人間嫌いの魔王様!~目覚めると、そこは初恋の故郷でした~

織田なすけ

第1話 瀕死の獲物

 これは、迷宮時代きっての歴史的な瞬間である。

 

 軍の精鋭部隊も、万人に匹敵する1人も、攻略不可能だとさじを投げた人外魔境――深層。その最奥に、ある探索者が辿り着こうとしていた。


 機能性を重視して整えられた黒髪に、夜の瞳と、狼を思わせる眼差しの容姿端麗な少女は、坂本さかもと八千代やちよという。一見すると、華奢で、可憐なのだが、毎日のように迷宮に潜り、魔物と戦っている実力派の戦士だ。


 しかし、八千代の活動領域は本来、深層ではない。2つ上の中層こそ、彼女が普段活躍している場所だった。にもかかわらず、なぜより深い地にいるのか。

 

 迷宮とは、大規模ならば表層、中層、下層、深層の4層から成る地下空間である。具体的な階は存在しないため、多くの国では深度を目安にしての調査や、資源収集が行われてきた。たとえば、地上と、深層付きの下層最深部までは大体3千メートルとなる。


 当然、毎度往復するのは効率が悪い。そこで、科学と魔法を組み合わせた驚くべき装置が開発された。


階層間転送装置かいそうかんてんそうそうち』……いわゆる〝テレポーター〟である。最も近い表層と、危険極まりない深層以外の入り口に設置されており、使用すれば、同一機器に転送してくれる。しかも、32年前に作られてから一度たりとも事故を起こしていない、実績ある便利な道具だった。


 もっとも、1か月前、八千代が深層の入り口に予期せぬ転移をしたことで、崩れてしまったのだが。


「あと、少し……あと、少し」


 うわ言のように呟きながら、石造りの素朴な一本道を歩く。うつろな目で、足取りも覚束ないありさまはまるで幽鬼だ。痛々しい姿も相まって、なおそう見える。


 白から赤に染まった長袖シャツと、頑丈な素材の黒ズボンは肌が垣間見えるほどズタズタ。左腕は二の腕から失っており、破った服の裾で応急処置を施していた。右手にある半ばで折れた大型ナイフは、八千代が地獄を戦い抜いた証である。


 とは言え、魔物を殺したわけではない。むしろ、道中、どんな相手にも一太刀すら食らわせなかった。答えは至極単純。武器が損傷するだけに終わるからだ。


 深層の魔物には、多くの現代兵器が効かない。下層を散歩できるような高ランク探索者であろうと、数百メートルが限界だ。また、八千代程度ならば、攻撃の直撃は死を意味する。そんな環境で実行したのは、ひたすら受け流す、ないし回避することであった。

 

 隙を見て逃げる、逃げるの繰り返し。ところが、八千代は上層に向かわず、命懸けで下った。下るしか選択肢がなかったのだ。――現在、彼女がいる長野県下諏訪しもすわ町の『矢島湿原やしましつげん迷宮』の下層と深層は、〝開かずの扉〟によって隔てられているのだから。


 球状の配信用ドローンを通して見ていた人々は一同、諦めていた。


:こりゃ無理だ。死ぬしかねぇ

:せっかく可愛い子見付けたのに、残念です。

:あ、魔物近付いてきてる。ヘルハウンドの群れか、終わったな。おつかれさん


 きっと本当の意味で、誰も小娘の死を信じて疑わなかった。生き残るなんて、欠片も考えなかったに違いない。だから、八千代が決意を口にした時、ただの遺言だと思われたであろう。


「どうせ出られないなら、底を目指します」

 

 そして――初志貫徹しょしかんてつ


 1か月後、八千代は人々の想像を裏切り、奥底にある大きな2枚扉の前に立っていた。


 黒が基調の鉄扉。中心には、白く、細長い身体に3対の翼を生やした蛇が己の尾を噛み、円環えんかんを成している彫刻がある。不思議な扉だと、感慨深げに見上げる少女の今は、世界が目を疑う光景であった。


 地球上のあらゆる言語を翻訳するAⅠの登場により、言葉の壁はなくなった。生配信を眺める視聴者のコメントが、右目のコンタクトレンズ型デバイスに流れる。


¥50000 @レヴィン教授:最奥までの深度4262メートル……他の深層がどうかは分からないが、1つの指標になるだろう。君に感謝と敬意を。おめでとう、ミス・八千代。

¥50000 @イーサン・ギブソン:よう、一仕事終えたから来たぜ! ついに到着したんだって? 大偉業だな! さて、あとは生きて帰れたら最高なんだが、流石に無理があるか。

:速報で来たんだが……嘘だよな? なんでB級探索者が最深部に着いちゃってんの(震え声)?

:迷宮研究の権威に、探索者の頂点か。そうそうたる面々だなぁ(遠い目)


 次々と投稿される驚きと祝いの声。最奥到達まで目と鼻の先だとニュースにでもなったのか、同時接続数は目まぐるしい速度で増えていく。


 その数――およそ1億人。間違いなく、世界一の注目度であった。


 数回瞬いて、八千代はカメラに微笑んで言った。


「たくさんの応援、ありがとう、ございます。残り短いですが……最期までお付き合いください」


 消え去ってしまいそうな弱々しい口調である。実際、いつ死んでもおかしくない状態だった。


 片腕はなく、身体中に傷があり、常々出血している。また、顔は青白くなっていて、小刻みに震えているのだ。しかし、狂気の眼差しに揺らぎはない。


 カツ、カツ、カツとブーツの音が静寂を破る。


 扉の向こうには、恐るべき魔物が待っているだろう。死を与える存在がいるだろう。だとしても、八千代は迷わず身命を賭すのだ。それができない人間ならば、人類未踏の地にいやしない。


「――行きます」


 扉に右手を添えて、あらん限りの力を込めると、重厚感のある音が鳴り響く。隙間からは眩しいくらいの光。同時に、濃密な魔力が肌を撫でた。


 かなり濃度が高いのか、ドローンに搭載されている魔力検知器が警告する。画面の数値は文字化けしていた。


 目撃者は騒めく。


:ひえ……数値が表示されてへんのコワすぎ!

:測定限界値の1万超えてるなこれ⁉

:おいおい、死んだわあいつ

:↑生存フラグ定期……とはいかんやろなぁ

:果たしてどんな化け物がいるのか……

 

 滝のように冷や汗が流れ、頬を血涙が伝う。高い魔力濃度による弊害だった。火傷に似た激痛も走っているはずだ。呼吸だって、苦しいだろう。


 だが、八千代は止まらなければ、怯みすらしない。むしろ――。


:なんで笑ってんだこの狂人ww


 楽し気である。

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