第22話 肌を貫いて新作/西しまこ先生

 ご参加いただきありがとうございます。西さんとはヒニヨルねえさん経由でお知り合いになりました。それ以前に、「ビルの屋上は銀河」という企画で素敵な作品を書かれる方だなあと思っておりました。現在は西さんちなどほのぼの系も含めて楽しませていただいております。


詩 「肌を貫いて」

https://kakuyomu.jp/works/16818093073074163614


「肌を貫く」という表現がすでに印象的です。色々な様子が想像できますが、中身はどのようなものでしょうか。


いつも傷つけられてきたから、もう慣れている


 この時点では物心両面における痛みを感じますが、その後にある「全身隈なく」「それとも」という言葉によって、一か所の切り傷ではないことが表れております。ということは心の切り傷であることがわかるわけですが、そうなると「いつも傷つけられてきたから」という最初の箇所に深い悲しみを感じます。何故慣れてしまったのであろうか、あるいは、慣らされてしまったのであろうか。そんな簡単ではない状況からのスタートになりました。


傷が凹凸を作って

イタイ イタイ イタイ


 ここにやるせなさというか、更なる悲しみを感じました。凹凸の傷をつけられたからという直接的な痛みと、それをことによる痛みへの自覚が読み取れるのです。傷口を確認するかの如く触り、「ああ。やっぱりイタイ」と言っているのです。ここに「慣れている」といいながらも「確かめてしまう=もしかしたら傷ではないのでは?」という儚い希望を含んだ救いを求めているように思いました。ちょっと切ないですが気持ちはわかるような気がいたします。失恋であれ、中傷であれ、連続性のある苦しみに救いを求めてしまうのは、人間の防衛本能なのかもしれません。


痛いと思うのはほんとうだろうかそれとも


 ここで疑い、後の言葉へのターニングポイントになっております。


いつも傷つけられていたから、当たり前のことで

イタクナンテナイ

 

 心に重い蓋をすることで痛覚を遮断したかのような気持ちを訴えております。しかしながら、「ナンテナイ」という自身への呼びかけによって「そう思いたい」という、切なくそしていじましい気持ちが滲み出ております。小さな男の子が三輪車から転げ落ちて「イタクナンテナイ」と言いながら涙を浮かべているような気持ちです。強がりではなくて本当に泣きそうなのを堪えている様子でしょうか。


イタクナイ イタミモモウカンジナイ ナニモ

重力に押しつぶされたこころは全てを手放した


 会話文としてカタカナなのか。わたしはそう思っていたのですが、自身がそう思うように言い聞かせているのだと感じました。イタミを感じないのであれば、イタクナイなんて言わないのです。それを言葉にすることによって誰かに気がついてほしい、わかってほしい、救ってほしいと叫んでいるように聞こえます。ここまでに至ったプロセスはわかりませんが、この詩を読んでいると、まるで小さなお姫様が深窓からまだ見ぬ王子様を求めているように感じます。どこか悲惨でありながらも夢見がちな幻想(あるいは自らが幻想と思いたがっているという妄想)に思えるのです。


重力に押しつぶされたこころは全てを手放した


 最後のこの意味をどうとらえるか、わたしは色々と考えてみたのですが、結局は本人しかわからない世界の結論であると理解することにしました。正であれ負であれ、幸せであれ不幸であれ、快楽であれ痛みであれ、どちらとも読むことができました。イタミを遮断するために感情という心を手放したのかもしれませんし、イタミを感じる繊細な自分を辞めるために優しさという人間らしさを手放したのかもしれません。非常に考えさせられる世界が広がっていて、単純にイタイ/イタクナイではないというのが西さんの詩の素晴らしいところではないかと思いました。


意味深い素敵な詩、ありがとうございました。


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