第23話 疑わないでピュア
「何か、ありました?」
突然の皇の言葉に、巴は固まった。何か……とは。すぐに思い起こされるのは、昨日のこと。昨日はいろいろありすぎた。だけど、何で——。
「僕は今、先輩の彼氏なんです。何かあったなら頼ってください。そりゃ、何もできないかもしれないけど、話すだけでも負担減ったりしますよ?」
——ああ、そうなのか。分かっちゃったんだ。顔に出てたかな? 巴は申し訳ない気持ちになる。
「……うん、ありがと。暗い顔してたかな?」力なく笑う。「なんか、ごめんね。せっかくのデートなのに、心配させちゃって」
「それはいいんですけど……。話せないようなことですか?」
たぶん、皇は追及してこない。拒めば話さずに済むだろう。だって、皇に話すことなのかどうかが分からない。中途半端に話しても意味がないし、何かが解決するとは思えない。
でも、皇は彼氏として力になりたいと思ってくれているのだろう。その気持ちを裏切るのは忍びない。そして、本当のところ、やはり自分だけでは抱え込めないかもしれない、とも思っている。自分はそんなに強い人間ではない。許されるなら、誰かに頼りたい。そう巴は思い始めている。
そして、この「頼ってもいい」という相手がいる状況。巴は安堵し、なぜだか自分でもよく分からないが——目から水滴が零れ、頬を伝っていくのを感じていた。
その美しい少女は泣いていた。見間違いかと思ったが、すぐにそれは自分の浅はかな願いだと気付く。きれいな顔のまま、まるで目薬を点しただけとでもいうように、目尻に涙を溜めている。
(——————)
皇はどうしていいのか分からなかった。目の前で思いを寄せている相手の涙を見たのに——いや、見たからこそ思考は働かず、心は動揺に忙しい。
赤になっていた歩行者の信号は再び青に変わり、周囲の人々が動き出す。往来する人の群れの中で、2人の時間だけが止まっていた。
皇は無力さを痛感する。いきなり何もできないじゃないか。涙を流す彼女を抱きしめることさえも。今この場でそんなことをしてもただの誤魔化しに過ぎず、何の役にも立たない行動だと理解している。また巴も望んでいないだろう。
やがて——これが皇の見る白昼夢でなければ、なのだが——巴は目尻を手で拭い、儚げな声で言った。
「皇くん。家に来ない?」
巴といえば明るい声というイメージだったので、あんな切なげな声を出されて皇は驚いた。しかし、真に驚くべきはその言葉に他ならない。
(三船先輩の家、だと……?)
止まっていた皇の時間が超常現象でも起きたかのように数倍速で動き出す。
(先輩の家というのは、つまり先輩が住んでいるところで、先輩が暮らしているところで、先輩が寝たり起きたりしているところで、先輩が——)
「——息を吸ったり吐いたりしているところですよね!?」
「え? まあ、そう……かな?」
「うわあああ! 心の中読まれた!?」
「いや、がっつり声に出てたからね?」
皇は慌てて取り繕う。
「先輩、違うんです! 僕はピュアです!」
「よく分かんないけど、ピュアな人は自分でピュアとか言わないよね」
「!!」
なにやら裏目って呆れさせてしまったようだ。
「ほら行くよー。あ、やだ?」
「行きますよそりゃ……! やっぱダメと言われても行きます!!」
「その場合は来ないでよ。今回は大丈夫だけど。夜まで誰もいないから」
だ、誰も……? 皇は息を呑んだ。そうだ。ご家族がいたらご挨拶をしなければならなかった。一気に緊張が走り、しかしすぐに弛緩する。
でも、今日はいない……。いや、ということは?
「せせ先輩と、2人きり……!?」
皇はようやく事態を把握した。
「そうですけど?」
巴は不敵に笑う。そういう顔もかわいい。
「まあ、その、ちょっと話を聞いてもらおうかと思ったんだけどね。もしまた涙が出ちゃったら困るというか、皇くんを困らせちゃうかなって。家の中なら人目気にならないし。
自分でもよく分かんないんだけど、なんか涙腺ゆるくなってるみたいでさー。歳かなあ。幼稚園の頃はこんなすぐ泣かなかったと思うんだよね」
「強い園児だったんですね……!」
皇は感嘆し、大切なものを包むように巴の手を取った。今度は自分から。
「行きましょう、先輩」
「…………うん」
少しだけ、巴に笑顔が戻っている気がしていた。
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