第8話 謝辞
雨が降って、力の差は示された。心地よい雨の中、場は冷静を取り戻して、ようやく事は進む。
ほぼ見捨てられていた八千代が幸いにして、治療にあり付けたあと。アルヴァトは交渉を断りはしたものの、最初から人々の意向に従うつもりだったと語る。それも、無条件で、だ。だから、交渉の場を設けられても仕方がなかったわけである。結果、早とちりと混乱を招いてしまったのは、反省するべき点として考えたのか、代表者たる石田から謝罪を受けるに当たって、誤解を招いたと頭を下げた。
そして、恐る恐る東京都千代田区にある探索者協会の本部に同行してほしいと頼まれると、春乃含む六名のS級戦力に囲まれながらヘリコプターで夜空を飛んだ。
風呂、トイレ、ベッド……それらが揃った白い部屋に至るまでは、そう長くなかった。なんと言っても、ヘリコプター内の空気が張り詰めていて、会話がまるでなかったのだ。精々初対面ならば、自己紹介をする程度。アルヴァトは一生懸命に外ばかり見ているし、実に静かであって、時間が過ぎるのは早かった。
探索者協会内部にて、エレベーターは地下に向かう。B1、B2と数字が増えていく中、アルヴァトは初めてのエレベーターだからか、年相応の子供みたいにそわそわしていた。やがて、B5階で降りて、伸びた廊下のすぐ手前にある扉を開けると、連れ添いの完全武装した兵士のひとりが言う。
「到着しました。この部屋で朝まで待機していてください」
「分かった」
「七時にはお迎えに上がりますので。もしもなにかあれば、外で待機している者に一声おかけください。では、のちほど」
ひっそりと扉が閉まる。窓のない部屋にひとり残されると、ベッドに転がって、全身から力を抜いた。アルヴァトもまた、多少なりとも気を張っていたのである。目覚めると、話に聞いていた地球にいるとは、思ってもみなかったからだ。また、再び目覚めたのすら、予想外の事態だったのもある。
手を天井の電灯に掲げて、目を細める。
「
あのマリアオルトが施した封印は、並大抵の方法では解けないはず。だから、解けてしまったのには、必ず理由がある。しかし、考えるだけ無駄であろう。彼女の魔法をアルヴァトが解明するには、足りないものがあまりに多い。案外、すんなりと解ける代物だった可能性も、なきにしもあらずなのだから。
一晩経ってからの予定は、いわゆる情報提供。懇談会と石田は言っていたものの、彼らが最も求めているのは情報だ。以前ならば、人間ごときにくれてやるかと突っぱねていたに違いない。だが、相手はマリアオルトの同族たち。邪険に扱うことは心情からしてできやしないし、そもそもする意味がない。人間を嫌悪していても、よく知らない異世界の住人にまで冷淡に接する理由はないからだ。
もっとも、ヘリコプターに乗る直前、肩を組んできた糸目の男につい『触るな!』と怒鳴り、振り払ってしまったが。その咄嗟の行動がゆえか、少々怯えさせてしまった。
アルヴァトは息を吐いて、これからを思い描く。
「
◇
「時間です」
ノック音と声に、閉じていた目蓋を持ち上げ、間髪入れず身体を起こす。朝が来たのだ。人ひとりが寝ていたのにもかかわらず、一切変わっていないベッドから降りると、アルヴァトは「ああ」と短く返事をした。すると、扉が機械音とともにスライドして開く。
先には武装した兵士が3人立っていて、それぞれが挨拶を口にした。一部は上擦ったりしていて、ガチガチになっているのがよく分かる。上司らしき兵士が咎めるようにその者の脇腹を突いて、アルヴァトに言った。
「おはようございます。このまま最上階の会議室に向かうのですが、準備はお済みでしょうか?」
「おはよう。大丈夫だ、行こう」
アルヴァトは迎えに連れられて、エレベーターで上の階へ向かう。しばらくして着いたのは、頂点に位置する40階。密室が解放されると、目の前にはスーツを着た杖突きの老人が立っていた。眼鏡をかけている線が細く、皴深い男で、あまり気配がない。その背後では、白布がかかったワゴンを押して動き回る制服姿の人々が作業しており、緊張した空気が漂っていた。特にアルヴァトが到着した時は大慌てで、なにかしらの準備を急ぐのだ。
翁は礼儀正しく白髪の頭を下げる。
「お待ちしておりました、アルヴァト様。私、探索者協会の会長を務めている
「明智だな、よろしく頼む。こちらの人間はしっかり感謝ができて偉いな」
アルヴァトは頷き微笑むと、おもむろに手を伸ばして――外見上、孫と祖父ほど年が離れている明智の頭をするりと撫でた。むろん、躊躇なんぞ皆無だ。そんな瞬間を見て驚かない者はおらず、僅か数秒の間、静寂の時が流れる。
「ん? どうかしたのか?」
「あ、ああ、失礼しました。なんせ、ここ数十年は人に撫でられた覚えがなくて」
奇妙な状況を作り出した張本人が首を傾げる中、最も早く復帰したのは明智だった。あんぐりとした表情を元に戻して、宙を見やる。それから自嘲するように鼻を鳴らすと、「こちらです」と言って歩き始めた。
あとに続いて廊下を進むと、『第一会議室』と書かれた標識がある、つい先ほどまで出入りが激しかった部屋の前に明智は止まる。すると、両脇にいたスーツ姿のサングラスをしたふたりの大男が2枚扉の片側ずつを押し開けた。
そこは、ビル街が見渡せるガラス張りの一室であった。部屋の大部分が円型に並んだ机で占められていて、天井付近の壁際には、誰からも見やすいような大型モニターがある。かなりの人数が入る前提のようで、相当広く、30人が入っても手狭になりはしないだろう。現実、円卓に沿って着飾った人々が立ち並び、更に大勢がいてもなお、余裕を感じられた。
アルヴァトを認識して、すぐ。その場にいる全員が礼の形を取った。中には彼女の知る顔もある。
明智は代表としてか、前に出る。口にするのは、アルヴァトへの
「まずは謝罪を。現場が暴走してしまい、アルヴァト様への理不尽な攻撃が行われたこと。疑いようもなく、我々の現場不行届きでござます。大変申しわけない。その上でご
明智は周りに目を配って、眉を下げた。部屋には正装の者の他、武装している者がいて、アルヴァトを強く警戒していると窺えよう。もちろん、彼女の気にするところではない。
「別に構わんよ」
「そう言っていただけると、ありがたい」近くの椅子を引いて続ける。「さて、どうぞこちらに。お話は、朝食を取りながら行いましょう」
それを聞いて……アルヴァトはぴくりと肩を揺らした。
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