読書感想文が嫌いだった話

 小学生の頃、読書感想文とかあったじゃないですか。


 あれって本当に苦痛で、もともと児童文学みたいなものを読む機会は一応あったにもかかわらず、その時は本を読むこと自体が嫌になってました。


 まじであれ、何なんですかね。


 中学生以降は読書感想文はこう書けば良いみたいな法則を知って、そのテンプレに当てはめれば良いだけだと分かったので他のしょうもない課題レベルまで嫌悪感は落ち着きはしました。


 でも結局、やっぱり意味分かんねぇなと。


 テンプレに当てはめた方が良い、なんなら当てはめなければ高得点は取れない感じじゃないですか。


 自分でどうやってテンプレに当てはめるのかって訓練なのかもしれませんけど、それなら最初からそういう授業というか課題にしてくれと。


 感想なんて「つまんなかった」「苦痛だった」でもう終わりだろうに。


 時には感想を共有したいこともそりゃありますけど、それって共有したいという感情ありきなんですわ。


 『課題』というそもそも億劫になることで強制的に読書をさせるんだから、無理よ。むりむりかたつむり。


 あなたにとって、一番話したくないこと及び話していてつまらないことについて、原稿用紙に書きなさい。みたいな感じ。徹頭徹尾嫌がらせとしか思えません。


 何の意味があって、あんなもんやらせるんだか。


 調べてみると、予想通り「本に親しむ機会を作り~」「人間性の豊かさを~」「文章の表現力を~」とか。


 正気か?


 あれのせいで長い間本を嫌いになったし、捏造した感想を書かなければならず鬱々とした日々を送ったし、そんな状態で表現方法なんて考えもしなかった。


 こうして文章を読んで書いてを自発的にしていることから分かる通り、今の状態なら読書感想文をする意味もある。楽しさも分かる。

 でもそれは今の話。


 なんなら、クソみたいな授業から長期間離れることで、ようやく触れることに抵抗が薄れたから。呪縛から解き放たれたからこそ楽しむことが出来ている。


 私の周りのそこそこ年配の方でも、文章が大嫌いという人がちらほらいる。漫画でさえ文字数が多いのは嫌いだとか。

 理由を聞いてみると、全く納得がいかないんですよ。

 でもそれって、"今"の私は文章の魅力が分かるからこそ。


 それこそ小学生の頃に掛かった呪いから抜け出せないままだったら、きっと同じようなことになっていたんだろうなと思う。


 そんな風に軽く上から目線で語っている私でさえ、もしあの悪夢のような時間がなければと考える。


 きっと、もっと早い段階から本や文章に対して積極的に活動をすることもあっただろうなぁ、勿体ない時間を過ごしたなぁと、悔やんでしまう。

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