人間嫌いの魔王様!~目覚めると、そこは初恋の故郷でした~
織田なすけ
第1話 瀕死の獲物
これは、迷宮時代きっての歴史的な瞬間である。
軍の精鋭部隊も、万人に匹敵する1人も、攻略不可能だと
機能性を重視して整えられた黒髪に、夜の瞳と、狼を思わせる眼差しの容姿端麗な少女は、
しかし、八千代の活動領域は本来、深層ではない。2つ上の中層こそ、彼女が普段活躍している場所だった。にもかかわらず、なぜより深い地にいるのか。
迷宮とは、大規模ならば表層、中層、下層、深層の4層から成る地下空間である。具体的な階は存在しないため、多くの国では深度を目安にしての調査や、資源収集が行われてきた。たとえば、地上と、深層付きの下層最深部までは大体3千メートルとなる。
当然、毎度往復するのは効率が悪い。そこで、科学と魔法を組み合わせた驚くべき装置が開発された。
『
もっとも、1か月前、八千代が深層の入り口に予期せぬ転移をしたことで、崩れてしまったのだが。
「あと、少し……あと、少し」
うわ言のように呟きながら、石造りの素朴な一本道を歩く。
白から赤に染まった長袖シャツと、頑丈な素材の黒ズボンは肌が垣間見えるほどズタズタ。左腕は二の腕から失っており、破った服の裾で応急処置を施していた。右手にある半ばで折れた大型ナイフは、八千代が地獄を戦い抜いた証である。
とは言え、魔物を殺したわけではない。むしろ、道中、どんな相手にも一太刀すら食らわせなかった。答えは至極単純。武器が損傷するだけに終わるからだ。
深層の魔物には、多くの現代兵器が効かない。下層を散歩できるような高ランク探索者であろうと、数百メートルが限界だ。また、八千代程度ならば、攻撃の直撃は死を意味する。そんな環境で実行したのは、ひたすら受け流す、ないし回避することであった。
隙を見て逃げる、逃げるの繰り返し。ところが、八千代は上層に向かわず、命懸けで下った。下るしか選択肢がなかったのだ。――現在、彼女がいる長野県
球状の配信用ドローンを通して見ていた人々は一同、諦めていた。
:こりゃ無理だ。死ぬしかねぇ
:せっかく可愛い子見付けたのに、残念です。
:あ、魔物近付いてきてる。ヘルハウンドの群れか、終わったな。おつかれさん
きっと本当の意味で、誰も小娘の死を信じて疑わなかった。生き残るなんて、欠片も考えなかったに違いない。だから、八千代が決意を口にした時、ただの遺言だと思われたであろう。
「どうせ出られないなら、底を目指します」
そして――
1か月後、八千代は人々の想像を裏切り、奥底にある大きな2枚扉の前に立っていた。
黒が基調の鉄扉。中心には、白く、細長い身体に3対の翼を生やした蛇が己の尾を噛み、
地球上のあらゆる言語を翻訳するAⅠの登場により、言葉の壁はなくなった。生配信を眺める視聴者のコメントが、右目のコンタクトレンズ型デバイスに流れる。
¥50000 @レヴィン教授:最奥までの深度4262メートル……他の深層がどうかは分からないが、1つの指標になるだろう。君に感謝と敬意を。おめでとう、ミス・八千代。
¥50000 @イーサン・ギブソン:よう、一仕事終えたから来たぜ! ついに到着したんだって? 大偉業だな! さて、あとは生きて帰れたら最高なんだが、流石に無理があるか。
:速報で来たんだが……嘘だよな? なんでB級探索者が最深部に着いちゃってんの(震え声)?
:迷宮研究の権威に、探索者の頂点か。そうそうたる面々だなぁ(遠い目)
次々と投稿される驚きと祝いの声。最奥到達まで目と鼻の先だとニュースにでもなったのか、同時接続数は目まぐるしい速度で増えていく。
その数――およそ1億人。間違いなく、世界一の注目度であった。
数回瞬いて、八千代はカメラに微笑んで言った。
「たくさんの応援、ありがとう、ございます。残り短いですが……最期までお付き合いください」
消え去ってしまいそうな弱々しい口調である。実際、いつ死んでもおかしくない状態だった。
片腕はなく、身体中に傷があり、常々出血している。また、顔は青白くなっていて、小刻みに震えているのだ。しかし、狂気の眼差しに揺らぎはない。
カツ、カツ、カツとブーツの音が静寂を破る。
扉の向こうには、恐るべき魔物が待っているだろう。死を与える存在がいるだろう。だとしても、八千代は迷わず身命を賭すのだ。それができない人間ならば、人類未踏の地にいやしない。
「――行きます」
扉に右手を添えて、あらん限りの力を込めると、重厚感のある音が鳴り響く。隙間からは眩しいくらいの光。同時に、濃密な魔力が肌を撫でた。
かなり濃度が高いのか、ドローンに搭載されている魔力検知器が警告する。画面の数値は文字化けしていた。
目撃者は騒めく。
:ひえ……数値が表示されてへんのコワすぎ!
:測定限界値の1万超えてるなこれ⁉
:おいおい、死んだわあいつ
:↑生存フラグ定期……とはいかんやろなぁ
:果たしてどんな化け物がいるのか……
滝のように冷や汗が流れ、頬を血涙が伝う。高い魔力濃度による弊害だった。火傷に似た激痛も走っているはずだ。呼吸だって、苦しいだろう。
だが、八千代は止まらなければ、怯みすらしない。むしろ――。
:なんで笑ってんだこの狂人ww
楽し気である。
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