵の人員不足は解消できていないのだが……この際、仕方がない。これは優先事項だった。

 

 「しかし……今回の一連の騒動……まずいな」

 「ええ……これは私達への明確な妨害行為です」

 

 問題は教団の動きである。

 ここにきて、明らかにこちらに照準を合わせてきているように感じる。

 

 そして、あのクソ神官、教団の事だ。

 今後は更に暴力的な行為になることも想定した方がいい。

 

 しかし、主導権は常に向こう側に握られている。

 よって、いつ? どこで? どのように攻撃してくるかは、こちらからは推測できないのだ。

 

 「ますます、動きにくくなるな……」

 

 この国におけるヴァセリオン教団の権力は絶対的であり、非常に強大である。

 それはこの辺境都市<ボンペイ>においても同様である。

 今後、都市内で何らかの事業を行う際には、ほぼ必ず障害となるであろう。


 唯一の救いは、<ボンペイ>の領主 サンジュ=ルクモレン伯 がこちらの味方であるということ、だが……。


 「これも領主からの報告を待ってから再考するしかないかぁ……」


 

 

 ◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇


 

 


 数日後、領主との連絡役であるティル・ニクソンが領主の城<イシスール城>から戻ってきた。

 

 普段と変わらぬ、白銀の髪と身なりの整った執事服の老紳士。しかし、その表情はいつもよりも厳粛なものであった。


 「ティル さん? 何かあったのですか?」

 「……カミヒト殿、少々ご相談があります……」

 

 そう言って、ここ最近の都市であった事を話し始めるのだった。



 

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