第53話 俺のリピドーは、もう爆発寸前


 気になる……。


 <レサエムル村>旧領主邸の執務室。

 いつも通り俺は……書類の山と格闘していた。

 

 目を通す書類越しにちらりと視る金髪、純白の祭服。


 「お茶をどうぞ♪」

 

 そこには鼻息交じりでお茶を淹れるフィデスの姿があった。


 そう、今日は画家の青年 オルレド・ナチヴェンがこの村へと来る日。

 そして今まさにアレヌードデッサンが行われようとしているのだった。

 

 (駄目だ! もっと早く!)


 あの……漆黒の祭服に遮られた、陶器のような白い肌に――曲線美ボディライン

 

(この仕事を切り上げねば……)

 

 それがあの天才によって写実的にありのまま描かれる――。

 

 俺はその邪念を駆られながら、いつも以上のスピードで書類に目を通し判を押していく。

 

 (……密室の中で男女二人きり……それもあのエロ餓鬼オルレドの事だ、もしかしたら、今頃……マリーに……あんなことやこんな事など……いかんぞ!これは、村の責任者として是非、覗き……いや、監視しなければならないのだ。そう、これは決してマリーの裸を見たいという事ではない! ……断じてないのだ!)

 

 「本当にどうかされたんですか? カミヒトさん?」


 「ぬぁあ”あ”ああぁあ”あああああああ!!!?」


 気が付くと――こちらを覗くフィデスの綺麗な顔が近くにあった。

 

 「な、な、な、な、なーでもないです」


 不思議そうにこちらを覗きこむ、彼女の澄んだ目。

 まるでこちらの不埒な考えを見透かされてしまうようで……俺はその視線を逸らす。

 

 しかし、時すでに遅し……。

 

 彼女は一瞬、眉を顰め……。

 そして微笑むのだった。

 

 「ねぇ、カミヒトさん……私に隠していることはございませんか?」


 優しい口調であるが……。

 

 「――!!? ナンノコトデスカ?」


 何かを察した、そんな視える笑顔。……それが妙に怖い。

 

 「そういえば……今日ですよね……」


 思い出したように、唐突に投げられた言葉。


 「画家の方がいらっしゃるのって……」

 

 それに俺は一瞬、固まってしまっていた。

 

(彼女には、この日の事は言っていない……知らないはずだが……)


 「一体何を……隠しているのですか?」

 

 思わず、ビクッ! と震わせてしまった肩。

 その反応がトドメダウトだった。


 「本当に……本当に……何もないのですか?」


 ――徐々に不信感に染まる彼女の表情。その眼光が鋭くなっていく。

 

 「ないない! 神に誓って何もないですよ……」

 

 (これは……バレている……のか!!?)

 まるでゆっくり心臓を撫でられるような間に。

 

 「……そんな……あるわけないじゃないですかー、はぁははははははは!!」


 ――俺の額から大量の汗が噴き出す。

 

 「……はぁ……どうして……」


 その様子を察したのか……彼女は深いため息を漏らす。


 「正直におしゃって下さらないのですか?」


 そして、彼女の眼がこれでもかというくらいに大きく見開かれ……。

 

 「ねぇ……どうして?」

 

 ――ギョロリとこちらをむくのだった。


 うわぁああ”あ”あああああ!!!!!

 

 怖っ! 怖っ過ぎる!  

 バレている! これは確実にバレている!

 こんなの……もはや、ホラーだよ!!


 (ま、ま、待て! 神人よ冷静に、まずは落ち着くのだ。これはそもそも彼女には関係のないこと――)

 

 それに今日のノルマは終わった。

 

 俺は横目で、部屋の扉を確認する。

 

 (そうこれは、別にやましいことではない……そう、村の責任者として新しく来る住人に挨拶に行くだけなのだから……)

 

 ここは一時撤退だ。

 

 俺は意を決して席を立ち上がる。

 そして「ちょっと……トイレ行ってくるか……」と一言残し、部屋を出るのだった。


 しかし。


 「……あれ? フィデスさん……?」

 「――はい。なんでしょう?」

 「なんで、ついて来るのですか? 本当にトイレだよ?」

 「――はい、それがなにか?」


 俺の後ろを黙ってついてくる彼女。その眼は相変わらず冷ややかなもので。

 その姿からは確かな圧を感じる。


 (これは完全の監視マークされている……)


 「うーん、気分転換に外の空気でも吸いに行こうかな?」

 「――ええ、お供します」

 「いや……でも、フィデスさんも一人になりたい時って……」

 「――ありません」

 「たまには……」

 「――ありません。トイレは、よろしいのですか?」

 「……」


 終わった……。

 なぜだ! なぜ?

 俺だけいつもこうなるんだ……。

 

 この世界は美男美女だらけの世界。

 最初は俺もちょっとは期待したよ。

 ひょっとしてと春が訪れるのではないかと、そう思っていた時期もあった。

 しかし現実は甘くなかった。

 

 村の女性達は俺を見ると、慌てて拝礼し、目も合わせてくれない。

 それどころか一歩引くように接するのだ。

 

 なぜだ……俺が彼女いない歴=年齢の三十四年のおっさんだからか?

 

 しかもそれに比べて……冒険者 アレクさんや警備兵隊長 ユーグルの村の女性達はキャーキャーと言われている始末。


 ずるいぞ! なんで神はこんなにも不公平なんだ。

 

 俺は長い廊下で立ち止まり、天を仰ぐ。

 

 俺は悪徳宗教の息子というレッテルと、この性格せいで、恋人どころか、友達一人いない散々な青春時代だった。

 そうだよ、ちょっとぐらい……ヌードデッサンくらい見たっていいじゃないか……。

 

 そして、深く息を吸い、吐く。

 そう、俺のリピドーはもう爆発寸前だったのだ。

 

 「あれ? なんだろ……」


 俺が窓の外、何もない空を指さす――。


 「……? どこですか?」

 

 すると彼女の視線が逸れた。


(今だ!)

 

 「――あっ!?」

 

 瞬間、俺は一気に走り出す。


 「どこに行く気ですか!!!」


 ――階段を飛ぶように降り、転がるように着地。急いで立ち上がってはすぐに走る。

 

 「――待って下さい!!」

 

 無我夢中で走る最中、後方を確認。――純白の祭服の裾を捲り、金色の髪を靡かせ、全力で追いかけて来る彼女フィデスの姿。

 

 ってか……足早っ!!


 「誰か! 教主様が逃亡されました。捕まえて下さい!」


 (俺はお尋ね者扱いかっ!)


 護衛の兵士がぞろぞろ集まり、行く手を阻む。


 「お待ちください! 教主様!」

 

 俺は、それを振り切り――勢いよく外へと繋がる扉を開ける。


 (どいてくれ! 俺はただ……)

 

 ――流れる街並みを駆け抜け……。


(ヌードデッサンが見たいだけなんだぁぁああ”あ”あああああああ!!)

 

 人生で一番の全力疾走をする。

 その角を曲がり――狭い路地を駆け抜け――追跡を撒くように、とにかく走る、走る、走る。

 

 辛い! おっさんにはこの全速力のダッシュは辛過ぎる!!!


 そして次第に、後ろから聞こえていた声は徐々に小さくなり……。俺は無事、追手を撒くことに成功したのだった。

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